天河版「らせん」

第1章 薔薇菌
第2章 呪いの鍵
第3章 再びエジプトへ

第1章 薔薇菌

「夕梨!」、
 いくら名前を呼んでも、ゆすっても、頬を叩いても、夕梨は、再び目を
開けることはなかった。
 夕梨を毛布で包み、抱きしめて眠っていたため、冷えきった夕梨の体に
気づくことが出来なかった。冷えきった体温も一緒に、毛布で包んでしまったのだ。
 誰か助けを…、救急車を…、とにかく誰か呼ばなければいけないと思った。
 勢いよくドアを開け廊下に出た。まだ早朝ということもあって、人の姿はなかった。
 確実に人のいるところ、…一階にあるフロントだ!
 隗留は、一階にあるフロントへ、気が動転しながらも行った。

 ホテル内で、人が死んだ。救急車も来たが、もう死んでいると分かると、
救急車は引き返していった。
 エジプト人の警官が、何人も入り込んだ。夕梨が死んで悲しいとか、
ショックとか、涙を流すとかそんな感情が起こるより前に、浴びるように、
警察から、英語で、事情聴取を受けた。
 勿論、隗留は、薔薇子姫の呪いのことなんて、誰にも話さなかった。
話すつもりもなかった。話しても誰も信じてくれやしないと思ったからだ。
 日本にいる家族とも連絡をとり、夕梨の両親や姉妹が、エジプトにかけつけた。
夕梨は、両親の反対を押し切って、エジプトへ無理やり来たようだった。
懸賞旅行で、エジプト旅行の当たった友達が急に行けなくなったから
変わりに行くという、理由で、エジプトへ無理矢理来たらしい。
(うーん、本当に苦しい理由だ。)
 勿論、一緒に行く友達は女友達。隗留と一緒だったということを知って、
両親の憤慨は、言うまでもないだろう。
 それも娘は、謎の死を遂げた。隗留は、自分の悲しみの前に、両親や姉妹責め、
警察の対応に精一杯で夕梨の死を実感できないまま、二週間が経った。
 謎の死、突然死を遂げた夕梨。彼女の遺体は、すぐにエジプトの国立大学で、
解剖ということになった。
 隗留は勿論のこと、夕梨の家族は、解剖なんて反対した。だが、原因不明の突然死。
司法解剖をしないわけにはいかなかった。仕方なく、異国の地、
エジプトではなく夕梨を日本に返し、日本で司法解剖することで、
隗留も夕梨の家族も納得した。

 飛行機はカイロ空港を飛び立った。窓から、地上を見渡すと、
ギザのピラミッドが3つ見下ろせた。
 高度がどんどん高くなるにつれ、ギザのピラミッドは小さくなり、
窓から見える視界がどんどん広がってきた。視界が広がるにつれ、小さくだけど他に、
幾つものピラミッドを見ることが出来た。そのピラミッドも見えなくなると
エジプトの地は、姿を消し、空が近くなった。
 エジプト、カイロから日本に向かう飛行機の中。やっと一人で考える時間が出来た。
(私は一体、日本から遠く離れたエジプトへ何をしに来たのだろうか?
呪いを解くため…夕梨を救うため?そんなの嘘だ!結局、呪いを解くどころか、
『薔薇子姫の噂』の「薔薇を貰ってから二週間後に死ぬ…」、その二週間も
たたないうちに、夕梨を亡くしてしまった。
 もともと噂だから、それを信じた私がバカだったのか?
いや、本当は心の奥底に、古代の、3000年前の呪いなんて現代になんて、
甦るわけない。そんな気持ちが心の隅にあったのだろう。必死に呪いを解こうと
奔走したつもりだったが、何処かに甘えがあったのかもしれない。
 夕梨は、どんな気持ちで、自分の死が近いことを受け止めたのだろうか?
私は、何もしてやれなかった。何もしてやれないどころか、
私が、呪いの現況の薔薇の花を夕梨にあげたのだ。)
 夕梨の死は、すべて自分にあるような気がした。この世で一番大切に、
一番想っていた恋人を亡くしてしまった。それも自分が原因で…。
 隗留は、そう考えると、自分が悔しくて、我慢がならなかった。
(私が夕梨を殺したのだ。この私が…。)
 隗留は目を閉じ、ギュッと拳を握り締めた。
 喉の奥が、熱くなり痛くなった。肩が震えだし、しだいに、手先がしびれてきた。
あまりの悔しさに、頭に血が上り、血圧が上がったのだろう。
 隗留の目は、真っ赤だった。真っ赤な目には、夕梨が、亡くなって、
初めて浮かべた涙が、溜まっている。下を向けば、涙はこぼれ落ちてしまうだろう。
隗留は、そう思い上を見た。低い飛行機の天井が、涙で歪んで見えた。
上を向いても、涙はおさまらず、隗留の目に溜まった涙は、とうとう、
溢れ出してしまい、ボロボロと頬を伝わり始めた。

