赤髪の白雪姫2次小説
夢に見た光景




〜第二部〜

第一部はこちら

6.ゼンと白雪の想い
7.ゼンとイザナ 
8.オビと白雪 
9.親子鑑定 



6. ゼンと白雪の想い

 白雪に再会した翌日から、今までとはまったく違うゼンがいた。
 ミツヒデたち側近は、ゼンの変わりように目をみはる。
 まずは朝である。
 いつも寝起きの悪いゼンは起こすのに一苦労であったのに、
白雪と再会してからは一人で起きて、しっかり身支度も済ませていた。
 執務も積極的にこなすようになった。いつもは丸一日かけてやっていた仕事を半日で片付け、
他の仕事にも積極的になった。白雪に会う時間を作るため必死に執務をこなしていたのである。
 ミツヒデや木々は懐かしい感覚を覚える。8年前もそんな風に必死に仕事をしているゼンがいた。
 そのゼンが戻って来てくれたのである。
 気持ち一つでこんなにも変わるものなのだ。木々、ミツヒデ、オビは主人の変化を嬉しく思った。
「さあ、仕事はすべて片付けたぞ! 今日は白雪のところへ行く。行って気持ちを伝えてくる」
 ゼンは仕事に没頭していた間、自分の気持ちも整理していた。
 今までの想い、これからの想い――。すべてを白雪に告げたいと思った。

***

 ミツヒデを助けてくれたお礼を兼ねて、土産を持って白雪の元を訪れた。
 二人きりで話がしたいと言ったら、白雪は承諾してくれた。
「大きなゼンはお母さんとお話があるの。だから私たちと一緒に遊ぼう、ゼン」
 木々が小さなゼンに笑顔で話しかける。
「いいよ」
 小さなゼンは素直に頷く。チラリと大きなゼンを見た。
「このあたり、同い年の子供とか若い人がいないから、遊んでもらって嬉しいね、ゼン」
 白雪がゼンの赤い頭を撫でる。
「うん!」
 小さなゼンは嬉しそうに返事をする。
「じゃあ、ゼン。何して遊ぼうか?」
「かくれんぼ!」
 ミツヒデがたずねると、小さなゼンは即答した。
「かくれんぼか、いいね。久しぶりだ」
 オビも乗り気であった。
「僕が鬼でいいよ。ここは僕の家だからね。3人ともすぐに見つけちゃうよ!」
「よーし、見つからないように隠れるぞ!」
 オビがはりきる。
「じゃあ、200数える間に隠れてね、よーいドン!」
 小さなゼンが掛け声をかける。
「200か。長いな……」
 ミツヒデがポソリと呟いた。
「木々さん、ミツヒデさん、オビ。ゼンをよろしくお願いします。私たちは奥の部屋にいます」
 白雪は3人に会釈して、小さなゼンを任せた。

 家の中で一番奥の部屋に通された。前回、二人で話した薬研の置いてある部屋だ。
 テーブルに白雪と向かい合わせに座る。前回とは違い、白雪はまっすぐに前を向いてくれていた。
「お土産ありがとう。小さなゼンも喜んでるよ」
「そうか、それはよかった」
 白雪が笑いかけてくれる。前回のように怯えているような様子はなかった。
「話って何?」
 白雪に早速聞かれる。
「うん……何から話したらいいかな?」
 伝えたい事、言いたい事は整理してきたつもりだが、
いざ白雪を前にすると何の話からしたらいいのかわからないゼンであった。
 背筋を伸ばしゼンはまっすぐに前を見つめる。
「実は国内の状態があまり良くない」
 白雪は無言で頷く。こんな森の奥でも色々と情報は入って来るのであろう。
「表には出ていないが、実は陛下は……兄上は病気なんだ」
「イザナ陛下が!? 流行病?」
 白雪は驚き、声を上げる。
「いや、流行病ではない別の病気だ。もうあまり長くないと言われている。
兄上夫婦には子供がいない。今後も望めないと言われている。だから俺は必ず結婚しなければならないんだ。」
 ゼンが厳しい表情になる。
「流行病も重なって、国内は不安定だ。王宮にも流行病にかかった者がいる。
白雪の知っている人では詩人の門の門番、カイとシイラも流行病にかかった。
国の安定のためにも一日も早く結婚するようにと急かされている」
「カイさんとシイラさんが?」
 白雪は青い顔になる。知っている者が流行病にかかってしまったことにショックを受けたようだ。
 ゼンは一つ深呼吸する。
 これから告げることは重要な事だ。8年間の想いとこれから希望を確実に伝えなければならない。
「白雪、王宮に戻ってきて欲しいんだ……」
 まっすぐに白雪の瞳を見つめて告げる。その想いに迷いはない。
 白雪は視線をテーブルに落とす。返事はなかった。
「8年間、白雪の事を忘れた日は一日もなかった。小さなゼンと一緒にお前を妃に迎えたい」
 白雪は固まる。
どれくらいの沈黙が流れただろう。白雪はゆっくりと顔を上げ、微笑んだ。
「お妃様は別の人を迎えた方がいいよ」
 白雪は穏やかな笑顔でゼンを見つめる。その笑顔が無性にゼンにとって悲しく感じた。
白雪は話し続ける。
「この子がゼンの子だとは誰にも言わない。私たちは今後、クラリネスの王宮にも近づかないって約束する。
だから安心して新しいお妃様迎えて……」
「いやだ」
 ゼンは即答する。
「私よりもっと若くて地位のあるお妃様もらったほうが国のためになるよ。
ゼンだってまだ若いんだし、きっと子供もできる」
 白雪は微笑みながら静かに頷く。
「そういう方法もあるかもしれない。でもそれは自分の意志じゃないんだ。
あのとき……8年前、お前を失ったことを何度も後悔した。
白雪がいいんだ……ずっと心にあるのは白雪なんだ。他の妃なんて考えられない」
 ゼンは譲らなかった。
 白雪は首を横に振る。表情から笑顔が消える。
「私は8年前の私じゃない。ゼンが思ってくれるような私じゃないかもしれないよ」
 白雪の声が少々大きくなる。
「いいや、小さなゼンがあんなにいい子に育っているんだ。8年前の……そのままの白雪だ!」
 ゼンは言いきった。そして続ける。
「この8年間、白雪の事を忘れた日なんて一日もない。子供がいるとわかって本当に嬉しかった。
白雪と小さなゼンとずっと一緒にいたいと思っている。
白雪以外の妃は考えられない。今度こそ……お前を妃に迎える!」
 ゼンの声も少々大きくなる。
「それはゼンだけの気持ちでしょ。私が妃なんて反対されるに決まっている。
妾としても行きたくない。王宮では私たちのことをよく思わない人が必ずいる。
ゼンの血を継いでいるなんてことがわかったら、子供に毒を盛られる可能性だってある!」
 白雪の口調が強くなる。
 唇が震えている。目には涙が溜まり真っ赤だった。
「王宮に行って、小さなゼンが危険な目に合うのは絶対にいや。
私はここで静かに暮らしたいの。小さなゼンには普通に幸せになって欲しいの……王宮に行くのはいや……」
 白雪が泣きながら首を横に振る。赤い髪が左右に大きく揺れる。
 頬には幾筋もの涙が伝わっていた。白雪は肩を震わせ、声をしゃくりあげていた。
「白雪……」
 泣き出してしまった白雪に動揺した、その時だった――。
 バタンっ!
 突然、扉が開いた。ゼンと白雪は驚いて扉の方を振り返る。
視線の先には小さなゼンが挑むような目つきで立っていた。
「ゼン? どうしたの?」
 白雪は涙を手の甲で拭きながら立ち上がる。ただならぬ様子の息子に問う。ゼンも一緒に腰を上げた。
「お母さんをいじめるなっ!」
 小さなゼンが叫びながら大きなゼンに飛びかかる。
「ちょっと、ゼン。何やってるの! 離れなさい!」
「お母さんを泣かせるな! お前なんか嫌いだ! 帰れ、帰れっ!」
 小さな手で何度もゼンを叩く。ゼンは呆然とし、立ち尽くしていた。
「そんなこと言っちゃダメ! ゼン! 離れなさい!」
 白雪は無理やりゼンから息子を離す。
「お母さん、泣いてなんかないよ。ちょっと目にゴミが入っちゃっただけだから。大丈夫だから、ねっ!」
 白雪は真っ赤な目で無理やりに笑顔を作る。小さなゼンは訝しげに大きなゼンを睨む。
「本当に?」
「うん、本当。あ、そうだ。ゼンおにーちゃんたちが持ってきてくれたお菓子食べようか?
お茶入れてみんなで一緒に食べよう! ねっ?」
 白雪が小さなゼンを連れて部屋を出る。
 騒ぎを聞きつけたミツヒデ、木々、オビがかけつけていた。部屋に残されたゼンを見つめる。
「どうしたの!?」
「どうしたんですか? 主?」
 3人はゼンに何があったのか聞く。
 白雪に自分の気持ちを伝えたが、白雪は妃として王宮に来ることは拒んだ。
 ここで静かに暮らしたいと涙ながらに言われたところに、小さなゼンが入ってきたと説明した。
「すまない、ゼン。まさか小さなゼンが二人の話を聞きに行っているとは思わなかった。
俺たちは、かくれんぼしていた……」
 小さなゼンにかくれんぼがしたいと言われ、木々、ミツヒデ、オビの3人は家の中で身をひそめていた。
 なかなか見つけに来ないと思っていたらこの騒ぎだ。
「自分が鬼をやると言ったのはそういうわけだったのね」
「頭いいな。小さいゼン。俺たちまんまと騙された……」
 オビがガックリと肩を落とす。
「お、俺は嫌われたか?」
 ゼンは震えながら側近たちに問う。
 3人の側近たちは何も言えず固まる。
「す、すまないゼン。俺たちのせいだ」
「ごめん、ゼン。小さなゼンをちゃんと見ていなくて」
「すみません、主」
 三人三様に主人に頭を下げる。
「ど、どうしよう……ゼンに嫌われた……」
 息子に嫌われて真っ青な顔でその場で立ち尽くすゼン。
 気まずい空気が4人の間には流れていた。
 数分後、白雪に呼ばれ、皆でお茶をすることになった。
 白雪が用意してくれたお茶と土産に持って来たお菓子を皆で食べた。
 口に合ったのか、小さなゼンはお菓子を次から次へと口へ運ぶ。
 だが食べている間、小さなゼンはずっと大きなゼンを睨んでいた。
 ゼンにはお菓子の味もお茶の味もまったく分からなくかった。

