天と天河の神隠し
(天河版千と千尋の神隠し)


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5.銭婆婆

 ユーリは、カオナシ・ラムセスに蛙男カッシュと湯女が飲み込まれたことも知らず、
ナキア湯婆婆のいる最上階を目指した。
 ナキアの私室になっている豪華な最上階には、誰もいなかった。ナキアはもちろん、
竜になったカイの姿もない。ユーリは分厚い絨毯の引かれてる床を、そうっと
歩きながら部屋を探った。すると、少し雰囲気の違う部屋を見つけた。
他の部屋にもあるような高価そうな調度類が置いてあったが、ぬいぐるみや人形、
おもちゃの車など、子供用の遊び道具が散らかっている部屋だった。
 ナキアの一人息子、坊の部屋である。部屋を見回したところ、坊の姿はなかった。
「坊、ジュダ坊や。機嫌はどうかねぇ」
 ナキア湯婆婆の陽気な声がした。坊の様子を身に来たのである。
隠れなきゃ! ユーリは山積みになったクッションの中に身を隠した。
 クッションの中に入った途端、ユーリは呼吸が止まった。目の前に
運動会の応援団で使う大太鼓と同じくらいの大きさの顔があったのだ。
ナキアの息子、ジュダ坊である。サラサラの金髪に顔立ちは整っていたが、
こうまで大きいとショックの対象になる。悲鳴を上げそうになったが、ユーリは息を殺した。
「ナキアばーば。僕元気だよ」
 ジュダはクッションから顔だけだした。
「おおそうかい」嬉しそうにナキアは言うと、坊の頬にぶちゅっとキスをして部屋を去った。
 ジュダは自分をかくまってくれたのだ。とりあえず感謝しなければならない。
「ありがとう……、ちょっと急ぐから出るね」
 ユーリはクッションから出ようとした。だが、白い細い腕を、巨大なジュダがつかんだ。
「ダメダヨ。僕と遊んでいってよ」
 かわいい顔した巨大な赤ん坊は、自分と遊ぶように強要した。
「わたしは……ちょっと探さなきゃいけない人がいるの。遊ぶなら、油屋の人と、
蛙男さんや湯女さんと遊んで、ねっ」
 ユーリはなだめるようにジュダに言った。
「ダメダヨ。外に出るとバイキンがいっぱいいるんだ。ナキア湯婆婆が
ここにいれば、僕は将来、皇帝になれるっていうんだ。この部屋から出ちゃいけないんだ」
「でもね、私急ぐの。手を離して、お願い」
「ヤダヨ。外はバイキンがいっぱいなんだ。バイキンに触れるとボクは死んじゃうんだ。
ここで遊ぼう」
 ジュダは離してくれる気はないらしい。赤ん坊とはいえ、人間の大人より身長があり、
丸々太った体系では、10歳のユーリには到底太刀打ちできない。無理に腕を引っ張れば
骨折してしまうだけである。そこでユーリは、バイキンを怖がるジュダにいい方法を思いついた。
「私、今日の朝ね、大殿の掃除をしたの。何ヶ月も掃除していない、バイキンが
いっぱいいるお風呂よ。私の体にはきっとたくさんのバイキンがついているよ」
 ジュダはパッチリした瞳を大きく見開き、同時にユーリの腕を離した。
開放されたユーリはクッションから素早く抜け出し、部屋を出た。
「カイを探さなくっちゃ!」
 ユーリはいくつかの部屋を見回った。すると一番奥の部屋に傷だらけの竜が横たわって
いるのを見つけた。カイである。意識を失っており動かなかった。
監視役なのか? 頭(かしら)のミッタンナムワと湯バードウルヒが部屋の隅にいた。
「まてぇ」
 ユーリのあとをジュダが部屋に入ってきた。
 動けない竜のカイと人間のユーリ。対するはジュダ坊と頭ミッタンナムワと湯バードウルヒ。
ここにナキア湯婆婆が来ては最悪の状況になる。そう考えた次の瞬間、
窓辺にボンヤリと人の姿が現れた。ナキア湯婆婆の姿であった。
 絶体絶命、ユーリは心の中でこの四字熟語を叫んだ。
「ナキアばーば!」
 ジュダ坊はサラサラの金髪をなびかせ、かわいらしく母に向かって叫んだ。
「やだねぇ、この子は。お母さんとあたしの区別もつかないのかい?」
 ナキアそっくりのタマネギ頭をしていたが、よぉ〜く見ると、
性格の悪そうな顔は同じだったが、微妙に違った。
ナキア湯婆婆の姉の銭婆婆ネフェルティティであったのだ。
 湯バードウルヒも頭ミッタンナムワもナキアそっくりのネフェルティティを
驚きの表情で見つめている。
 銭婆婆ネフェルティティは重そうなダイヤのついた指輪の人差し指で、ジュダ坊と
頭ミッタンと湯バードウルヒを指した。指輪が光ったと思うと、たちまちのうちに、
ジュダ坊はネズミに、頭ミッタンは坊に、湯バードウルヒは小さなハエドリに変化した。
「な、何するの!」
 ユーリは驚きのあまり叫んだ。坊も頭も湯バードも何もしていないのに……!