 飛行機は、日本に到着した。夕梨の死を悲しむように、空は今にも
泣き出しそうな灰色をしていた。数週間ぶりの日本。
隗留は、じめっとした日本の空気を、思い出した。エジプトのほうが気温が高かったが、
湿気のない分、不快感がなかった。むしろ気温の低い日本のほうが、暑く感じられた。
 夕梨の遺体は、某国立大学に運ばれ、司法解剖されることとなった。
夕梨の家族も同じ気持ちだと思うが隗留は、夕梨が、他の誰かに触れられるなんて、嫌だった。
そのままそっとして欲しいと…、せめて静かに眠らせて欲しいと思った。
 だが、もしかしたら、薔薇子姫の呪いを解く何かの鍵になることが、あるかもしれない。
隗留は、気が進まないながらも、夕梨の死因の結果を待った。

 解剖を担当した、病理医から結果を聞く日が来た。隗留と夕梨の家族は、
大学内の一室に呼ばれ病理医からの話を聞いた。
「はじめまして、娘さんの解剖を担当させていただいた、伊留、場亜煮と申します。
早速ですが、お嬢さんの死因は、呼吸不全による心臓停止です。人間の呼吸を司る、
延髄が、何らかの原因で傷害され、お亡くなりになったものと思われます」
 いかにも、真面目そうな顔をした病理医、伊留という医者は、あまり表情を変えずに
隗留や夕梨の家族に夕梨の死因を説明した。
「先生、夕梨は、今まで至って健康でした。呼吸不全なんて、どうしてそんなことが
起こるんですか? どんな原因で、その…えんずい?が障害されてしまったんですか?」
 夕梨の母が、涙を浮かべながらに聞いた。
「ちょっと…今の時点では、呼吸中枢である延髄が傷害された原因がわからないのです。
彼女の延髄の細胞を取って、今、顕微鏡で調べているところです。
もう少しお待ちください。お母さん」
 伊留が、申し訳なさそうに、言ったとき、コンコンとドアをノックする音がした。
「失礼します」
 研修医だろうか? 若い白衣を着た男が入ってきた。
「伊留先生、これを…」
 若い白衣を着た男は、何か、書類らしき物を、伊留に見せた。
 隗留は、ぎょっとした。その若い白衣を着た男の顔に、見覚えがあったのだ。
「氷室! お前、氷室じゃないか?!」
 隗留は、椅子から立ち上がり驚いて叫んだ。
 夕梨の家族や病理医である伊留はぎょっとして隗留のほうを見た。
 若い白衣を着た男も、びっくりして、隗留の方を向いた。
「お前は…隗留じゃないか? どうしてこんなところに?」
「それはこっちの台詞だ。久しぶりだな。小学校ぶりだろうか?」
「俺は、今、この大学で、病理医になるための研修をしている。
伊留先生の助手をさせてもらっているんだ」
 隗留に、氷室。この二人は、小学校の同級生だった。小学校の5、6年同じクラスで、
一緒に野球をしたりサッカーをしたり、よき遊び相手だった。また二人とも勉強も、
スポーツもよくできたため、よきライバルでもあった。
 小学校の卒業とともに、隗留は、親の都合で海外へ行くことになってしまったため、
小学校を卒業して以来、それっきり二人は、会っていなかった。
(うーん、すごい設定だな。カイルと氷室がトモダチ…。)
 以外な再会に、すっかり話を中断させてしまった、隗留と氷室。二人の積もる話は、
後にして夕梨の話に、戻った。
 結局、今のところでは、呼吸中枢である延髄を傷害された原因は、
わからないということで後日、顕微鏡での結果が出たら、知らせるということになった。