「じゃあみんな、また来てね! ほら、ゼンもみんなに手を振って!」
 白雪は小さなゼンの手を取り無理やりに手を降らせる。
 ゼン達が持って来たお菓子を食べて小さなゼンの機嫌は少し直ったようだが、
まだゼンを睨んでいた。白雪の作ったような笑顔も心に痛い。
「お邪魔しました。またね!」
 木々が笑顔で手を振る。男三人も引きつった笑顔で手を振った。
 白雪に言われ小さなゼンはしぶしぶ4人に向かって手を振っていた。

 ゼン達一行の姿が見えなくなり玄関の扉を閉めると、小さなゼンが白雪の服を引っ張った。
「何? どうしたの?」
「ねえ、お母さん。あの人たち悪い人なの?」
「えっ! 悪い人じゃないよ。とってもいい人よ」
 白雪は慌てて否定する。
「じゃあ、なんで泣いてたの?」
「え……」
 泣いているのは目にゴミが入ったからと誤魔化してみたが、そんな誤魔化しは効かなかったようだ。
 小さなゼンは真剣な瞳で白雪を見つめる。
 白雪はその場に屈み、小さなゼンと同じ高さになる。そっと息子を抱きしめる。
「ごめんね、ゼン。あの人たちは悪い人たちじゃない。本当に、本当にいい人よ。それだけは確か……」
 小さなゼンを抱きしめたまま、白雪は小さくため息をつく。
 ――ゼンに妃として小さなゼンも一緒に王宮に戻って欲しいと言われた。
 ゼンがまだ想ってくれていたことは嬉しかった。
 自分だって8年間、一度もゼンのことを忘れたことはない。今でもゼンのことは好きだった。
 だが、王宮に戻るなんて恐ろしいことだ。自分が妃なんて反対する者が必ずいる。
 イザナ陛下だって許してくれるはずがない。
 何よりも、小さなゼンが危険な目に合うことが嫌だった。王宮になんて戻りたくない。
 この森で静かに暮らしてゆきたい……。
 でも、ゼンの気持ちは嬉しい。またゼンのあの優しさと温かさに包まれたかった。そんな思いもこみ上げた……。
 こんな気持ちになる日が来るなんて、この8年間想像もしなかった。
「ゼン……」
 思わず呟いてしまった。
「何? お母さん?」
 白雪は目を開けて小さなゼンから身体を離す。
 ――そうだ。目の前の息子にも大好きなゼンと同じ名前をつけてしまったのだ。
 おかしくて思わず笑ってしまった。
「なんでもない……。そろそろ夕飯作るね。今日は向かいのおばさんから卵を貰ったからオムレツ作るね」
「やった! オムレツだ!」
 小さなゼンは両手を挙げて喜んだ。

