ねねの天は赤い河のほとり
〜天河最終回を迎えて
ねね理想図(笑)
「あー篠原先生また新しい連載してるんだ」
近所の貸し本屋さんで何気なく天河の1巻を手にとったのは、1995年7月26日。
(貸し本屋さんの貸し出し履歴に日付が残ってた・笑)
闇パ、海闇からの篠原ファンのねねは、とりあえず1巻を借りました。
「うーん、続きは気になるけど、夢中になるほどじゃかな……。
きっともう、まんがに夢中になる年じゃないのよ」
天河の1巻をサラリと読んで、あまり興味も持たずに貸し本屋さんへ返却。
当時(いや今でも)小説、まんが問わず本は溢れていたから、これ以上、
部屋を本で埋め尽くしたくなかったので、まんがはなるだけ近所の貸し本屋さんで、
小説は図書館で借りるようにしていました。
「この篠原先生の新連載もそんなにハマらないだろう」と軽く見ていたいたねねが
今思えばバカだった。その時は、まさか数年後こんな自分(笑)が
いるとは微塵も考えず、2巻、3巻と新刊が出る度に、貸し本屋さんまで
足を運んでコツコツ読んでいました。
――が、コミックスでザナンザ皇子が死に、シュッピちゃんが崩御。
七日熱が流行し偽イシュタル出現。このあたりから(7、8巻くらい)
「こ、これは面白いかもしれない!」
ねねの天河熱がシュボッ!(☆。☆)発火。
ちょうどその頃、学校を卒業して、就職1年目だったねねは、
慣れぬ社会人生活に、おどおど、そわそわ、イライラの3拍子が重なっていた時期であり、
少コミで天河の続きを読むことが、すごく楽しみでストレス解消一つになっていました。
もちろんこの時のねねにはネットの「ネ」の字も存在していなません(笑)。
しばらくの間、一人寂しく、心の奥底で天河ファンを守り続けていました。
そして……1998年の8月の少コミ。
ねねは篠原先生からのコメント欄に釘付けになりました。
『天河のHPを作ってくれた方、またその存在を教えてくれた方ありがとう』
(こんな内容だったかな?)
て、天河のHPが! もしかしたら仲間が見つかるかも!
「パ、パソコンを買うぞ!」
次の週の日曜日、電気屋さんにねねは走った!
――だが、パソコンについて何の知識もなかったので、買ったはいいけど、
HPの見方が分からない……。購入後2、3週間放置。
これでは買った意味がないと気づき、付属の取扱説明書を見ながら
「天は赤い河のほとり」をキーワードに検索してみると……。
――『かーかのおうち、赤い河倶楽部』があるではないか! 感動!
♪└|∵|┐♪└|∵|┘♪┌|∵|┘♪(←感動の舞)
河のほとり(掲示板)を見ると、こぉ〜んなに天河にハマっている人が!
仲間がいっぱい〜! 嬉しいィ〜! ドキドキしながらページを読みました。
ネット初心者だったので、掲示板に書き込むことも怖くて恥ずかしくて、
約2ヶ月間ROMをしていました。掲示板がパロディ化した頃に、奥底に眠っていた
ねねの血が騒ぎ、10月終わりに初カキコ。11月に初めてオフ会へ。
カキコもオフ会もすごく緊張したことを覚えています。
かーかさんやさおり(ねね専属絵描き女)たちとは、このときにお尻あい(爆)になりました。
仲間を見つけたねねは、その後は90度の断崖絶壁を急降下。
地上に着陸しただけでは留まらず、日本海溝もまっさかさま。
と、いうくらいまで落ちてユキマシタ……(笑)。
その後……
『パロねね』がこの世に誕生(笑)してからは、HPでパロディを大量生産し、
同人誌を作りコミケ参加、ラムセスを追いかけてエジプトにまで飛行。
パロディを考えることも、ページを作ることも、本当に楽しくて、
またそれを読んでくださる方がいらっしゃることが本当に嬉しくて、
皆様に支えられてここまでやってきました。
ねね'S わーるどで一番楽しんでいるのは、きっと管理者のねねです(笑)。
その私の楽しさが少しでも皆様に伝わることを祈りながら、
これまでも、これからもページを作って行きたいと思います。
もちろん、まゆねこっちをはじめ、ゲストの方の作品やさおり(ねね専属絵描き女)のイラストも
なくてはならないものです。ご協力くださった方々ありがとうございます。これからもよろしくね。
天河のおかげで、たくさんの方とお話ができて、楽しい思いをたくさんさせて頂きました。
天河という素晴らしい作品を描いて下さった篠原先生と、みんなが集まるきっかけを作ってくださった
赤い河倶楽部のかーかさんに本当に感謝です。
天河は最終回を迎えましたが、まだ心に温めているネタはたくさんあります。
これからもお時間の許す限り『ねね'S わーるど』にマウスをポインタを運んでくださいませ。
また、篠原先生の楽しいHPが集まっております『篠原千絵リング(非公認)』も
どうぞよろしくお願いします。
天河最終回を迎えて 2002年1月5日 ねね