天河版「リング」
1.薔薇の花
「ねえ、薔薇子姫の呪いって知ってる?」
放課後。殆どの生徒が下校したと思われる教室の一室で、3人の女性徒が
一つの机に集まり話をしていた。
「薔薇子姫の呪い?、何それ?」
「知らないの?、夕梨!?、今、有名な噂だよ。誕生日でも、クリスマスでも
何でもいいんだけど、彼氏が彼女に薔薇の花をプレゼントするとね、
彼女の貰った薔薇の花は、水をあげなかったわけでもないのに、たった一輪を残して
枯れちゃうんだって。薔薇が枯れちゃうだけなら何でもないんだけど、
薔薇の花束を貰った彼女は必ず2週間後に、謎の死を遂げるっていう噂なんだけど…。
この噂知らない?」
葉出ィは笑いながら、冗談半分で夕梨や那鬼亜に話した。
「し、知らない。初めて聞いたよ。葉出ィ」
夕梨の顔が少し曇った。
「ワタクシも初めて耳にしたぞ」
今回の話は、いくら現代版とはいえ、ちょっとルーズソックスの女子高生役は
無理があるのではないか?、と思われる那鬼亜も知らなかったようだ。
「それもね。今まで薔薇の花を貰って謎の死を遂げた子は、
黒い髪黒い瞳の16、7歳の女の子ばっかりなんだって…。なんか気味悪いよね」
夕梨は、ちらっと自分の髪を見た。
「く、黒い髪黒い瞳なんて、東洋人ならみんな当てはまるじゃない。
呪いなんて言うけど単なる偶然なんじゃないの?、葉出ィ」
「だいたいどうして『薔薇子姫の呪い』なのじゃ?『薔薇子姫』というのは
どこからきたのじゃ?」
姫はワタクシじゃ。言わんばかりの那鬼亜が言った。
「さあ、そこまでは噂だからわかんないけど…。あれ?、夕梨?、顔が青いよ。
まさか!、彼氏の隗留に、薔薇の花束でも貰ったの?、そういえば昨日、
誕生日だったよね」
「か、隗留は、年の数と同じ本数の薔薇の花束贈るなんて、そんなキザなことしないよ。
からかわないでよ。葉出ィ」
「年の数だけの薔薇の花束なんて一言も言ってないんだけど…。
まぁどうでもいいや。そろそろ帰ろうか。もう暗くなってきたし」
「そうだね。帰ろう」
3人は、鞄を持ち?教室を後にした。
「ナッキーは勿論、ウルヒ爺のベンツでお出迎えよね」
「勿論じゃ。ワタクシは女王様だからな。では皆の者、明日も会うこと楽しみに
しているぞ。さらばじゃ!」
「じゃあね。バイバイ、ナッキー」
夕梨と葉出ィは、那鬼亜の乗ったベンツを見送った。
2人の視界から、ベンツがだんだん豆粒のように小さくなるのを見て
「ナッキーは、何千年たってもナッキーよね」
葉出ィと夕梨は顔を見合わせた。
***
バタバタバタバタ。家に帰った夕梨は、階段を駆け上がった。
バタン。勢いよく夕梨は自分の部屋のドアを開け、窓のほうを見た。外は夕暮れ。
部屋には、ほのかな茜色の光が射し込んでいた。
夕梨にはそんな夕日など、どうでもよかった。
夕梨が部屋に入り、真っ先に見たものは、窓越しに飾ってある一輪の薔薇であった。
昨日までは、薔薇は17本あった。夕梨の年の数だけの薔薇である。
水もあげたし、きちんと昼間は光合成のできるよう、陽の当たる窓際にも置いた。
なのに、たった一輪を残して、隗留から、誕生日プレゼントに貰った薔薇は、
一日で枯れてしまったのである。隗留から貰ったせっかくの薔薇である。
一輪残して、枯れてしまったなどとは隗留には、言えなかった。
「葉出ィの言ってた噂って。まさかホントじゃないよね」
夕梨は一輪の薔薇の花を見つめながら、自分で自分を慰めるように言った。
しばらくじっと薔薇を見つめているとなんだか、真紅の薔薇が貰ったときより赤みを
増しているような気がしてならなかった。まるで酸素を十分含んだ
動脈血のように…。新鮮で生々しく、生きているような赤だった。
夕梨は、少し考え、枯れなかった一輪の薔薇をすっと取った。
そして、いらない布にくるんで台所の生ごみの中に捨てた。
隗留から貰ったせっかくの薔薇だけど、葉出ィの話を聞いて、やはり気味が悪かった。
偶然かもしれないけど死ぬなんて言われたら、気にしないほうがおかしい。
夕梨はその日、早くにベットに入った。
朝方、夕梨は夢を見た。砂漠のオアシスだろうか?沢山の人が、水を求め集まっていた。
オアシスの遥か向こうには、ピラミッドが見えた。日焼けか?
もとからの肌の色か? どちらか分からないが、小麦色の肌をした人々が、
水を汲み、田畑を耕し、生活を営んでいた。
時代はどうやら現代ではないようだ。例えて言うなら、世界史の教科書に出てくる、
古代エジプトのピラミッドの壁画に描かれている人々に似ている。
すると風の流れの乗って、薔薇の花の香りが夕梨の周りに漂った。
薔薇の香りのする方を見ると身分の高そうな軍人らしき男がいた。
腰に剣を挿して、沢山のアクセサリーを、ジャラジャラと身に付けている
その男が近寄ってきた。男が近づくにつれ薔薇の香りは強くなってきた。
パチッ。夕梨は目を覚ました。また薔薇だ。いやだ。夢にまで出てくるなんて…。
夕梨は、気を落ち着かせるために、ふうっと深呼吸をした。
ん? 夢と同じ香りがする! まさか!!! 夕梨は、ガバっと起きあがり、
部屋を見回した。
夕梨は、眩しい朝日の差し込む窓に釘付けになった。窓際には、捨てたはずの薔薇が
一輪挿しにささって、朝日に照らされていたのだ。
暖かいぬくもりの残る布団の中なのに、悪寒が走った。夕梨は、飛び起きた。
転がり落ちたのではないかと思われるくらい騒々しい音を立てて、階段を駆け下りた。
「ママ、昨日私が捨てた薔薇の花。私の部屋に飾った?」
「どうしたの? 夕梨?! 薔薇の花? 花なんてあなた捨てたの?」
朝から慌てている娘に、夕梨の母は驚いていた。
タンタンタン。先ほどの夕梨とは違って、姉の鞠絵が、静かに階段を下りてきた。
「なんなの朝から騒々しい。どうしたの夕梨?」
「おねえちゃん。薔薇の花、私の部屋に飾った?」
「ああ、あんたの部屋の前に落ちてたから、一輪挿しにさして、
あんたが寝てから飾ったけど…。それがどうかした?」
「部屋の前に落ちてた?! 何時頃なの?」
「12時くらいかなぁ。あの薔薇、彼氏から貰った薔薇でしょ。せっかくれたんだから、
大切にしなきゃダメよ」
夕梨は、家族全員に、薔薇の花を、ごみ箱から拾ったかどうか聞いた。
勿論、ごみ箱に捨てたものをそれも、布に包まれ薔薇とは分からないものを、
拾う者などいなかった。
むしろ、植物とはいえ、生きているものを捨てたと分かって家族に、怒られた。
***
「葉出ィ…、実はね」
夕梨は、隗留に貰った薔薇の花のことを話した。
葉出ィは、目を丸くし、信じられない面持ちで夕梨の話を聞いた。
「ま、まさか。本当にあるなんて。それもこんなに近くに…」
「ねえ、葉出ィ。『薔薇子姫の噂』それって誰から聞いたの? 薔薇の花を
貰って本当に死んだ人はいたの?」
「私は、予備校の友達から聞いたんだけど…。なんだか、現実にあると気味が悪いわね。
今日、予備校に行くから『薔薇子姫の噂』、教えてくれた子に、詳しく聞いてくるわ」
「お願い。偶然かもしれないけど、なんだか、冗談や噂で割り切れなくって…」
「分かった。今日電話するね」
薔薇子姫…。もし、その呪いとやらが本当にある呪いだったら、
薔薇子姫という人は、どんな人なのだろう? 勿論、もう亡くなっている人よね。
姫というくらいなのだから、平安時代の貴族のお姫様だろうか?