「どうしたんだ、隗留。あの…解剖のあった子と知り合いなのか?」
 隗留は、夕梨の家族達と別れた後、久々に再開した氷室と飲みに行くこととなった。
氷室とも話したかったが、何よりも夕梨の死因について何か、聞けるかもしれない。
 日本に帰ってきてやることは、沢山あったが、氷室からどうしても夕梨について話を
聞きたかったのだ。
「ああ、あの子は、私の恋人だったんだ。エジプトでの…だいたいの事情は、
知っているだろう。
 それよりも氷室!夕梨の死因は、本当は何だったんだ?呼吸不全って…」
「誰にも話すなと伊留先生から言われているのだが…、さっきも聞いたと思うけど
延髄の呼吸中枢の障害による呼吸不全により死亡というのは、本当だ。
ただ、この障害なんだが…」
 氷室は、難しそうな顔をした。
「本当は、延髄の細胞を顕微鏡で見た結果は出ているんだ。ただ、こんな症例は
滅多に見ない特殊な例だったもので、家族には話せなかったんだ」
「その滅多見にない例っていうのは、どういう例なんだ?」
 隗留は、身を乗り出して、氷室に食いつくようにして聞いた。
 滅多に見ない例…そうである。夕梨の本当の死因は、薔薇子姫の呪いだ。
話しても誰も信じやしないだろうから誰にも言わなかったが、本当の原因は呪いなのだ。
 呪いを、どうやって科学的に解明するのか隗留には、興味があった。
「おい、隗留、落ちつけよ。今から話すから。その死因なんだが……。
これから俺の言う事に、文句を言わず従えよ。
 よし!まず、隗留、2、3回深呼吸してみろ」
 氷室は、隗留に向かって、深呼吸するように言った。
隗留は、何故そんなことをしなければならないんだ?という不思議そうな顔をしながらも、
大きく息を吸いこみ肺に空気を取りこんだ。
「じゃあ、今度は息を止めて見ろ」
 隗留は、氷室に言うとおり、口をギュっとむすんで息を止めた。
「よし、息をしていいぞ」
 プハァ〜、隗留は、口を開き、肺の中に空気が入った。
「今度は、心臓を止めて見ろ。出来るか?」
 氷室は、隗留に向かって、真剣な顔をして言った。
「何言ってるんだよ。出来るわけないじゃないか」
 隗留は、からかわれているんだと思って、少し気分を悪くした。
「そうだ、出来ないだろ。でも、呼吸を止めることは出来るんだ。心臓や胃、脳などは
自分の意志で動かす事は出来ない。だけど、呼吸だけは、自分の意思で止めたり
思いっきり吸ったりすることが出来る。勿論、寝ているときは、自分の意思で
呼吸しようと思わなくとも、勝手に呼吸してくれるだろ。『呼吸』という運動は
生命を維持するのに、なくてはならない運動だ。心臓や脳の運動も、肺と同じく
生命を維持して行くのになくては、ならない運動だが、こちらは自分の意思で、
自由に動かす事はできない。つまり、呼吸には、自分の意思で動かすことの出来る
『随意運動』と、自分の意思と全く関係なしで動く『不随意運動』があるんだ」
「だから、何なんだよ。早く要点を言ってくれよ」
 隗留は、氷室の遠まわしな説明に、少しイライラしていた。
「そう、イライラするなよ。つまりは、夕梨という少女の呼吸運動なんだが…
その呼吸の不随意運動の携わる神経が侵されていたんだ。だから、随意的に、
自分の意思で、呼吸しようと思えば、呼吸できるが、眠ったり、不随意的に
呼吸活動するとなると、呼吸が出来なくなってしまう。朝、目覚めたら夕梨という少女は
亡くなっていたんだろう。きっと、意識があったときには、呼吸は出来たのだが
眠ると不随意運動筋は動かない。それで、亡くなったんだろうと考えられるのだが…」
 隗留の表情は強張った。眠ると呼吸が出来なくなる…。確かに、夕梨が亡くなる