***

「どうしようどうしよう。子供に……ゼンに嫌われたどうしよう」
 砦に帰って自室に閉じこもるゼンは同じ場所を行ったり来たりしていた。
「少しは落ち着け、ゼン」
 ミツヒデに諭される。
「そうだ、ミツヒデ。子供に嫌われた時、お前ならどうする?」
 ゼンは真剣にミツヒデに問う。その瞳は真剣そのものだった。
「そうだな、俺なら……」
「俺なら?」
 ゼンがミツヒデのほうに乗り出す。
「うーん、……好きな食べ物とかオモチャを買ってくるとか……
でも、うちの子より白雪の子の方が少し大きいから……何が好きなのか分からない」
「そうか、好きな物か……」
 ゼンが顎に手を当てて考える。
「ミツヒデ、これから街に行くぞ!」
「は?」
 砦を少し下ったところに小さな街がある。お忍びで何回か買い出しに行ったことのある場所である。
「俺一人では何がいいのか迷う。ミツヒデ、お前も付き合え! オビも一緒に来い!」
 主人の命令で街に行くことになったミツヒデとオビ。
 木々にも声をかけたが「私は行かない」とそっぽを向かれてしまった。
 砦を下った街ではおもちゃ屋やお菓子屋などいつもゼンが素通りするような店をじっくり回った。
 ゼンは小さなゼンが剣術を習いたいと言っていたことを思い出した。剣も珍しがって触っていた。
 本物の剣は無理だが、剣術の練習になるような剣をプレゼントしたいと思った。
 小さなゼンの身長にあった剣と、その剣がさせるベルトを購入した。
 剣はもちろんオモチャで何かを切ることはできないが、実際の練習にも使える少々良い物を購入した。
 剣術を習いたいと言っていたのだ。これなら小さなゼンも喜ぶだろう。
 砦へ帰ってきて、留守番をしていた木々に「この剣を買った。プレゼントする。小さなゼンは喜ぶだろう」と得意げに見せた。
 すると木々は冷ややかな目でゼンを見つめる。
「それ……ゼンにあげる前に白雪に確認したほうがいいよ」
「へ?」
 ゼンは間抜けな声を上げる。
「子供の欲しいものと親が欲しいものが同じとは限らない。
ましてやこんな上等なもの、与えて欲しくないって白雪は思うかもしれないよ」
「そ、そんなものなのか……?」
 ゼンは不安そうに木々に聞く。
 木々は静かに頷く。
「小さなゼンは今まで剣術習ったことないんでしょ? 剣術を教えたいって思う親だったら、
そろそろ稽古をはじめてもいい年齢だよ。剣術自体をやらせたくないって考えているかもしれない。
だからゼンにあげる前に白雪に聞いた方がいいよ」
「そ、そうか。む、難しいものだな……ありがとう木々。そうするよ」
 ゼンはその場で何度も頷く。
「……なんだか今の主、子供とお嬢さんに関することだったら何でも言うこと聞いちゃいそうですよね」
 オビはゼンと木々のやりとりを見てミツヒデに耳打ちする。
「そうだな。まあ、父親なんてそんなもんかもしれないぞ……」
 ミツヒデはゼンを見て幸せそうに笑った。
「そうだ、オビ。お前に頼みがある」
「なんですか? 主?」
「よく考えると、あんな森の奥に母一人子一人で暮らしているのは危険だと思わないか?」
「はあ、まあ……そうですね」
 隠れた土地であるし、集落なので他に家もある。主が言うほど危なくはないのでは?
と思ったオビであったが、とりあえず同調した。
「お前もそう思うだろう! 俺たちはもうすぐ王宮へ帰らなければならない。
でも白雪たちの身も心配だ。だからオビ、お前はしばらくこの砦に残れ。残って毎日白雪たちの様子を見に行くんだ」
「はぁ?」
 そう声を上げたのはオビだけではなかった。一緒に聞いていた木々とミツヒデも声を上げる。
「本当は自分が残りたいのだが、そういうわけにいかないから妥協案だ。
王宮に戻ってやらなければならないこともある。だから、オビ、頼んだぞ!」
 オビは肩をポンと強く叩かれる。目の前の主人は満足そうに笑っていた。

***

 数日後、ゼン達は再び白雪の家を訪問する。
 目的は小さなゼンのご機嫌直しと、砦での仕事が終わり、
王宮へ帰らなければならなかったので、その報告だった。
 ゼンはまず白雪に街で買ってきた剣のオモチャを小さなゼンに渡してもいいかどうか確認した。
白雪は、よくできた剣に驚きを示したが、小さなゼンにあげてよいと言ってくれた。
 ゼンは小さなゼンに近づく。前回のように睨んではいないが、警戒している様子だった。
 笑顔でゼンは剣を前に出した。
「剣術を教えると言っただろう。これはプレゼントだ」
「え?」
 小さなゼンが目を丸くして目の前の剣とゼンを交互に見つめる。
「もちろんオモチャの剣だ。切ることはできない。でも剣術の練習をするにはこれで十分だ」
 いつのまにか白雪が隣にいた。
「ゼン、ありがとうは? ちゃんとお礼言って……」
 白雪は息子に微笑む。小さなゼンはゆっくりと剣を手にした。
「あ、ありがとう。……ありがとう、ゼンにーちゃん!」
 小さなゼンは明るい笑顔になる。その笑顔が天使のようにゼンには思えた。
「白雪。今日は挨拶をしにきた。砦での仕事が終わったので、俺たちは王宮へ戻らなければならない」
 ゼンは白雪の真正面に向き合う。白雪もこちらを見つめてくれた。
「そうなんだ……」
「このまま別れる気はない。妃の件、今度は慎重に話を進めるようにする。
8年前のようなことにはならないようにする。だから白雪も前向きに考えてくれ」
「……」
 白雪は無言だった。微かに視線を反らす。
妙な沈黙が流れる中、突然白雪がハッとした顔をする。
「あっ! じゃあちょっと待って、王宮に帰るならあれを……」
 白雪は家の中に走って入って行った。数分後、ゼン達の元へ戻ってきた。
「これ……詩人の門の門番のカイさんとシイラさんに渡してください。流行病の薬です。症状が軽くなると思います」
 白雪から薬の包みを渡される。
「薬がないって言われている流行病だぞ。薬があるのか?」
 ゼンは驚いた表情で白雪を見つめる。白雪はゆっくり頷いた。
「薬草を色々調合して作ってみたの。重症じゃなければ多分効くと思う。
あっ、でも最初に薬室長を通した方がいいかもしれない。
それからカイさんとシイラさんに……今、薬の調合書だけ書いてきます」
 白雪は再び家に戻る。薬室長宛ての手紙をゼンに渡した。
「確かに薬は預かった。薬室長にも必ず手紙を渡す」
「お願いします」
「そうだ、白雪。砦にオビを残していくことにする。
何か困ったことがあったらオビを頼ってくれ。毎日ここにも通わせるようにする」
「はぁ?」
 白雪はオビや木々、ミツヒデたちと同じ反応をした。
「そういうわけで再びお嬢さんの護衛役を預かりました。以後よろしく!」
 オビが手を挙げて軽く挨拶をする。
「そんな……護衛なんていいのに……」
 白雪は呆然としたまま返事をする。
「白雪、手をかしてくれないか?」
 ゼンが白雪に向かって手を差し伸べている。
「手?」
 白雪は右手を上げる。すぐさまゼンにギュッと手を握られる。
次にゼンの顔が目前に迫る。じっと見つめられる。
「ゼ、ゼン……な、何を……」
 すぐ直前にまで迫るゼンに白雪は思わず後ずさりする。じっくり顔を見られたかと思うと、ゼンは目を閉じた。
「よし、大丈夫だ!」
 そう言ったと同時に目を開けた。
「白雪の顔を目に焼き付けた。目をつぶっても白雪の顔が浮かぶ。これでしばらく顔を見なくても大丈夫だ、うん!」
 ゼンは自分に言い聞かせるように言った。
「なっ……何? ゼン?」
 突然手を握られ、見つめられ……驚いた白雪は顔を赤らめる。
「お母さん、顔が真っ赤だよ」
 小さなゼンに指摘される。
「こ、これは赤いんじゃなくて髪が赤いから赤く見えるだけよっ!」
 白雪は頬に手を当てて意味不明な言い訳をする。
「じゃあ、白雪。またね。ゼンがとんでもないことしないよう、ちゃんと見てるからね」
「ゼンのことは任せろ。暴走しないよう止めるのも側近の役目だからな!」
 木々とミツヒデが白雪に言った。
「おい、お前ら……俺のことを何だと思って……暴走ってなんだっ!」
 ゼンが頬を膨らませる。
「お嬢さんの護衛役なんて久しぶりだ。腕が鳴ります!」
 オビが腕を胸の前で降って嬉しそうに言った。
「じゃあ白雪、手紙を書く。オビに届けさせるから、5回に1回くらいは返事をくれ」
「……うん」
 白雪は笑顔で頷く。その隣で小さなゼンは、じっとゼンのことを見つめていた。
「ゼンも今度しっかり剣術を教えてやるからな。また会いに来る!」
 ゼンは屈んで小さなゼンにそう告げた。
「うん、また来てね!」
 小さなゼンは笑顔で手を振る。
 白雪だけでなく、小さなゼンの笑顔もしっかりと脳裏に焼き付け、森を後にしたゼンであった。