それともどっかの国の王女様? 夕梨は窓際に咲く、一輪の薔薇の花を
見つめながら考えた。
もう、夕梨は薔薇の花を処分しようなどとは考えなかった。もし、呪いが本当
だとしたら、その薔薇を捨てるなんて、余計呪われてしまうのではないかとも
思ったからだ。
そろそろ、夜11時。葉出ィからの電話はまだない。電話くれるって言ってくれたのに…。
夕梨は深まる夜に、不安を感じた。残った一輪の薔薇は、異様なほどの赤をしている。
、そのとき、携帯の着信音が鳴った。きっと葉出ィだ! 夕梨はそう思い、
着信音の2回目で電話に出た。
「もしもし、夕梨?」
「うん」
「遅くなってごめんね。薔薇子姫の呪いについて教えてくれた子に詳しく聞いたんだけど……」
話しにくそうにしている葉出ィの様子が、電話越しの夕梨からも伺えた。
「何? 薔薇子姫の呪いについて分かったの? 教えて!」
「あ、あの…その子の友達の…友達がね。本当に彼氏から薔薇の花を貰って…、
ちょうど2週間後に死んだんだって。薔薇を貰ってから、2週間後の朝、
冷たくなってたとかって…。詳しく聞いてもらったんだけど、その亡くなった子は、
薔薇を貰った日から変な夢を見たそうだよ。なんか、ピラミッドが出てくる夢だとか…。
亡くなる1、2日前には、ちょっとノイローゼ気味になってたとかって言ってたんだけど…。
夕梨は、ピラミッドが、出てくる夢なんて見てないよね」
葉出ィは、夕梨に、同意を求めるように聞いた。
「ピラミッド……」
夕梨は、呆然とした。ピラミッド…今日の朝、ピラミッドの夢を見たのだ。
「夕梨? どうしたの? 聞いてる? 夕梨!!!」
「葉...出ィ...。私、ダメだ…。きっと薔薇子姫の呪いにかかってる。
今日、ピラミッドの夢見たもの。砂煙の舞う大地に大きなピラミッドがあった夢…」
「ええっ?! 本当なの?」
夕梨は、ショックでそれ以上話すことはできなかった。受話器越しの葉出ィからも、
夕梨の動揺している様子が、手に取るように分かった。
「夕梨。今からそっちいくから。待ってて。そんなに深刻にならないで! 元気だして!」
電話が切れて、数十分後に、葉出ィは来た。
夕梨の顔は、ショックと恐ろしさのせいであろうか? いつもの白い肌に増して
更に白くなっていた。
「大丈夫? 元気だして! 本当に隗留から貰った薔薇の花は、一輪を残して枯れたの?
本当に、ピラミッドの夢は見たの?」
「う…ん」
夕梨は、まるで魂がぬけてしまったかのようにうつむき、呆然としていた。
「とにかく、薔薇をくれた張本人。隗留に、その薔薇はどこで買ったのか。
どうして薔薇をプレゼントしようとしたのか。呼び出して、聞いてみよう。ねっ。
まだ、呪いが本当だと決まったわけじゃないんだし」
葉出ィは、夕梨から隗留の電話番号を聞き出し、ショックを受け呆然としている
夕梨の代わりに隗留に連絡を取った。
隗留は事情を聞いて飛んできてくれた。今回は、夕梨に薔薇を贈ったキザな男役の隗留。
古代だろうが、現代版だろうが、隗留のカッコよさは変わらなかった。
容姿端麗、才色兼備。この四文字熟語は普通、女性に使うものだが、
男である隗留に使ってよいと言われたらまさに、その言葉は似合う凛々しい青年だった。
葉出ィは、夕梨の代わりに事情を説明した。始めは、信じられないような表情で
聞いていた隗留であったが、深刻な顔をしている夕梨と、真剣に説明する葉出ィを
見ていると信じざるを得なかった。
「どうして夕梨に、薔薇の花をプレゼントしようと思ったの?」
「いや、本当は夕梨の好きな花。百合を、年の数だけプレゼントしようと思っていたんだ。
でも何故か、花屋に行ったら、薔薇の花が目に付いて…。百合の花を買うと
心に決めていたのに店を出たら、薔薇の花を夕梨の年の数分だけ持っていたんだ。
私も、薔薇よりも百合が好きだからどうして薔薇を買ったのだろう?
と不思議に思ったが…。真紅の薔薇も悪くないと思って、そのままプレゼントしたんだが…」
「薔薇を買ったのは、無意識ってことか…」
葉出ィは、謎を解き明かすシャーロックホームズのように顔をしかめた。。
「とにかくもう遅いし、とりあえず明日から、考えよう。まだ呪いが本当だって
決まったわけじゃないんだし。夕梨、一人で大丈夫?」
「ん…」
夕梨は、不安そうな目で葉出ィを見た。
「そうだ!一人で眠れるか?私が側についているぞ」
ちょっと目じりの下がった隗留が言った。
「ゴメン隗留。今はそんな気分じゃないの。葉出ィ、今日うちに泊まってくれる?
なんだかやっぱり一人で眠るのは怖くって…」
「うん。いいよ」
夕梨を心配する葉出ィは、夕梨の家に泊まることにした。
眠るのが怖かった夕梨だったが、葉出ィが側にいてくれたので、
心なし安心して眠ることが出来た。
やはり朝方、夕梨は、エジプトのピラミッドの出てくる夢を見た。
今度は、昨日の夢で身分の高そうな軍人らしき男性が、戦車隊を率いて、
何処か遠征に出かけるような様子だった。男は、薔薇模様の腰巻を巻き、
軍をまとめている模様だ。数千の騎馬隊は、きれいに、餌を見つけ巣に運ぶアリのように
列をなし、列の先頭は、豆粒のように小さく小さく見えた。
翌朝、夕梨と葉出ィは、いつもどうり学校に行った。
「また、ピラミッドが出てくる夢は見たの?」
「うん。ピラミッド…。というより、あれは古代のエジプトかなぁ?