「いつも勝手をやっている妹ナキアに対しての、ちょっとした悪戯さ。もう一つ、
妹の手先のその竜も、早く息の根を止めてやろうか? まったく愚かだよ。
あんな妹の手先になるなんて……」
 銭婆婆は意地悪そうにユーリに言った。
「やめてよ! カイが何したって言うの?」
「何って……その竜はあたしの黄金のハンコを盗んだんだよ。魔法のハンコさ。
まあ、あのハンコには盗んだものには死を与えるまじないがかけてあるから、
放っておいても死を迎えるがね。おーほほほほほ」
 ネフェルティティは高らかに笑った。
「そんな……」
 ユーリは枯れそうな声を出した。
 ――次の瞬間、眠っていたはずの竜、カイの目がカッと開き、
銭婆婆ネフェルティティに向かって尾を振り上げた。優雅に空中を舞った尾は
見事ネフェルティティの顔面を直撃した……はずであったが、その場ですうっと
煙が消えるように、ネフェルティティの姿はユーリたちの前から消え去った。
 喋ることのできない竜とユーリは、消えたネフェルティティに呆然としていた。
だが、ボンヤリしている暇は二人にはなかった。突然、ユーリとカイのいる
分厚い絨毯の引かれた床の一角が抜け落ちたのだ。まるでからくり屋敷である。
ユーリとカイはまっさかさまに落ちていった。
オマケにネズミになった坊とハエドリになったウルヒも一緒に落下した。 
 闇の中に落ちてゆくユーリを、竜であるカイが拾った。
そのままユーリとオマケを載せ、暗闇の中にあった小さな光に向かって突き進んでいった。
喚起口を破り、辿り着いた先は――、タロス釜爺のいるボイラー室だった。
「うわあああああ」
 天井を突き破り、突然振ってきたユーリと竜にタロスは驚く。
カイは力尽きて、床に倒れこんだ。タロスの上に落下したユーリであったが、
自分も回りもかえりみず、カイに近寄った。
「いったいどうしたんじゃ。お前は……」
 タロスは落ち着いてユーリに問い掛けた。
「実はかくかくしかじかでこうなちゃったの」
 かくかくしかじか、実に便利な状況説明法である。
「どうしよう。このままじゃカイが死んじゃうよ!」
 傷ついたカイを見てユーリは叫んだ。
タロスもなんとかカイを助けたかったが、ネフェルティティの強い魔法がかかっており、
どうしようもできなかった。
 ユーリは焦りと泣きたい気持ちでいっぱいだった。ふと、着物のポケットに入っている
オクサレさまにもらった団子のことを思い出した。「高名な河の神様がくれたお団子なら
なんとかなるかもしれない!」ユーリはそう思い、団子を半分に噛み切ると、
右手で竜の口の奥深くに突き入れた。
 気を失っていた竜は、突き入られた異物に目を覚まし、団子の苦さに暴れ始めた。
「お願い、食べて!」
 ユーリは吐き出そうとするカイの口を必死に抑えた。さんざん暴れたあと、竜はげほっと
黒い塊を吐き出した。
 吐き出したものを見ると、銭婆婆ネフェルティティから盗んだ黄金のハンコと、
黒い毛虫――タタリ虫だった。
 カイの中から出たタタリ虫はユーリを見て逃げ出した。「待て!」と言いながら
ユーリは後を追った。そのままタタリ虫を捕らえるつもりであったが、怒りのあまりか?