7.イザナとゼン


 砦から数日かけて王宮に帰ってきたゼン。早速、兄のところへと足を運んだ。
「珍しいな、ゼン。お前の方から話があるなんて」
 部屋の奥の椅子に座っている青白い顔のイザナに見つめられる。
 今日も兄の状態はあまり良くないようだ。時々、咳き込む姿もある。
 負担にならないよう、話は簡潔に済ませなければならない。
「今日は大事な話があって兄上の元に参りました」
 ゼンの心臓は緊張のあまりドクドクと喉元で鳴っているような気がした。
 上手く兄に伝えられるだろうか? 不安と緊張で喉の渇きすら覚えた。
 言い方によっては、また8年前と同じ事態になる。
 それどころか白雪と子供にも危険が及ぶ可能性がある。それだけは避けたかった。
「なんだ、ゼン」
 イザナは椅子に深く腰掛けたまま、ゆっくりと笑う。
 ゼンは軽く目を瞑る。
 感情的にならぬよう、心を平静に保てるよう、自分に暗示をかけ静かに深呼吸した。
 ゆっくりと目を開けて、兄のブルーの瞳をまっすぐに見つめる。
「白雪を見つけました。7歳になった俺の子供も一緒です」
 イザナが目を見開く。表情から笑みが消えた。
「何だって……」
 咳き込みながらイザナは椅子から身を乗り出した。
 ゼンは白雪を見つけた経緯と子供のことを説明した。イザナは静かに弟の話を聞いていた。
「今度こそ、白雪を妃に迎えます。子供も一緒にこの王宮に呼んで……暮らしたいと思っています」
 イザナはフッと笑う。ゼンから目を逸らし、窓の外を見つめる。
「好きにするがいい……」
「え?」
 イザナがゼンに向き直る。
「8年前、お前を無理やり結婚させて少し後悔をしていた。そんなに赤髪の娘が忘れられないのなら、好きにするがいい……」
 ゼンは拍子抜けする。絶対に反対されると思っていたからだ。驚きのあまり声も出ずゼンは呆然とする。
「またここで反対して、お前にこのまま独身を貫かれても困る。妃の件、認めることとする」
「い、いいのですか? 兄上?」
 あまりにすんなり認めてもらったのでゼンは動揺する。
 イザナは声に出さずに笑う。
「他国の姫や有力な伯爵令嬢を妃に迎えた方が国のためにはなる。それは確かだ。
だが、身分の高い姫を妃に迎えることは、国と国、貴族と貴族の均衡を崩すことにも繋がる。
何の身分も持たない娘を妃にするというのも悪くないのかもしれない」
「兄上……」
 必ずや身分のある令嬢を妃に迎えなければならないと思っていたゼンにとって、
兄がそのような考えを持っていたことに驚いた。
 確かに白雪を妃に迎えれば、国と国、貴族と貴族との均衡は保てる。
国内情勢の良くない今、均衡を保てることは重要かもしれない。
「まあ、お前のことだ。白雪との結婚を反対すれば、『王子の権利を捨てる』などと言い出すのだろう?」
「うっ!」
 図星だったのでゼンは何も言えなくなる。
「ただし……だ」
 イザナがゼンを真剣な瞳で見つめる。
「白雪の妃の件は認める。ただ、子供の件はまだ認めたわけではない。
白雪に子供がいたからと言って、お前の子供だという保証はどこにもない」
 イザナの瞳が光る、表情が厳しくなる。
「だから先ほども説明したとおり、子供の生まれた時期からいって、
俺の子であることは間違いないんです。見た目もそっくりだと木々もミツヒデも言っている」
 ゼンは必死に兄に説明する。
「そんなものは証拠にならん。ゼンの子であるかどうか、こちらで確認をさせてもらう」
「確認? どんな確認ですか?」
 イザナはゼンを見つめてニヤリと笑った。