現代じゃなくて、教科書に出てくるピラミッドの壁画があるじゃない?
あの壁画に、似たような格好をした人が、いっぱい出てくるの。今日見た夢は、
大きな戦争に出かけるような夢。馬が何百頭…ううん、何千頭っていて、
戦車隊が何百ってあって、それを率いる軍人を私は目で追ってるの。
薔薇模様の腰巻まいた身分の高そうな軍人…」
「また、薔薇か…、やっぱり薔薇になにか関係あるのかしら?」
夕梨は黙ってしまった。気味が悪くて仕方がないらしい。葉出ィも励まそうと試みたが
もしかしたら、数日後死ぬかもしれないという、大きな悩みを持つものに、
何と言葉をかけたらよいか分からなかった。
とりあえず、いつもの時間に登校し、いつものとうり授業を受けた。
昼休みに、夕梨の携帯が鳴った。携帯を見ると隗留からの着信である。
「もしもし、隗留?」
「おい! 薔薇子姫の呪い、少し分かったぞ。ピラミッドが出てくる夢を見るって聞いて
すこしエジプトの古代史について調べたんだが…。薔薇子姫っていう姫は、
本当に古代エジプトにいたらしい。第19王朝のファラオ、ラムセス一世の側室に、
薔薇子姫という名の妃がいる。電話じゃ何だから、これから詳しく調べてみないか?夕梨」
「分かった! すぐに行くよ」
(ユーリ学校はどうするんだ!? サボリか?BYねね)
2.薔薇子姫
「隗留! 薔薇子姫って、どんな人なの? 本当に私は呪われてるの? 死ぬんじゃうの?」
「まて! 夕梨。少し落ち着くんだ。きちんと順を追って話してやるから」
隗留は夕梨をなだめるように、話した。
「薔薇子姫。この姫は、今から3000年前。紀元前13世紀頃に、ラムセス一世の側室として
本当に存在していたらしい。ラムセスって名前くらいは、聞いたことあるよな。夕梨」
「わかんない」
「そ、即答するなよ。ラムセスと言えばエジプトの歴史上有名人物だぞ。
まあ、有名なのはラムセス二世なんだが…
このラムセス一世はファラオに在位した期間も二年と少なく、あまり資料は残ってないんだ。
だから、薔薇子姫について見つけるのに相当苦労したんだが…。
ツタンカーメンは、流石の夕梨でも知ってるよな?」
「うん。ツタンカーメンなら、聞いたことある」
「よし、ラムセス一世は、ツタンカーメンの三代あとのファラオだ。
まあ、わかりやすく言えばむかしむかしの話だ」
隗留は、まるで幼稚園児に昔話を聞かせるような口調で話した。
「うんうん」
「ラムセス一世の別名は、薔薇将軍というくらいの、それはそれは薔薇好きな
ファラオだったらしい。身につけるものは殆どすべてに薔薇模様が入っている。
屋敷には薔薇園があり、そこでは何百種という薔薇の花が植えてあったそうだ。
まあ古代で言うアンソニーの薔薇園のもっとすごいやつだ。わかるな?」
「分かる、分かる」
「ラムセス一世には、幼少からいつも一緒にいた姫がいたそうだ。
それが薔薇子姫だ。この姫は、エジプト王家の血を引く身分の高い姫だったそうだ。
薔薇子姫は、幼少の頃からラムセス一世に想いを寄せていた。ラムセス一世の好む装い、
好む喋り方…。
薔薇子姫は、自分のドレスや香水、その他考えられるすべてのものを
ラムセス一世に、気に入られるよう薔薇に統一したらしい。
屋敷も、身につけるものもすべて薔薇だったから、姫についた名は、薔薇子姫。
ちゃんと本名があったらしいが、記録には残っていない。
本当にラムセス一世を、心から愛していた姫だったそうだ」
「ふーん。で、当のラムセスの反応は?」
「その反応なんだが…。ラムセス一世は、自分の好きな薔薇を身につけてくれる
薔薇子姫をそれはそれは大切にしたそうだ。
だが…、その頃、エジプトとオリエントの覇権を二分するヒッタイト帝国という
鉄を武器に持つ強国があってな、そこの皇帝のムルシリ二世の妃であるイシュタル
という娘に夢中になってしまったそうだ。
イシュタルに出会ってから、ラムセス一世は、イシュタルの尻ばっかり追いかけて、
薔薇子姫には見向きもしなくなってしまったらしい。そのイシュタルなんだが…」
「イシュタルはどんな人だったの?」
夕梨は、身を乗り出して聞いた。
「そのイシュタルは…、黒い髪、黒い瞳の異国の姫。
誰をもひきつける美しさですべての者を魅了する姫だったそうだ…」
「黒い髪、黒い瞳…」
夕梨の顔が、曇った。そういえば、薔薇の花を貰って謎の死を遂げたのは、
みんな黒い髪、黒い瞳の少女だって、葉出ィが言ってた。私も黒い髪、黒い瞳だ…。
「ラムセス一世は本当にイシュタルに夢中になってしまった。
相手にされなくなった薔薇子姫は、ショックで落ち込み、とうとう病に侵されてしまった。
床に着き、薔薇子姫の命がもう危ない…という時にも、ラムセス一世は薔薇子姫のもとには、
すぐに駆けつけず、イシュタルの尻を追っかけていた。
もともとこのヒッタイト皇帝の妃イシュタルは、ラムセスなど全然相手に
していなかったらしいが…。
薔薇子姫の『冥界へ行く前に、ラムセス様のお顔を見たい』との願いも叶わず、
薔薇子姫はラムセスの心を取り戻すことなく亡くなってしまった。
その後、薔薇子姫が亡くなってから、ラムセスの身にはあまりいいことは起こらなかった。
今まで上手く行っていたはずの政治も軍事も乱れ、飢饉も訪れた。
民衆は薔薇子姫の呪いだと騒ぎ出した。それから、ラムセスも気づいたんだろう。
どんなに薔薇子姫が自分を想ってくれたか…。ラムセスは、相手にされない
イシュタルの尻を追っかけるのは止めて、毎日一輪ずつ、薔薇子姫の墓に、薔薇を供えたそうだ。
しばらくすると、政治も軍事も元の状態に戻り、飢饉も解消された。
その後、薔薇子姫の後を追うようにして、ラムセス一世は、わずか二年の在位で
この世を去ったらしいが…。私の分かることは、ここまでだ」
「そうか…。私の見た夢に出てくる身分の高そうな将軍は、きっとラムセス一世なんだわ。
今やっと気づいたんだけど、私の見るエジプトの夢は、
きっと薔薇子姫の目から見た視野が、私の夢となって出てきているのだと思う。
いつも薔薇の匂いを漂わせた薔薇服を着た身分の高そうな軍人を追っているもの。
……でも、なんで?薔薇子姫は、ラムセス一世の心を取り戻して、
満足して成仏したんじゃないの?どうして3000年も経った未来に、呪いが甦るの?