誤って踏み潰してしまった。
「あっ!」
 小さな悲鳴をあげたが、もう遅い。タタリ虫は黒いシミを残して死んでいた。
「ユーリ、汚いぞえぇ! エンガチョ、エンガチョ!」
 タロスはユーリにエンガチョを促した。
「そんあぁ、タロス釜爺さん。エンガチョなんて!」
 慌ててユーリは両手の人差し指と親指を付き合せて、タロスの前に出した。
「切った!」
 タロスがユーリのエンガチョを切った。これでユーリはタタリ虫とはおさらばである。
 二人がエンガチョごっごをしている間に、竜は白い光に包まれながら
姿を変えていった。カイの姿に戻ったのである。
「やっぱりカイだ! カイ!」
 ユーリはカイの名を叫んだが、意識はない。呼びかけにも答えることはなく、
ぐったりとしたままだった。先ほどユーリたちと一緒に落ちてきた
ネズミのジュダとハエドリのウルヒも、心配そうにカイに近寄った。
 まだネフェルティティの魔法は効いているのか? このままカイは目を覚まさないのか?
ユーリは不安になった。
「わたし、このハンコを銭婆婆ネフェルティティに返してくる。返して謝って、
カイを助けてくれるように頼んでくる」
 ユーリは決心をタロスに語り、銭婆婆がどこに住んでいるのか尋ねた。
「銭婆婆ネフェルティティか……ナキアも恐ろしいが、あの魔女もコエエぞ」
 タロスは忠告した。
「カイはここに迷い込んで、不安でたまらなかった私を助けてくれたの。今度は私が
カイを助ける番なの。逃げちゃいけないのよ!」
 ユーリの黒い瞳には頑な決心が宿っていた。ユーリの真剣な瞳を見たタロスは、彼女に背を向け、
何か、タンスの中をゴソゴソ探し始めた。
 そこへ、ハディが入ってきた。随分ユーリを探した様子であった。
「ユーリ、お前こんなところにいたのか……。大変だ。ナキア湯婆婆がすごく怒ってるぜ。
カオナシ・ラムセスを引き入れたのはお前じゃないかと言っている……」
「そうかもしれない……お客さんだと思って戸を開けたわ」
 ユーリはカオナシ・ラムセスを引き入れたことを思い出す。
「どうするんだよ。あいつはもう3人も飲み込んじまったんだぜ!
奴の薔薇模様はどんどん肥大していって、今じゃ薔薇じゃなくてありゃ牡丹だぜ!」
 ハディは額に手を当てて途方に暮れた顔をした。
「あった、あった。これだ!」
 ハディの父が2人の少女の会話を遮った。タロスがユーリの目の前にかかげたものは
4枚つづりの電車の回数券であった。
「銭婆婆ネフェルティティは、電車で6つ目の『ピラミッドの底』という駅に住んでおる。
最近、戻りの電車はなく、行ったっきりだ。それでもネフェルティティの所へいくのかい?」
 タロスはユーリが何と答えるかわかっていて質問した。
「うん、いくよ。カイを助けたいもの」
 やさしい黒い瞳でタロスに笑いかけた。ネズミのジュダとハエドリのウルヒも
魔法を解いてもらうため、ユーリと一緒に行くつもりらしい。ちょこんとユーリの肩に乗っていた。
「カイ、きっと戻ってくるから死んじゃだめだよ」
 ユーリは気を失っているカイに言った。
「うおおお! 何でカイの奴がこんなところに……」
 状況の全くつかめないハディは、カイ→ユーリ→タロスの順番に驚きの視線を移した。
「わからんか? ハディ。愛じゃよ愛!」
 タロスは娘に強く言った。



6.ユーリの欲しいもの

 とりあえず、ナキア湯婆婆が呼んでいると聞いて、ユーリはカオナシ・ラムセスのいる油屋の
客間へ向かった。客間の前には、厳しい表情をしたナキアが仁王立ちしていた。
ナキアはラムセスを引き入れたユーリを怒っていた。金塊と薔薇を手のひらから出す
カオナシ・ラムセス。とりあえず奴から、搾り取るだけ搾り取るように命令され、