8. オビと白雪

 ゼンの命令により、オビは毎日、白雪と小さなゼンの様子を見に行くことになった。
ゼンが砦を去った翌日から、森の奥の白雪の家を毎日訪問した。
「お嬢さん、何かやることありますか?」
「うーん、何もない……かな?」
 白雪が不自然な笑顔を浮かべ両手を背中に隠した。
「どうしたんですか? お嬢さん、何か後ろに隠しました?」
「ううん、何も!」
 白雪は後ずさりする。オビは白雪の後ろに回り込み隠した両手を見つめる。
「どうしたんですか? この包帯!?」
 白雪の右手には包帯が巻いてあった。包帯は手の甲から手のひらにかけて、ぐるりと1周まわっていた。
「ちょっと……豆が潰れちゃって……もしよかったら、オビに薪割り頼めないかな? 
春になったとはいえ、まだ夜は寒いから薪が必要で……」
 白雪は庭にある薪の束を見つめる。
「そんなのお安い御用ですよ、お嬢さん。じゃんじゃん頼んでください!」
「ありがとう。お願いします、オビ」
 白雪は丁寧にオビに頭を下げた。
 オビは薪割りをしながら思った。
 やはり主の言ったとおり、砦に自分が残り、
毎日お嬢さんたちの様子を見に行くことは正解なのかもしれない。
 よく見ると、お嬢さんは8年前に別れたときよりも少しやせたように見える。
小さなゼンもどちらかというとやせ型だ。なんとか暮らせてはいるのだろうが、こんな山奥である。
やはり母一人子一人の生活は楽ではないのかもしれない。
 でも、そんな素振りは微塵も見せず、白雪はいつも明るかった。
ここでの小さなゼンとの暮らしに満足しているのだろう。
 わざわざ窮屈な王宮に行かなくても今のままでも充分に幸せなのではないかとも思った。
 薪割りが終わったオビは、白雪に部屋の中へ案内された。
 テーブルには温かいお茶が用意されており、椅子に座るように促される。
「薪割りありがとう、オビ。助かりました」
 白雪は丁寧に頭を下げる。
「いいえ、お安い御用です。いつでも言ってください」
「ありがとう」
 白雪は微笑む。
「そうだ、お嬢さん。早速、主から手紙が来ましたよ。まったく、おととい砦を立ったばかりなのに、
もう手紙が届いた。あの人、道中でこの手紙書いたんだろうな……」
 オビは笑いながら懐にしまってある手紙をテーブルの上に出した。
 白雪は手紙を見つめて固まる。手紙に手を伸ばそうとしなかったのだ。
「読まないんですか?」
「……あとで読む」
 白雪はオビと手紙に背を向け、窓の方に歩いてゆく。
オビに背を向けて白雪は窓から外を見つめる。視線の先には小さなゼンがいた。
ゼンからもらったおもちゃの件を振り回して遊んでいた。
 二人の間に沈黙が流れる。
 ――主はお嬢さんを妃に迎えたいと話したらしいが、
その返事はまだないと言っていた。これからどうするのであろうか? 
 他にもオビは色々白雪には聞きたいことがあった。
ゼンには白雪を傷つけるようなことは聞かないようにと言われている。
 でも一つ、オビにとって、どうしても気になっていることがあった。
「お嬢さん、一つ聞いてもいいですか?」
「何?」
 ――今更聞かなくてもいいと主には釘を刺されていた。
でもどうしても気になる事だった。
 主が聞くとギクシャクしてしまうことであろう。だが、自分なら聞いても大丈夫かもしれない。
 そう思い、オビは少々勇気を出して聞いた。
「8年前、どうして黙って王宮を出て行ったんです?」
 ゼンが婚約させられ、白雪には無期限休暇という名の解雇の命令が出た。
二人は無理やり引き離されたのだ。
 白雪をメイドに変装させ、なんとか二人を会わせたのだが、それが最後の夜となってしまった。
 白雪は何も言わずに王宮を出て行ってしまった。
 あの夜、話の終わった白雪を部屋まで送り届けようと思っていた。
 だが、見張りの衛兵を上手くまくことができず、オビは自室から出られなかった。
無理をしてでも白雪を部屋まで送り届ければよかったと何度も後悔した。
 まさかその夜に王宮を出て行ってしまうなんて思いもしなかったのだ。
 ビは何も言わずに王宮から出て行った理由を聞きたかった。
 白雪はオビに背を向け、窓の外を見つめたまま無言である。
 ――やはり答えてくれないのであろうか?
「その時、お腹に子供がいたからですか?」
 オビは考えられる可能性を言ってみた。
 もし、8年前のゼンが婚約した時点で白雪のお腹に子供がいることがわかったら、
その子の命が狙われるかもしれない。白雪はそう考え、黙って姿を消したのではないかと思った。
「ううん、妊娠がわかったのは王宮を出てからだよ」
 背を向けたまま、白雪は質問に答える。
「じゃあ何で出て行ったんです? 何も言わずに……」
 窓の外から突然ひゅうっと強い風が入ってきた。
白雪の赤い髪が揺れる。オビの頬にも窓から入ってきた風が当たる。
「ゼンのことが好きだったから……」
 白雪は窓の外を見つめたままオビを振り返らずに答える。
「へ?」
 思いもかけない答えにオビは変な声を喉から出す。
「な、なんで……どうして主のことが好きなのに離れようとするんです? 王宮から出て行くんですか!?」
 オビは不思議でならなかった。8年前、主は婚約を解消するのに必死だった。
 なんとか婚約は破棄してお嬢さんを妃に迎えようとしていた。
「ゼンが他の人と結婚するなんて見ていられなかった。
妾という立場でなら王宮に置いてもらえるかもしれなかったけど、そんなのは嫌だった。
ゼンが他の女性と一緒に並ぶ姿を見たくなかった……独り占めしたかったの」
 白雪の声が震える。オビには背を向けた肩は小刻みに震えていた。
「お嬢さん……」
「私がいることで薬室にも迷惑がかかってしまう……。だから王宮を出てずっとずっと遠くにいきたかった。
ゼンが結婚したなんて噂の届かないずっと遠くへ。そしてゼンのことを忘れたかったの……。
ゼンも、私が姿を消せば、私のことなんて忘れちゃうかなと思って……」
 白雪が鼻をすする。
 顔を見なくても泣いていることはわかった。手で涙を拭う素振りをする。
当時を思い出しているのであろう。
 8年前。
 薬室にも白雪の無期限休暇という名の解雇の命令が出た。
薬室長がそれを阻止するため奔走していた。
 優しい白雪のことだ。薬室にも迷惑はかけたくないと思ったのだろう。
 白雪が王宮から去った後、ゼンは無理やりに伯爵令嬢と結婚させられた。
 ゼンに一目ぼれしたという令嬢だったが、それは一時の感情で、長続きするものではなかった。
 性格も合わず、夫婦間は上手くいっていなかった。
 元から体の弱い令嬢だったらしく、4年前に病で早世してしまった。
 ――主はお嬢さんのことを忘れるなんてできなかったはずだ。
 自分もお嬢さんのことを忘れるなんてことはできなかった。
 だからきっと、自分以上に忘れるなんてことはできなかったはずだ。 
 オビは更に白雪に問う――。
「それで、お嬢さんは主のことを忘れられましたか?」
 バタバタバタ。
 窓の外から元気に庭を駆け回る足音が聞こえた。
 小さなゼンが庭をかけてゆく。
 ゼンにもらった剣のオモチャを振り回し、笑い声を上げながら小動物を追いかけていた。
「忘れられるわけないですよね……」
 オビは小さく溜息をつく。
 白雪の目の前にはいつでもゼンそっくりの子供がいる。
 別の名前を子供に付けることもできたはずだ。なのに、名前は『ゼン』だ。忘れられるはずがない。
 白雪は鼻をすする。そして静かに話し始める。
「私はゼンにひどいことをした……。
8年前、ゼンは婚約を解消してくれると言ってくれたのにその言葉を信じないで王宮を出た。
ゼンを忘れるつもりだったのに、やっぱり忘れることができなくて……
勝手に子供を産んで、私は小さなゼンに『ゼン』を重ねて満足していたの。
こんな身勝手な私を、まだゼンは想ってくれるなんて、もうどうしたらいいかわからなくて……」
 白雪は振り返る。頬には涙が幾筋も伝わり、鼻をすすっていた。
 オビは白雪に歩み寄る。赤い頭にてのひらを乗せそっと胸に抱く。
「そんなに深く考えることないですよ。そのまま主の胸に飛び込めばいい……」
「そんなことできない……」
 白雪は首を左右に降る。
「離れていた8年は長いですからね。そんなに急ぐことはないですよ」
 腕の中で白雪は小さく頷く。
「ありがとう、オビ……」
 白雪の赤い頭に軽く手を置いたまま、しばらくお互い無言になる。
「まあ、もしも主の胸に飛び込めなかったら、いつでも俺の胸はあいてますよ」
「え?」
 白雪は顔を上げる。涙に濡れ目でオビを見つめる。
「もうっ! オビってば変わらないんだからっ!」
 白雪は笑いながらオビの肩を軽く押して離れる。オビもつられて笑顔になった。
 窓の外からは、小さなゼンが楽しそうに遊んでいる声が聞こえた。