まだ、黒い髪、黒い瞳のイシュタルが、恨めしいのかしら?」
「さあ…、そこまでは分からないが…。とにかく、舞台はエジプトだ!
日本にいても仕方がない!エジプトのルクソールには、小規模だが薔薇子姫の墓も
残っているというし…。
夕梨!これからエジプトへ、出発だ!」
…と、夕梨の命を救うため、隗留と夕梨は次の日、エジプトへ飛び立つこととなった。
***
「は? エジプトへ行く!?」
葉出ィの口から、1オクターブ高い声が、受話器の向こうから聞こえた。
「うん。薔薇子姫っていうのは、本当にいるんだって。なんでもエジプトに
お墓が真だ残っているとか…。薔薇を貰った子が、亡くなったのって2週間後でしょ。
私が、隗留に薔薇を貰ってから、もう5日も経っているんだもの。
もし、呪いとやらが本当だったら、あと1週間ちょっとしかない…。
エジプトに行っても、何が出来るってわけじゃないかもしれないけど、
何にもしないで、死ぬの待ってるなんてイヤ。私が見る、ピラミッドの夢は
きっと、薔薇子姫が、何か伝えたいんだと思うんだ。
とにかく、エジプトへ行って、薔薇子姫とラムセス1世を見てくる。
だから、葉出ィは、薔薇子姫の噂がどこから出たのかいつ頃から噂が立ったのか、
調べて欲しいの。お願い」
「それは、いいけど…。エジプトへ行くって、急にエジプトになんか行けるの?
飛行機のチケットは?向こうでの宿泊はどうするの?」
「それはね、隗留が、全部用意してくれるって」
「そうか…、隗留は、王子サマだったわね。自家用ジェットなんて朝メシ前よね…」
現代で、皇族というのは、ちょっと活動範囲が狭まるので、隗留は、
どっかの一流企業の社長の息子という設定に、させて頂きます。
(でないとエジプトにまで行ってくれないので。)
「葉出ィ!夕梨はどうしたのじゃ? 昨日も早退して、今日も欠席か?」
次の日の学校。那鬼亜は、夕梨を心配してか、何なのか? いつもいるはずの者がいないことに、
違和感を持ったようだ。
(どうしよう。那鬼亜に、言っていいものだろうか?現代とはいえ、
イマイチ那鬼亜の正体はつかめない…。薔薇子姫の謎を解きに、エジプトへ…
なんて言っていいものだろうか…。)
葉出ィは、考えた。
「あ、あのね。なんだか急にエジプト旅行が当たったらしくって、彼氏としばらくの間
エジプト旅行に行くんですって」
ちょっと?いや、かなり苦しい言い訳かもしれないが、
葉出ィは、エジプトへ行く本当の理由を那鬼亜に言うことは、避けた。
「ほうほう、夕梨はエジプトへ行くのか。あそこは、よいところじゃぞ。
彼氏というと、あの隗留とかという生意気なガキだな。まあ、婚前旅行ということか…。
勝手にしてほしいものじゃの。ワタクシも去年の、今ごろ行ったぞよ。
もちろん、ウルヒと一緒にな。ほほほほほ」
葉出ィのかなり、苦しい言い訳に、那鬼亜は納得したようだ。
「残念じゃったな。エジプトへ行くと分かっていたら、いいものを渡しておいたのに…」
「いいもの? いいものってなあに? ナッキー」
「それは、秘密じゃ。さてと、ちょっと研究室へ行って来る」
那鬼亜は、ロッカーから白衣を出し、無造作に着た。
「研究?ああ、また理科室で、ナッキーの魔法の水の実験ね。何か、新作は出来た?」
那鬼亜は、学校の理科実験室を借りて、お得意の? 魔法の水を研究しているのであった。
「おお、葉出ィ。よくぞ聞いてくれた! 去年から手がけている若返りの水、
『緑の水』が、もう少しで出来そうなのじゃ。葉出ィ、試しに飲んではみないか?
ベビーのような、肌になれるぞ」
那鬼亜は、ここぞとばかりに葉出ィを実験台にしようとしていた。
「あっ…遠慮しておくよ。ナッキー。ちょっと、トイレに行って来るわ」
那鬼亜の、わけわからない怪しい水の実験台にされては、大変だ。
葉出ィは、那鬼亜の前から、姿を消そうとした。
……とそのとき、
「葉出ィ! ナッキー!」
夕梨の声がした。夕梨がエジプトへ出発前に、二人に会いに来たのだ。
「まだ、日本にいたの?夕梨?」
「うん。葉出ィ。これから飛行場に向かうの。旅立つ前になんか、
2人の顔が見たくなっちゃって…」
走ってきたのか?息を切らせながら、夕梨は2人に、笑顔を見せた。
「葉出ィ、例のことよろしくね。ナッキーは、白衣来てるけど、
これからまた例の魔法の水の研究? がんばってね」
葉出ィと那鬼亜を順番に見て言った。
「おお、夕梨。エジプトへ行くのだってな。では、いいものをやろう。
ちょっと待っておれ」
那鬼亜は、教室を出て、白衣をなびかせながら、猛スピードで理科実験室の方へ向かった。
しばらくすると、那鬼亜は赤い紙袋を持って戻ってきた。
「夕梨!この赤い袋の中身で、エジプトの遺跡をみると面白いぞ。
使い方は、袋の中に入っているからな」
「なあに? これ? あっ、それよりも、そろそろ隗留が、迎えにくる時間だ。
じゃあ二人とも元気でね」
夕梨は、後ろを向きに走りながら二人に笑って手を振った。
そんな夕梨の笑顔を見た葉出ィは、一瞬、胸に不安を覚えた。
「気をつけてね。夕梨。早く帰ってきてね」
「夕梨!みやげは、ツタンカーメンまんじゅうとツタンカー麺でよいぞ」
夕梨は、薔薇子姫の呪いの原因の薔薇の花をもってエジプトへ、旅立った。
第三章 エジプトへ
成田空港から、約20時間、やっとのことでエジプト、カイロに着いた。
目的地は、カイロからナイル川をずっと下降に下ったルクソール。
ラムセス1世の眠る王家の谷と、薔薇子姫の眠る王妃の谷である。
カイロ空港に降り立った夕梨と隗留は、休む間もなく、カイロから670km離れた
ルクソールまでの飛行機に乗った。日本から、約一日。こんな遠く離れたエジプトの、
それも古代の呪いなんて本当に存在するのだろうか? 夕梨と隗留は、不思議にさえ思った。
噂の真偽も確かめず、すぐ行動に移してしまったことに、少し後悔の念もあった。
だが、否定は出来ない。薔薇の花は、6日経った今でも、枯れようとせず
生き生きとした赤をしている。
眠りに落ちると、必ずと言っていいほど、薔薇子姫の視野からの夢を見る夕梨。
これも、薔薇子姫の呪いを信じざるを得ない要因の一つだ。
ノイローゼとまでは、いかないが、さすがの夕梨でも、目を閉じ眠るのが怖くなってきた。
熟睡していないせいか、体がだるい。疲れとストレスからであろうか?