客間に放り込まれた。
 食べ残しや引っくり返った大皿で汚れた客間。中央には最初にユーリが見たときよりも
数段巨大化したカオナシ・ラムセスが鎮座していた。体の薔薇模様は、ハディの
言ったとおり、薔薇ではなく牡丹になっていた。
「こっちへおいで、ユーリ。ユーリは何が欲しいんだい? 金かい? 薔薇かい?」
 ユーリはラムセスの質問に答えなかった。
「あなたはどこから来たの?」
 ラムセスはユーリの質問に不機嫌な顔をする。
「来たところに還ったほうがいいよ。ここはあなたの居場所じゃない。
私が欲しいものは金でも薔薇でもないの。あなたに私の欲しいものは絶対に出せないよ……」
 ユーリが今欲しいものは物ではない。カイが元気になることと。家族が人間に戻って、
元の世界に還ることなのだ。
 寂しそうなラムセスの仮面に苦悩の表情が浮かび上がった。物欲を介してでなくては
人と交流できないラムセスはどうしたらいいかわからなくなったのだ。
「ユーリ、金を受け取れ! じゃないとお前を食べるぞ!」
 ラムセスは金塊をユーリの前に出して脅した。脅しにもユーリは怯まない。
「私を食べるなら、その前にこのお団子を食べて」
 ユーリは、ラムセスの前に、オクサレさまにもらった団子の半分を差し出した。
 何のためらいもなく、ラムセスは団子をパクリと口に入れた。
「小娘が……! 何を食わした!」
 苦さに彼の仮面はムンクの叫びのような仮面になった。
 いよいよラムセスはユーリに襲い掛かってきた。ユーリは客間の外へ出た。
ラムセスもそれに続く。暴走し始めたのだ。
「みんなおどき! いくらお客様とて許せぬ!」
 怒ったナキアは襲い掛かるラムセスの前に立ちはだかった。両手に気を溜めると、
光の玉をラムセスに投げつけた。
 ナキアのオバタリアン光の魔球は、ラムセスの顔面を直撃。
ラムセスはたまらずヘドロを大きな口から吐き出した。ヘドロの中からは、
先ほど飲み込まれた蛙男カッシュと湯女が出てきた。
2人を吐き出したおかげで、ラムセスはだいぶスリムになっていた。
「ラムセスー! こっちだよー!」
 一足先に階段を駆け下りていたユーリは、声をかけた。
「ユーリィ〜」
 ラムセスはユーリをめがけて壁面をシャカシャカ降りた。
 ユーリは油屋の外に出た。昨晩降った雨のせいで、地表は見えず、海ができていた。
タライ舟に乗って待っていたハディが声をかけた。
「ユーリ! こっちだ」
 ユーリとネズミジュダとハエドリウルヒは一緒にタライ舟に乗った。
加えてラムセスをおびきよせるため、ユーリは再び大きな声をあげた。
 ラムセスはユーリの声に気づき、タライ舟を追った。途中、苦しそうな顔をしたと思うと、
ポチャリ、最初に飲み込んだ蛙男のキックリを吐き出した。
 ハディの運航するタライ舟が線路についた。ユーリは舟から降りた。
「ユーリ、必ず戻ってこいよ」
 うんと声に出さずに頷いたユーリはそのまま駅に向かって走っていった。
「ユーリッ! お前のことどんくさいって言ったけど取り消すぞぉー!
今度出会うときには、アタシも少しはおしとやかになるからなっー!」
 ユーリは振り返らず大きく手を上げて答えた。ハディはずっとユーリの背中を
見送り続けた。
 そこへ、ユーリを追いかけ、のそのそと線路を進むカオナシ・ラムセスが
通りすぎる。
「ラムセス! てめー、ユーリに何かしたらタダじゃおかないからな!」
 ハディの警告を聞いているのか、聞いていないのか、ラムセスは懸命にユーリの後を追った。

 

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