***

 ゼンからの3通目の手紙が届いた。
 オビは砦から空を見上げる。
 灰色の空は今にも泣きだしそうで、まだ昼だというのに真っ暗だった。
雨が降ると森の奥の白雪の家に行くことも厳しくなってしまう。でも手紙は届けたかった。
「オビさん、今日もお出かけですか?」
 砦の門番に心配され、声をかけられる。暗くなる前には帰って来ると挨拶をして砦を後にした。
 せめて白雪の家に着くまで雨が降りませんようにと、祈りながらオビは馬を走らせた。
 願いが通じたのか、白雪の家にちょうど着いた頃に雨が降り始めた。
 大きな雨粒がオビと馬に次々と当たり、大きな水玉模様を作る。
「オビ! 今日は雨が降るから来ないかと思った!」
 玄関で白雪が雨を拭くための布を持って、驚きつつ迎えてくれた。
「毎日お嬢さんのところへ来るように主人に言われていますからね」
 白雪から布を受け取り、濡れた頭を拭いた。
「今、温かいお茶入れるね。待ってて」
 オビはリビングに通される。
 小さなゼンがテーブルに向かっていた。外は雨なので今日は家の中にいるようだ。
 近づくとゼンは紙に絵を描いていた。
「おっ、上手いなゼン、お絵かきか? それはお母さんと自分か?」
 紙には赤い髪の女の人と同じ髪色をした子供が描いてあった。
「うん、そうだよ。あ、オビも描いてあげるね」
 そういうと黒の鉛筆を持ち、赤髪の子供の隣に人物を描き始めた。
 オビも椅子に座った。
 しばらくすると、白雪が入れてくれた紅茶がテーブルに置かれた。
 淹れたての紅茶を飲みながら小さなゼンは絵を描く様子を眺める。
「はい、できた」
 小さなゼンはオビを見て褒めて欲しいと言わんばかりに笑いかける。
 絵を見ると、赤髪の子供の両脇に白雪と黒髪の男が描かれていた。
 男は黒い短髪で細い目がニヤリと笑っていた。特徴をとらえて上手に描かれている。
 でもこれでは、自分と白雪と小さなゼンが親子のような構図だ……。オビは思わず固まる。
「おい、ゼン。この絵、もう一枚描かないか? 俺じゃなくて、ここに大きいゼンを描くんだ」
「ゼンにーちゃん? なんで?」
 小さなゼンは目をクリクリさせて不思議そうに聞く。
「うーん、なんでもだ。ここには大きなゼンを描いた方がいい。もう一枚描こう!」
 オビがもう一枚新しい紙を小さなゼンの前に出す。
「やだ! 今日はお絵かきおしまい。また今度」
 小さなゼンは首を横に振りながら絵を描く道具をしまう。椅子から降りて白雪の元へ走ってゆく。
「ねえ、雨が止んだから外で遊んできてもいい?」
 まだ空は暗いが、窓の外を見ると雨は止んでいた。
「いいけど、また雨が降ってくるかもしれないから、遠くに行っちゃダメよ。庭で遊んでね」
「わかった!」
 小さなゼンは元気よく外へかけていった。
 部屋に白雪と二人きりになる。オビは懐からゼンの手紙を出した。
「お嬢さん、主から3通目の手紙が来ましたよ。そろそろ返事でも書きませんか?」
 テーブルの上に手紙を置く。台所に立って仕事をしていた白雪はオビを振り返る。
 手紙に視線を落としたが、再び台所仕事に戻ってしまう。
 1通目の手紙は先日渡した手紙だ。
 2通目の手紙は王宮から早馬で届いた至急の手紙だった。
 なんとイザナ陛下が白雪を妃として認めるという内容だった。
 これにはオビも驚き、白雪に慌てて伝えたが、当の白雪はあまり興味がなさそうだった。
 手紙の内容を信じていないのか、王宮には行きたくないのか、溜息をつくばかりで返事は書こうとしなかった。
 2通目の手紙から1週間もたたないうちにこの3通目の手紙が届いた。
 まだ手紙の中身はオビも見ていない。
「せめて手紙を読みませんか?」
 オビは白雪に向かって手紙をひらひらとさせる。
「オビ、読んでいいよ」
 暗い声が返って来る。まったく……と思いながらオビは手紙の封を開けた。
 オビは手紙の内容を黙読する。今回の手紙はいつもよりも厚かった。
 主のお嬢さんに対する想いがつらつらと書き綴ってあるのだろうと思ったのだが、違った。
 読み進めて行くと、ある人物の名前が目に飛び込んできた。その人物の名前にオビは固まる。
「お嬢さん、持っている服の中で、一番いい服を小さなゼンに着させてください」
「は? どうしたの、オビ? ゼンの服は私が縫っているから、いい服も何もどれも同じなんだけど……」
 白雪はお茶のポットを持ったまま振り返る。オビにおかわりの紅茶を入れようとしてくれる。
「じゃあ、買いに行きましょう。うん、それがいい。街に買いに行きましょう!」
「何? どういうこと?」
 白雪が目を丸くして聞く。聞かれたオビはもっと目を丸くしていた。
「この森に……この家にハルカ公爵が来ます。もう王宮を立たれてこちらに向かわれているそうです」
「え……」
 白雪は手に持っていたポットを落とす。
 ガシャリと大きな音を立てて床に落下し、ポットは見事に割れた。
 ポットを持った姿勢のまま、白雪は固まっていた。



9. 親子鑑定

 3通目の手紙を読んだ数日後にハルカ公爵が白雪たちの住む森に到着した。
 ゼンも一緒でその他に3人の検査官を名乗る男性たちも一緒であった。
 白雪はオビと一緒に家の前に立ち、ハルカ公爵一行を出迎える。
「ハ、ハルカ公爵。お久しぶりです。こんな遠いところまで来ていただいて申し訳ありません」
 白雪は額が太ももにくっついてしまうのではないかと思うくらいに深々とお辞儀をする。
「うむ、久しぶりだな」
 ハルカ公爵は不機嫌そうであった。元からあまり得意な人ではなかったので白雪は緊張する。
「息子のゼンです。この度はこのようなことになってしまい申し訳ありません」
 小さなゼンは白雪の後ろに隠れる。正装した貴族の男性など見たことがなかったのである。
「白雪、すまない……突然訪問することになって……」
 ゼンは申し訳なさそうに言った。
「ううん、大丈夫。あれ? ミツヒデさんと木々さんは一緒じゃないの?」
 側近であるミツヒデと木々の姿がなかった。おかしいと思い白雪は聞いた。
「王宮を出るときに子供が熱を出したので、今回二人は置いてきた。
ミツヒデが無理やり供をしようとしたけど、病気の時は子供に付いていてあげないとな……」
「そうなんだ……お子さん大丈夫かな?」
「ああ、こちらへ来る途中、ミツヒデから手紙があって子供の熱は下がって快方に向かっていると書いてあった。
白雪によろしくって言ってたぞ」
「そうなんだ、よかった」
 白雪は胸を撫で下ろす。
「どうぞ、狭いですがこちらへ」
 白雪はハルカ公爵と検査官を名乗る3人を家へ案内した。