息をするにもなんだか苦しかった。
そんな夕梨の、支えになってくれたのはやはり隗留だった。
もともと薔薇をくれたのは、隗留ということもあるが、隗留がいなければ、
エジプトへ行こうなんて、思いきりはつかなかっただろう。
ルクソールへ向かう、飛行機の中で、カイルは飛行場で買ったパンフレットを読み、
夕梨は、その隣で目を閉じていた。
「夕梨、もしかしたら、ラムセス一世の墓は、お目にかかれないかもしれないぞ」
「えっ!? なんで?」
「なんでも、修復工事中だそうだ。さっきカイロ空港で買ったルクソール遺跡の
パンフレットに書いてあった。一般公開は、二ヶ月後だそうだ」
「二ヶ月後…」
もし、呪いが本当だったら、夕梨はあと一週間後に死ぬことになるのだ。
二ヶ月なんて待っていられない。
「おい、そう気を落とすなよ。でも、王妃の谷の、薔薇子姫の墓は、見れるそうだ。
小さいが一般公開されている。元の呪いは、薔薇子姫の呪いなんだから…、
行けば何か手がかりがあるかもしれない」
「う…ん」
夕梨は、心ここにあらずの返事をした。
ルクソールへ降り立った隗留と夕梨。エジプトの暑さは半端じゃなかった。
太陽は、肌を刺すように、ギラギラと強い紫外線と赤外線を、夕梨達に向けて放っていた。
日本と違い、湿気がなくカラっとしている。こういう場所に来ると日本は、
温暖湿潤気候なんだなと感じる夕梨であった。
ルクソール空港からタクシーでルクソール市外へ。観光旅行であるなら、
ルクソール神殿、ルクソール博物館と見て回るところだが、
時間の余裕は、夕梨達にはない。チケットオフィスで、チケットを購入し、
ナイル川西岸にある、王家の谷。次に、王妃の谷へと向かった。
やはり、王家の谷にあるラムセス一世に墓は、修復工事中で、
足を踏み入れることは出来なかった。
「ねえ、隗留。同じラムセスでもラムセス二世の遺跡は沢山あるわね」
「ああ、ラムセス二世は、ラムセス一世の孫だ。さっき通り過ぎた、
ルクソール神殿やカルナック遺跡。他にも、ナイル川をもっと下ったアスワンの方面には、
ラムセス二世の建てたエジプト屈指の大神殿、アブ=シンベル宮殿がある。
アブ=シンベル宮殿をはじめ彼の建てた建築物の壁画には、ヒッタイト帝国と戦った
『カデシュの戦い』の模様が、数多くレリーフされているんだ」
「カデシュの戦い?」
「ああ、ラムセス一世の孫であるラムセス二世と、黒い髪、黒い瞳イシュタルの息子である
ムワタリ王との戦いだ。結果的には、引き分け若しくは、ヒッタイト帝国の勝利だそうだが、
プライドの高かったラムセス二世はエジプトの勝利として壁画を書かせたそうだ。
まあ、ラムセス二世のことなんて、どうでもいいんだがな♪」
隗留は、得意になってカデシュの戦いについて語った。
「なんか、隗留。ヒッタイト帝国が、エジプトに勝って嬉しそうね。
古代の出来事なのになんで?」
「えっ? 嬉しそうに話していたか? 無意識だな…。そんなことは、
どうでもいいんだ。それよりも、さっさと、王妃の谷に向かうぞ。
王家の谷では、何の収穫もなかったのは残念だが…。
そういえば、夕梨、飛行機の中で息苦しいって言っていたがなんともないか?」
「うん、今は平気」
***
王家の谷から車で5分。いよいよ薔薇子姫の眠る王妃の谷に到着だ。
王妃の谷は、王家の谷と違って随分とひっそりしていた。
王家の谷と比べるとかなり見劣りするが、小さな墓が並んでいた。
「王妃の谷は随分、ひっそりしているのね。さっきの王家の谷とは大違い…」
「王妃の谷で、有名なのは、ラムセス二世の寵姫であるネフェルタリの墓や
ラムセス3世の王子であるカエムワセトやセトヘルケプシェフの墓が、有名ところかな?」
「王子? 王妃の谷なのに、王子のお墓もここにあるの?」
「そうだ。歴代のファラオの妃の墓の他にも、王子もここに葬られたそうだ。
歴代のファラオと言っても王妃がここに、葬られるようになったのは、
第19王朝のあのラムセス一世の妃、薔薇子姫以降の妃がここに葬られたらしい。
これは、私の憶測だが、薔薇子姫が亡くなってから、ラムセス一世の周りに
災いが起こっただろう。
ラムセス一世が、自分を省みて、薔薇子姫の墓に薔薇の花を供えるようになったら
災いは治まった。災いは偶然なのかもしれないが、古代エジプト人にとったら、
本当の薔薇子姫の呪いと思えたのだろうな。薔薇子姫以降、冥界に行った妃は、
ここに葬られ、生前と同様に、大切に祭られたんだろうな。きっと」
隗留の目は、何処か遠くを見ており、すっかり古代の世界に
タイムスリップしてしまっているようだった。
「ふ〜ん」
古代史に全く、疎い夕梨は、生返事や相槌しか打てなかった。
隗留と夕梨は、薔薇子姫の墓に行った。王妃の谷自体、
あまりパッとしない墓ばかりだったが薔薇子姫の墓は、更に小じんまりとして、
落ち着きをもった墓だった。
薔薇子姫が亡くなってから約3000年。3000年の間には、戦争、天変地異など、
きっと色々なことが起こっただろう。
だが、薔薇子姫は現世に起こった出来事なんて、
何も気にもせず、ただこの地に静かに静かに眠っているようだった。
薔薇子姫の眠る周りだけは、3000年前と同じ空気が流れ、
同じ太陽が照り付けているようであった。
夕梨達は墓の中に入った。中は薄暗く、これでは、何も見ることが出来ない。
そう思っていると墓の入り口にいた、案内のおじさんが鏡を使って、
墓の中に光を入れてくれた。鏡から反射した太陽光が墓の中に、
まるで光線のように入っていく。まず、墓の壁全体を照らしてくれた。
あまり保存状態はいいとは言えず、かすかに何かレリーフされていることが分かった。
「壁画のほうは全然、見ることが出来ないな」