 ハルカ公爵の他に3人の男がついてきた。
 皆、40を超えた中年の男性だった。神経質そうな細身の白髪頭の男、
それとは対照的に温和そうな太めの黒髪の男。もう一人はスケッチブックを持った細い目の男だった。
腰からは様々な色鉛筆が入ったケースがぶら下がっている。
「これから親子鑑定を行います」
 細身の白髪頭の男が言った。
「親子鑑定?」
 白雪が目を丸くする。
「すまない白雪……少し付き合ってくれ……」
 ゼンは片手を顔の前にあげて、申し訳なさそうに言った。
「はあ……いいですけれど、どんなことするんですか?」
 細身の白髪男と太めの黒髪の男は親子鑑定の検査官だという。
 スケッチブックを持った目の細い男は書記と絵師を兼ねた同じく検査官だという。
「ほぉ〜これは殿下にそっくりだ。なるほど、殿下の御子だと言っても誰もが信じるであろう」
 太めの黒髪の男が小さなゼンを見て頷いた。
「見た目だけでは決められません。根拠に基づいて検査するのが検査官の役目です。まずは鼻の穴の形を見ます」
 細身の白髪男が言った。
「鼻の穴!?」
 白雪が口と鼻に両手を持ってゆく。そのままゼンを横目で見つめる。
「あと耳の形も見るそうだ。親子は鼻の穴の形と耳の形が似るそうだ」
 ゼンがそっと白雪に解説する。
「そ、そうなの?」
 白雪はしぶしぶ納得する。
「じゃあ、僕。まずお名前は?」
 黒髪の太った検査官に小さなゼンは名前を聞かれる。
「ゼンだよ!」
 小さなゼンは元気よく答える。
「はい、ゼン君ですね。母親の未練が名前に見受けられると……」
「ちょっと! 余計な事言わないで! 書かないで!」
 白雪が激しい剣幕で黒髪の検査官の腕を掴む。
「ああ、すみません」
 黒髪の検査官はニヤニヤ笑いながら続ける。
「ゼン君は何歳かな?」
「7歳だよ」
「7歳ですか……7歳にしてはお小さいですね。でも元気いっぱいと……」
 黒髪の検査官は小さな声で呟く。
「じゃあ、ゼン君。ちょっとお鼻を見せてもらえるかな?」
 黒髪の検査官はゼンの顎に触れて、上を向かせる。
「おはなって……お鼻? お花?」
 小さなゼンは自分の鼻と庭に見える花を指さす。
「お顔のお鼻のほうだよ。ちょっと失礼しますね……」
 黒髪の検査官は小さなゼンの鼻の穴を下から覗き込む。
スケッチブックを持った絵師が隣でスケッチをする。
「んんっ……、お鼻いじられるとくすぐったいよ……」
 小さなゼンはくすぐったさに椅子に座ったまま足をばたつかせる。
「んー! くすぐったいっ……ハックション!」
 小さなゼンは思いっきりその場でクシャミをする。
 黒髪の検査官とスケッチブックを持った絵師に思いっきり唾を飛ばしてしまった。
「ちょっとゼン、何してるの! 申し訳ありません。失礼いたしました」
 白雪は慌ててハンカチを持って検査官の顔を拭く。
「だ、大丈夫です」
 二人の検査官は苦笑いしながら白雪に顔を拭かれる。
「ゼン! くしゃみをするときは口を手で塞ぎなさいって、いつも言ってるでしょ!」
「だって、くすぐったかったんだもん」
 小さなゼンは白雪に怒られても全く反省の色はない。
「では……次に行きます。次は耳の形です。横を向いてください」
 検査官たちに横を向かされる。
「耳のね、耳介といって軟骨の部分が親子で似るんですよ。ちょっと失礼しますね」
 黒髪の検査官は小さなゼンの耳に触れる。
 耳にかかる赤い髪を分けて軟骨部分を見えるようにする。
「や〜、耳もくすぐったいよ。触らないでぇ〜」
 小さなゼンは笑いながら身をよじり、検査官から逃げようとする。
「ふふっ、くすぐったぁ〜い!」
その時だった――。
 バターン!
 椅子ごと小さなゼンが倒れる。椅子と一緒にゼンが床にうつ伏せになっていた。
「ゼンっ!」
「おい、大丈夫か?」
 白雪とゼンが立ち上がる。
「ひいいい! ゼン殿下の御子にお怪我があっては大変なことにっ!」
 検査官が慌てて小さなゼンを起こす。
「あいててて、転んじゃったよ」
 小さなゼンは笑いながら起き上がる。
「大丈夫でございますか?」
 検査官が怯えながら聞く。
「うん、大丈夫」
 椅子を自分で起こして再び座る。
「はい、次はお耳なんでしょ?」
 小さなゼンは自ら耳を見せて検査官に協力する。
 検査官に耳を触られてくすぐったそうにする小さなゼン。「うふっ、うふふっ」と笑いながら楽しそうに鑑定を受けていた。
「殿下、失礼します。今度は髪質を確認します。3人並んでこちらにお座りください」
 小さなゼンを挟んで両脇にゼンと白雪が座る。
「失礼いたします」
 検査官は小さなゼンと大きなゼン間に立つ。二人の頭頂部に手を乗せて、
同時に頭をかき回すように撫でる。次に小さなゼンと白雪の間に立ち、同じように二人の頭をかきまわす。
「わああああ、何これ? 僕もお母さんもゼンにーちゃんも、みんな、いい子いい子されてるねぇ〜。きゃははは」
 小さなゼンは白雪とゼンも同時に頭を撫でられている光景に喜ぶ。
「オビもいい子いい子しないの〜? きゃははは〜」
 小さなゼンは頭を撫でられ親子鑑定ご機嫌であった。
「お、俺はやらなくて大丈夫だよ……」
 オビは苦笑いをしながら丁寧に断る。
「髪質はゼン殿下似です。間違いありません。髪色は言うまでもなく母親似。
でも子供のほうが少し薄い色です。ゼン殿下の銀髪の色が入っていると思われます」
 白髪のやせた検査官は書記に伝える。
「最後にゼン君の似顔絵を描かせてください。失礼いたしますね」
 スケッチブックを持った絵師は小さなゼンの目の前に立つ。
 慣れた手つきで小さなゼンのスケッチをしてゆく。
 その様子を小さなゼンは興味深げにじっと見つめていた。
「すごいねぇ〜おじさん。絵が上手いね」
「ありがとう。あっ、もうすぐ描き終わるから、もう少しじっとしててね」
「うん!」
 小さなゼンは元気よく頷く。
 王宮専属の絵師なのだから絵が上手なのは当たり前である。
 だが、そんなプロの絵を見たことがなかったので、小さなゼンは珍しくて仕方がないようだ
「はい、終わり。もう動いていいですよ」
「僕もね、絵を描いたんだよ。ちょっと待っててね。」
 小さなゼンは部屋の戸棚にある引き出しを開ける。一枚の紙を持って来た。
 絵師と一緒に小さなゼンの描いた絵を白雪とゼンも覗き込む。その後ろからオビも見ていた。
 紙には赤髪の女性と子供と銀髪の男性が描かれていた。
 誰が見ても白雪と小さなゼンと大きなゼンである。
「これ……俺か?」
 ゼンが恐る恐るたずねる。
「そうだよ。僕とおかーさんとゼンにーちゃん!」
 小さなゼンは大きなゼンを見てニコリと笑う。
「あら? いつ描いたの?」
 白雪が聞いた。
 オビは後ろから絵を覗き込む。小さなゼンはちゃんと描いてくれたのだ。
 オビの代わりにここにゼンを描けと言った約束を覚えていたのだ。
「素晴らしい。お上手ですねぇ〜」
 絵師はしみじみと絵を見つめて笑顔になる。細い目が線のようになる。
 ゼンが絵を見て肩を震わせていた。嬉しいのか、今にも泣きそうな顔をしていた。
「この絵、ゼンにーちゃんにあげようか」
 オビが小さなゼンの肩を叩く。
「うん、あげるよ。ゼンにーちゃん」
 小さなゼンはゼンに絵の描いた紙を渡す。
「く、くれるのか?」
「うん」
 小さなゼンは元気よく頷いた。
「そうか、ありがとう。ありがとう」
 ゼンは潤んだ瞳で絵を受け取る。
 小さなゼンはオビを見て笑う。
 オビも小さなゼンに向かってウインクを送った。


 親子鑑定が終わり、ハルカ公爵とゼンと白雪の3人で話をすることになった。
 小さなゼンはオビに預け遊んでもらっている。
 今度はかくれんぼしないよう、剣を使って外で遊ぶことにした。
 ハルカ公爵とゼンが並んで座り、向かい合わせに白雪が座る。
「鑑定士による結果、君の息子はゼン殿下の息子と認められた。イザナ陛下に報告させていただく」
 ハルカ公爵が厳しい顔つきで告げた。
「は、はい」
 白雪は緊張と恐縮のあまり声が裏返る。これから何を言われるのだろう。
「まさか君が殿下の御子を産んでいるとは思わなかった……」
 ハルカ公爵は眉間に皺を寄せる。どう考えても不機嫌そうに見えた。
「す、すみません……」
 白雪は俯き小さな声で謝る。
 3人の間に微妙な沈黙が流れる。
 沈黙を破ったのは最年長のハルカ公爵だった。
「イザナ陛下は君がゼン殿下の妃でも構わないと仰っている。初めて聞いた時は驚きで私も大反対してしまった」
 ゼンが公爵を驚きの表情で見つめる。白雪は俯いたままであった。
「王子の妃となる者は相応の身分が必要だと思っていた。だが今、流行病が蔓延し、国内が不安定だ。
殿下がどんな姫君を迎えるかはどこの国も注目している。
だが、どんな姫君を迎えても、快く思わない貴族は必ず存在する。そういう者が謀反を企てる可能性もある。
イザナ陛下が仰るとおり、国と国、貴族と貴族の均衡を保つために、
何の身分も持たない君を妃として迎えることも良い選択なのかもしれない。
それに君はタンバルン王家の友人の称号も持っている。君を妃に迎えれば、隣国タンバルンとの友好も保てる」
 白雪は顔を上げる。
 『タンバルン王家の友人の称号』そういえばそんなものもあったのだ。
 すっかり忘れていた。白雪はそのまま顔を上げたままハルカ公爵の話を聞く。
「今、王家には跡継ぎがいない。子供がいるからという理由は、
君には納得できないものかもしれない。だが、今の王家にはその「子」が必要なのだ。
国を……このクラリネスを助けると思ってどうかゼン殿下の妃になって頂きたい」
 ハルカ公爵は白雪に頭を下げる。
 ゼンと白雪は目を見開く。
 公爵の身分を持つ者が何の身分を持たない娘に頭を下げるなんて目を疑った。
「あ、頭をあげてください。公爵!」
「8年前、ゼン殿下には相応の身分の姫君がいいと思い、君にはひどいことをしたと思っている。
薬室への復職も認める。ガラク薬室長が君の調合した流行病の薬には驚いていた」
 ハルカ公爵は懐から手紙を出す。ガラクからの白雪宛ての手紙だった。
「薬室長……」
 封筒には懐かしいガラクの字があった。
「詩人の門の門番、カイとシイラの流行病も白雪の薬で治ったよ」
 ゼンが白雪に言った。
「本当に? よかった」
「流行病の薬の研究も是非続けてもらいたい。
君は息子が王宮内で危険な目に合うのではないかと心配していると殿下から聞いた。
ゼン殿下の血を引く王子だ。それもまったくないとは言い切れない。
だが、危険がないよう最善の努力はこちらで尽くしたいと思っている」
 公爵の瞳は真剣だった。白雪は圧倒される。
「ハルカ公爵……」
「それにもう、ここにいても危険だ……」
「え?」
「王宮ではもう君がゼン殿下の子を産んで、タンバルン国境付近にいる噂が流れている。
このまま親子二人でここにいるのは危険が伴う。
身の安全を確保するという理由で、どうか王宮に来ていただけないだろうか?」
 白雪は黙る。まさかそんな噂が流れていると思っていなかった。
自分はこの森の奥で小さなゼンと静かに暮らしていきたいと思っていた。
だが、運命は……そうさせてはくれないらしい。
「ハルカ公爵」
 白雪はまっすぐに公爵を見つめる。
「なんだ?」
「息子はずっとこの森の中で育ちました。自分がこの国の王子の息子だということもまだ知りません。
王宮での振る舞いや作法などまったく教えていません。それでもいいですか?」
「作法などおいおい覚えればいい。まだ7歳と小さい。これからいくらでも吸収できる年齢だ」
 白雪は背筋を伸し、一瞬だけ白雪はゼンの方を見て笑みを浮かべる。ハルカ公爵の目をまっすぐに見つめる。
「わかりました。薬室への復職も嬉しく思います。息子共々、これからよろしくお願い致します」
 白雪は丁寧に深く頭を下げる。
「うむ」
 ハルカ公爵の気難しい顔がホッとしたのか、少しだけ笑顔になった。
 その横でゼンが胸を撫で下ろす。
 頭をあげた白雪と目が合った。
 白雪はニコリと笑いかけてくれた。


***

 オビが小さなゼンと庭で遊んでいると、家の中からハルカ公爵と検査官たちが出てきた。話が終わったようだ。
 オビは主人の姿を探す。
 また白雪に王宮行きを断られてしょぼくれていないかどうかの確認である。
検査官に続いてゼンも出てきた。穏やかな笑顔である。話は上手く言ったものと思っていいのだろう。
「オビ、ありがとう。ゼン、ちょっと来なさい!」
 白雪が出てくる。息子を手招きして読んでいた。
 白雪は屈んで小さなゼンと同じ目線になる。話の内容までは聞こえないが、
 何かじっくりと小さなゼンに話しているようだ。邪魔をしてはいけないと思い、主人の方へいった。
「主、話はまとまりましたか?」
「ああ、オビ。白雪が王宮行きを了承してくれた。よかった。
ハルカ公爵の説得もあってからこそだ。さすがだな……」
 ハルカ公爵はただのお堅い貴族様というわけではないらしい。
 ここぞという時には頼りになる人物だとゼンもオビも納得した。
「主はこれからどうするんですか?」
「ひとまず砦へ帰る。ハルカ公爵と検査官も見送らなければならない。
白雪とゼンを連れて王宮へ行くのはその後だ。白雪の方もすぐにここを発てるというわけではないからな」
「そうですね……」
「オビはどうする? このまま俺たちと一緒に砦へ帰るか?」
「いいえ、俺はもう少しお嬢さんに付いていますよ。暗くなる前に帰ります」
「そうか、頼んだぞ」
 白雪は今度、ハルカ公爵たちに挨拶をしていた。
 8年前は、お互いに絶対に分かり合えない存在だと思っていたのに、状況というのは変わるものだとオビは思った。
 ハルカ公爵と検査官、ゼンが砦へと戻った。
 家の前には白雪と小さなゼンとオビが残される。
「お嬢さん、よく王宮行きを了承しましたね」
 白雪はオビを見つめる。ふっと笑って前を向いた。
「子供だけよこせって言われたら、この赤い髪を切って、小さなゼンを連れて逃げようかと思ったけどね……」
 肩まである赤い髪を梳きながら白雪は言った。
「そ、それは穏やかじゃないですね。主が聞いたらもう卒倒しちゃいますよ。
タンバルンだけでなく、クラリネスにもバカ王子が一人増えることになる」
「今はラジ王子もバカ王子なんかじゃないよ。もう何も言わないで姿を消すのはやめた。
いろいろな人を傷つけて……最後は自分が一番後悔することになるもの……」
 白雪は赤い髪を指に絡ませたまま空を見上げる。
 オビも一緒に空を見た。
 薄い綿菓子のような雲が少しだけ浮いている真っ青な空がどこまでも広がっていた。
 タンバルンとクラリネス両国に続くこの空は、これから白雪たちにどんな運命をもたらすのか――。
 わからないからこそ、面白く、希望があるのだと――オビは白雪のまっすぐな瞳を見てそう思った。



第三部へ続く


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