隗留は、眉をひそめた。
「そうだね。何千年も経ってるしね」
次におじさんは、薔薇子姫の墓の中心部である。薔薇子姫の棺を照らしてくれた。
この中に、今も薔薇子姫は眠っているのだろうか?夕梨は固唾を飲んだ。
「ねえ、この中に、薔薇子姫のミイラはあるのかしら?」
夕梨は、隗留のそでをギュッとつかんだ。
「いや、この中にはないんじゃないかな?ちょっと聞いてくる」
隗留は、案内のおじさんに英語で薔薇子姫が、この中に眠っているかどうか聞いた。
(う〜ん、流暢に英語を話すカイル! かっこいいわ! と思うのは私だけ?BYねね)
「夕梨、薔薇子姫のミイラは、ここにはないそうだ。ルクソール博物館に保管してあるそうだ」
「ねえ! そんなことよりさ。このお墓のすぐ下にある、これって…」
夕梨は、薔薇子姫の棺のすぐ側にある、黒ずんだ枯れた葉っぱのような束を指した。
「これって、ラムセス一世が、薔薇子姫に供えた薔薇の花じゃない?」
隗留は、しゃがみこみジッと夕梨の言う、枯れた薔薇の花らしきものを見た。
すると、案内のおじさんが、すごい勢いで隗留と夕梨に怒鳴ってきた。
日本語Onlyの夕梨には、何がなんだかわからない。
「ど、どうしたの?なんて言ってるの?隗留?」
「あ、ああ、その花のは絶対に触るな。姫の呪いが甦るって言ってる。その枯れた花は
やっぱり3000年前、ラムセス一世が薔薇子姫に供えた薔薇の花だそうだ」
「やっぱり!ホントに?!」
「今まで、備えた薔薇を動かそうとしたものには、災いが起こる。
だから絶対に触るなって叫んでる」
「ちょっと、隗留! 詳しくおじさんに話、聞いてみてよ」
花には絶対に手を触れないと言って、隗留は、おじさんから
薔薇子姫の話を聞くことが出来た。
勿論、英語なので、夕梨やねねにとっては、何を言っているかチンプンカンプンだ。
おじさんと話している隗留の背中を見つめることしか出来なかった。
「おい! 夕梨! 大変なことが分かったぞ。この薔薇の花、動かそうとすると
いつも良くないことが起こるらしい。本当は、もっと空調設備の整った場所で、
枯れた薔薇を保管したいのだが、動かそうとすると薔薇子姫の呪いと言われる災いが降りかかる。
だから、3000年まえからずっと、この場所に、姫の棺の側に置いてあるそうだ。
それともう一つ…、一年ほど前、この枯れた薔薇の花が、何本か盗まれたそうだ。
今に薔薇子姫の呪いが振りかかるって言ってる」
「盗まれた!?薔薇の花が?」
「ああ、30本近くあった花のうち、数本が盗まれたそうだ」
「で、盗まれた花は? 見つかったの?」
「いや、見つかってないらしい。盗まれたままだそうだ」
隗留は、首を振り、夕梨は腕を組んで考え込み始めた。
「一年前…、さっき葉出ィから、薔薇子姫の噂、いつ頃から出たのか調べてもらったんだけど…、
10ヶ月ほど前から広まり始めた噂だって言ってた。時期的にも…合ってるよね。
もしも、薔薇子姫が、ただ黒い髪黒い瞳のイシュタルに、ラムセス一世をとられたことを、
根に持っているだけだったら、きっと呪いは3000年前から続いているわよね。
そんな3000年前からの呪いなら、もっと有名な呪いになっているだろうし…。
薔薇子姫の呪いの噂が立ったのも一年前。薔薇の花が盗まれたのも一年前。
やっぱりこれって繋がりが、あるよね」
二人は、薔薇子姫の墓の前に立って、しばらく黙っていた。
案内のおじさんが隗留に話しかけた。どうやら、王妃の谷の閉園時刻らしい。
薔薇子姫の墓から空を見ると空は茜色に染まり、辺りは暗くなっていた。
王妃の谷に着いた時間が遅かったこともありじっくり、薔薇子姫に墓を調べることは
出来なかったが、とりあえず、ルクソール市内に取ったホテルに二人は帰ることにした。
二人の泊まったホテルは、ナイル川のほとりに立つ高級リゾートホテル。
ホテル内には、大きな温泉プールが2つあり、ナイル川を眺めながら、食事のできる
大きなレストランがあった。日本から持ってきた薔薇の花を
一輪挿しに挿し、窓際に置いた。もちろんのこと、薔薇の花は一向に枯れることなく
艶やかな赤を保っていた。
隗留と夕梨は、とりあえず、ナイル川を眺めながら食事の出来るレストランで、
エジプト料理を堪能した。レストラン内には、新婚旅行だろうか?
若いカップルが沢山おり、もちろん自分と同じ日本人のカップルも何組かいた。
「あ〜あ、これが単なる観光旅行だったら、良かったのに…。周りのカップル幸せそう……。
何でわざわざ、呪いを解きにエジプトまで来なきゃならないの?
私が、何したって言うの!?何にも悪いことしてないのに!」
「夕梨…」
心配そうな顔をして隗留は夕梨を見つめた。
夕梨は、プイッと、隗留から顔を背け、溢れ出てきそうな涙をぐっとこらえて
窓の外のナイル川を見た。悠大に流れるナイル川。ときを超え、時代を超え、
いつも私達、人類…いや生きるものすべてを見守ってきたナイル川。
3000年前からずっと流れているなら、教えてほしい。どうすれば、この苦しさから、
この不安から、逃れられるの? あと数日で、自分は死ぬかもしれない。
これから、二人で、同じ道を歩み、子供を作り、未来への希望は満ち溢れているカップルと
今置かれている自分の立場を比べると、悔しくって羨ましくって仕方がなかった。
私には、まだまだやりたいことが沢山ある。高校だって卒業してないし、
親から自立して、自分で生きてみたい。これから先、いつかは結婚だってしたい。
訳の分からない何千年前の幽霊の呪いに殺されるなんてまっぴら!
生を受けている者の方が、黄泉の世界の者に、呪い殺されるなんて絶対おかしい。
3000年前の呪いなんて、凄く怖いけど、絶対に諦めない。薔薇子姫の呪い、絶対解いてやる!
夕梨は、窓から見渡せるナイル川の流れを、見つめながらそう思った。
「夕梨…。そんな顔するな。私も悲しくなって来る。大丈夫だ。
絶対にお前を死なせたりしないよ。それより、夕梨、明日のことなんだが、
もう一度、薔薇子姫の墓に行って、調べたほうがよさそうだな。王妃の谷の関係者や、
ホテルの人間に、盗まれた薔薇の花について、少しは何か聞くことができるだろう。
それと盗まれた薔薇の花について、何か新聞記事かなんかがあるはずだ。
少し私が調べてみるから夕梨、お前は疲れただろう。食べ終わったら部屋で休んでいろ」
「やだよ。一緒に行く。一人にしないで」
隗留は、過去も新聞が何処かに保管していないか、ホテルの係りの者に聞いた。
ホテル内には過去の、それも一年以上前に新聞なんて保管しておらず、ルクソール市内の
図書館に行けば新聞はあると言われた。夜も遅かったので、二人は明日の朝、
ルクソール市内の図書館に行くことにした。
夜も深まり、夕梨は、また薔薇子姫の夢を見るのが怖かったが、明日も、ハードなので
カイルの腕に抱かれ眠りにつくことにした。眠らなくては、体調を崩す。
そう思い一生懸命、夕梨は眠ろうと心がけた。だけど眠ろうとすると、息苦しくなって眠れない。
頭では眠ろうとしているがやっぱり夢を見るのが怖いのだろうか? 体が眠ってくれなかった。
何度も寝返りをうち、朝方、やっと眠りにおちることが出来た。
***
「夕梨!おい、夕梨!!!」
誰かが自分の体を揺さぶっている。夕梨は、パチッと目を開けた。
「隗留…」
「おい、夕梨!今、凄く、うなされていたぞ。大丈夫か?また夢を見たのか?」
隗留が心配そうな顔をして、夕梨に言った。
夕梨の額には、脂汗が浮いており、顔も青かった。
そうだ。夢! 私は夢の中で、黒い髪、黒い瞳の少女を見た。
ラムセス一世に、抱きかかえられた黒い髪、黒い瞳の少女。
(イシュタルは嫌がっていたが…。)
きっとあれが、ヒッタイト帝国のイシュタルなのだろう。そのイシュタルを、
すごい目つきで、見つめている薔薇模様の衣装を着た、身分の高そうな姫がいた。
顔は、はっきり見えず、鋭い目つきだけが、夕梨の頭には焼き付いていた。
イシュタルに向けらている視線のはずが、まるで自分に向けられているかのように
視線が痛かった。憎しみ、妬み、嫉み、それらをすべて含んだ恐ろしい視線が、
夕梨の体にまとわりついていたように感じた。
「う…ん。大丈夫…。隗留…」
、夕梨は、心配する隗留に、なんとか答えた。
「夢は、見たのか?」
「うん。黒い髪、黒い瞳のイシュタルを見たよ。私に…似てなくもないかも。
そのイシュタルを薔薇子姫は、恐ろしい目つきで睨んでいるの。その視線が、
まるで私に向けられてるみたいで…怖かった」
夜も明けていたので、隗留と夕梨は、起きることにした。
ホテルの簡単な朝食を済ませ、出かける用意をすることにした。
「そうだ! ナッキーから貰った例の物、使ってみようっと」
「ナッキー? ナッキーってあの妙に老けたお前のクラスの友達か?」
「そう、魔法の水の研究をしているナッキー。そのナッキーからこれを、
貰ったんだけど…」
夕梨は、袋からガサゴソと何か取り出した。眼鏡である。
オレンジの太縁のフレームで、レンズはついていなかった。レンズの変わりに、
透明の眼鏡のレンズの形をした水の入った袋が、2つあった。
「ナッキーが言うには、これは、過去を見ることが出来る眼鏡なんですって。
この水の入ったレンズをこっちのフレームに埋め込んで物を見ると、
過去を見ることが出来るんだって。レンズの中に入っている水がナッキーの作った
魔法の水らしいんだけど…。レンズをはめてから、5分しか使えないから
薔薇子姫のお墓に行ったら、使ってみようと思うんだ」
「怪しい眼鏡だな。逆にナッキーに呪われたりしないか?」
隗留は心配そうに、眼鏡を手に取り、眺めた。
***
二人は、王妃の谷のへ行く前に、図書館で、薔薇子姫の墓の盗まれた薔薇の花に
ついての新聞記事を調べることにした。ルクソール市内の図書館の開館時間とともに
入り、隗留は、一年前の新聞をあさった。
夕梨は、英語が全く読めないので、隗留のひっくり返す新聞をただ、
見ていることしか出来なかった。
隣で見ていても、隗留の邪魔になるだけだ。夕梨は、薔薇子姫についてもっと書いて
ある本はないだろうかと思い王妃の谷についての本を探すことにした。
エジプトの古代史関連の本を英語で読めないながらもあさっていると、
HITTAITOと書かれた本を見つけた。夕梨は本を手に取りパラパラとめくった。
あるページに釘付けになった。夢で出てきた、黒い髪、黒い瞳のイシュタルの
姿があったのである。今朝、夢で見た、イシュタルの姿そっくりであった。
ヒッタイト帝国の皇帝ムルシリ二世の墓の壁画に描かれた絵らしく、
イシュタルは、椅子に座っているムルシリ二世の隣に、澄んだ顔をして黒い瞳で、
夕梨の方をじっと本の中から見つめていた。
「隗留!」
静かな図書館だということもお構いなしに、夕梨は大きな声で隗留の名前を呼んだ。
「なんだ? 夕梨?」
「これ見て! 隗留!!! この黒い髪の人、私が今朝見た夢に出てきた
イシュタルそっくりなの」
隗留は、本を覗き込んだ。本の中の黒い髪、黒い瞳のイシュタルと、
目の前にいる夕梨を見比べた。
「なるほど…。これがイシュタルか。…まいったな、夕梨と似てるな」
「ん…」
夕梨は苦い顔をした。ギリギリまで信じたくなかったが、夢で見たイシュタルと
実在のイシュタルがここまで、同じでは、夕梨は信じざるをえなかった。
「こっちも、薔薇子姫の墓に供えてあった薔薇が盗まれた記事が見つかったぞ。
今からほぼ一年前、王妃の谷の係りの者がちょっと目を離したスキに、
薔薇子姫の墓に供えてあった、薔薇の花が数本無くなっていたそうだ。
必死になって盗まれた枯れた薔薇を探したが手がかりナシ。結局まだ、薔薇の花は、
見つからずじまい。地元では、薔薇子姫の呪いが甦ると心配されたそうだが、
呪いらしきものは、起こらなかった。……と記事には書いてある」
「数本?詳しく何本の薔薇が盗まれたか、書いてないの?」
夕梨は、隗留に聞いた。
「残念ながらこれしか書いていない。エジプトの公用語はアラビア語だから、
アラビア語の新聞にはもしかしたらもっと詳しく書いてあるかもしれないが…、
さすがにアラビア語は分からないし…。
とりあえず、王妃の谷の薔薇子姫の墓に行って見るか」
隗留と夕梨は、昨日と同じように薔薇子姫の墓に、向かった。
***
薄暗い薔薇子姫の墓に行くと、昨日と同じおじさんが、昨日と同じように
鏡を使って墓の中を照らしてくれた。
隗留は、盗まれた薔薇についておじさんから、詳しく話を聞いている。
夕梨は、薄暗く見えないなかで目を凝らし、壁に描かれた壁画を、一生懸命見ていた。
「そうだ!ナッキーに貰った、魔法の水の眼鏡を試してみよう。
過去が見えるなんて嘘かもしれないけどダメでもともとで眼鏡をかけてみよう」
夕梨は一緒に持ってきた、ナッキーから貰った魔法の眼鏡を鞄から取り出した。
ナッキーの書いてくれた説明書どうりに、レンズを組み立てオレンジの太縁の眼鏡をかけた。
小さな夕梨の顔には異様にオレンジの魔法の眼鏡は大きく、まるでコナン君のようだった。
夕梨は、魔法の眼鏡で、墓を一面見渡した。するとどうであろう。
さっきまでは、暗黄色の土で出来ているとしか思えなかった壁が、黄金に輝いていた。
黄金に輝く壁には、真っ赤な薔薇が沢山描かれている。
沢山の薔薇の絵が、墓の壁一面を取り囲み、薔薇子姫の棺の後ろの壁には、
男女が横向きで一輪の薔薇の花を、一緒に持っている絵が描かれていた。
この男女がきっとラムセス一世と薔薇子姫なのだろう。夕梨はあまりのきらびやかな、
そして素晴らしい壁画に呆然としていた。
しばらくすると、ザクザクザク。後ろの墓の入り口で、足音がした。
夕梨は足音のした方を見ると、上半身は裸で、腰巻を巻き、剣を刺している男が入ってきた。
あの夢でみた、薔薇子姫がずっと目で追っているラムセス一世だった。
ラムセス一世は、薔薇の花を一輪、手に持っており、薔薇子姫の棺の前に来た。
一輪の薔薇の花をじっと見つめ、棺の前に薔薇を供えた。薔薇子姫に棺の前には今、
ラムセス一世の供えた薔薇のほかに、数十本の薔薇の花が供えてあった。
(ラムセス一世は、本当に薔薇子姫に薔薇を供えたんだ…。)
夕梨は心の中でそう思った。
ラムセス一世は、じっと棺を見つめていた。その表情はとても悲しそうだった。
ふっと、ラムセス一世の姿が消え、黄金に輝いていた壁は、もとの暗黄色に戻った。
魔法の眼鏡の、タイムリミットがきたようだ。
「隗留!」
夕梨は眼鏡をかけたまま、隗留を呼んだ。呼ばれた隗留は、夕梨の方を振り向いた。
「な、なんだ夕梨その眼鏡は! ナッキーから貰った眼鏡をかけたのか?!」
隗留は、夕梨の小さな顔には、不釣合いな眼鏡に少々びっくりしたようだ。
「あっゴメン」
夕梨は、そう言い眼鏡を外した。
「今ね、ナッキーから貰った魔法の眼鏡をかけたんだけどね。本当に過去をみることが
できたの。この薔薇子姫のお墓は、黄金に輝くお墓で、壁には無数の薔薇の花が
描かれているの。お墓の入り口から、私の夢に出てきた、ラムセス一世が入ってきてね。
薔薇子姫の棺の前に薔薇の花をお供えしてた。
ねえ、隗留!きっと薔薇子姫は盗まれた薔薇の花を返して欲しいんだよ。
きっと、盗まれた薔薇の花を返せば、呪いは解けると思うの」
夕梨は、必死な思いで隗留にそう言った。
「こっちも分かったことがあるぞ。薔薇子姫の墓から盗まれた薔薇の花は、
5本だそうだ。盗まれた次の日、必死に誰が盗んだのか探したが、見つからずじまい。
なにせ、枯れた薔薇の花だから、ちょっと触ればボロボロと崩れ落ちてしまうし、
手がかりも何もなかったようだ」
「5本…盗まれた薔薇の花は5本もあったの…」
「薔薇の花を取られた=ラムセス一世をとられた=憎き黒い髪黒い瞳のイシュタル…と
亡くなった薔薇子姫には、思えたのかもしれないな。それで、黒い髪、黒い瞳の少女に
呪いをかけていうる…。そう考えられるな。
盗んだのは、夕梨をはじめ黒い髪黒い瞳の少女じゃないのに、迷惑な話だよな。
とにかく、盗まれた薔薇の花を探して、元に返してやることが呪いを解くカギのようだな」
夕梨は、コクンと頷いた。
盗まれた薔薇の花を探すと言っても、枯れた花なんて単なるゴミとしか見えない。
そんな花をどうやって探したらいいのだろうか? 第一、誰が取ったのかも検討がつかない。
王妃の谷に観光にきた観光客かのしれないし、古代遺跡オタクの研究者かもしれない。
一人で盗んだのか?またどんな人種の者が盗んだかも全く検討がつかなかった。
夕梨と隗留は、目的がみつかったにも関わらず、少々呆然としていた。
エジプトに来てから2日目。夕梨が、薔薇の花を貰ってから、8日経っている。
ボヤボヤしている暇などなかった。とにかく、二人は、、灯台下暗し、
王妃の谷の何処かに、盗まれた薔薇の花がどこかにないか探した。
王家の谷よりはずっと小規模だが、やはりそれなりに広かった。
結局何の手がかりも得られずその日、一日は終わってしまった。
次の日も、盗まれた薔薇の花探しをした。地元の人や警察から、ラムセス一世の妃について、
研究しているといってなんとか情報を、聞き出そうと試みたが、
本当に盗まれた薔薇の花の手がかりは、ないようだった。
夕梨は、昨夜も殆ど眠っていないようだった。眠ろうとすると、息苦しくなり、
ベットに横にはなったけど眠りに落ちることは、殆どなかったようである。
睡眠不足のせいか、顔色が凄く悪い。隗留は、夕梨を心配して薔薇の花を探しながら、
何度も休憩を取った。薔薇の花を貰って今日で、9日目。気ばかり焦ってしまい
やること、空回りしているようだった。
9日目も、何の手がかりもなく暮れていった。残された時間は、後わずかである。
夕梨の行き詰まった心がカイルにもビシバシ伝わってきた。
「夕梨、お前は少し眠った方がいい。昨日だって殆ど、寝てなかったろ」
このままでは、薔薇の花を貰ってから二週間立つ前に、夕梨がダメになって
しまいそうでならなかった。
「分かってる。頭では、眠ろうとしているのよ。けど、眠ろうとすると、
すごく息苦しくて…精神的なものだと思うんだけど、息苦しくて眠れないの」
夕梨は、泣きそうな顔をして言った。
「とにかく、今夜は少しでも眠るんだ。私が隣についていて、うなされていたら
すぐに起こしてやる」
隗留は、夕梨を毛布で包み、フカフカのソファアの上に腰をおろした。
夕梨の頭から抱え込むようにしてそっと夕梨の目を閉じさせた。
隗留の暖かさが安心したのだろうか? しばらく経つと夕梨は、
スヤスヤと心地よく眠ることができた。
数時間経った。隗留も一緒に眠りに落ちてしまっていた。
腕の中の夕梨がもそっと、動いた。
「隗…留…」
夕梨が隗留の名前を呼んだ。
「どうした?また何か夢みたのか?」
「ううん。あの…ね。薔薇子姫の呪い…。どうすれば...いいか分かったような
気がするの…」
夕梨は、目を閉じながら、小さな声で言った。
「どうすれば、いいんだ…?」
隗留も、今までの疲れが溜まっており、起きてはいたが、意識はぼんやりとしていた。
「うん…、今はちょっと眠いから。起きてから…明日の朝…。
二人で呪いを解きに行こう…」
夕梨はそう言い、すうっとまた眠りに落ちてしまった。
「ああ、明日二人で行こうな。まだ時間はある」
隗留も、そう返事を返し、夕梨と一緒に、眠ってしまった。
次の朝、カーテンの隙間から差し込む、眩しい朝日で隗留は目を覚ました。
窓のほうを見ると、あの隗留が、夕梨にプレゼントした枯れない薔薇の花が、
朝日に照らされていた。
隗留は、自分の腕の中の、毛布に包まれた夕梨の顔を見た。
ビクッとした!
夕梨の顔は、真っ青になっており、いつも薄ピンクに色づいている頬も
冷たく血の気がない。
夕梨は、息をしていなかった。
すぐに、夕梨は死んでいると分かった。
天河版「らせん」に続く