4、5日前から、眠ろうとすると息苦しくて眠れないと夕梨は言っていた。
 不随意運動が、出来ない。だから息苦しかったのか!? てっきり眠れないのは
薔薇子姫の夢を見ることへのストレスなんだとばっかり思っていた。
 隗留は、氷室の話を聞いて愕然とした。
「こんな例は滅多にないんだが…言って見れば、『オンディーヌの呪い』だよな」
 隗留は、氷室の口から『呪い』という言葉がでて、ビクッとした。
 薔薇子姫の呪いではないが、『呪い』という単語に、反応してしまった。
「オンディーヌの呪い?」
「ああ、何の神話だか忘れたが、こんな話があるんだ。
オンディーヌという、それはそれは美しい水の精がいたそうだ。
このオンディーヌという水の精はある人間の男に恋をしてしまった。
だが、その男の反応は冷たいものであった。オンディーヌは、悲しみに暮れ、
振りむいてくれない人間の男を想いとうとう水の滴となって、この世から消えてしまった。
これに腹を立てた、水の精の国の王様は、その男から、人間の一切の不随意運動の機能を
奪ってしまった。あわれその男は息をするために、ずっと起きていなければならなかった。
眠ってしまっては、不随意運動は行われないからだ。やがて、疲れ果てたその男は、
眠りに陥り、死んでしまった。
 神話だが、呼吸運動は、随意運動と不随意運動があることを、示唆している話だ」
 隗留は、動揺を隠せなかった。夕梨が、亡くなる前の夜、眠れと言ったのは、私だ。
私が、夕梨を殺したことになるのか…? 隗留は、一点を見つめ呆然としてしまい
ショックで言葉を発することも出来なかった。
「ごめん。当事者のお前に言うことじゃなかった。まだ、恋人が亡くなって
ショックな時期だよな。悪かった」
 氷室は、自分の発した言動に、反省した。
「いや、いいんだ。どんなに想っても、夕梨はもう帰ってこない。
まだ、なにか続きはあるのか?あったら話してくれ」
 隗留は、本当はこれ以上話を聞くのは辛かったが、夕梨のためにも
薔薇子姫の呪いを解くためにも、現実は現実として受け止めなければいけないと思った。
「こっちにも、聞きたいことがあるんだ、隗留。その夕梨という少女は、
亡くなる前日はどうだった?呼吸に、異常はなかったか?」
「ああ、その呼吸のことなんだが、夕梨が亡くなる4、5日前から
眠ろうとすると息苦しくて眠れないと言っていたんだ。こんな話、
信じてくれないかもしれないがお前を信用して話すよ」
 隗留は、氷室に『薔薇子姫の呪い』の話と、エジプトへ行き、エジプトで起こった出来事
を全て、話した。
 医学を志す、氷室にとって、呪いなんて非科学的な事信じてくれないかもしれないが、
全てを、氷室に打ち明けた。
 氷室は、黙って聞いていた。隗留が話し終わると、氷室は、真面目な顔をしてこう言った。
「信じられない話だが、今の俺になら信じられるよ。薔薇ときいてぞっとしたよ。
さっき言った、不随意運動の神経が障害されたっていう事なんだか、この障害された
原因は、何かの細菌なんだ。今日、電子顕微鏡で検鏡したところ、
薔薇の形をした細菌が、不随意運動に携わる神経に、びっしりと
こびり付いていた。この薔薇の形をした菌が、夕梨という少女の呼吸運動を妨げたと
思われる。
 勿論、薔薇の形をした細菌なんて今までに発見されていない。
だから、伊留先生からも、誰にも口外するなと言われているのだが…。
 いつもの自分なら、呪いなんて信じないけれど、今回は信じたくなったよ」
、隗留も氷室からの話を聞いて、ビックリしたし、同じく氷室も隗留の話を
聞いてビックリした。
 やはり、本当に呪いはあるのだろうか?3000年も、大昔の
呪いは現代に蘇るのだろうか?二人は、しばらくの間、黙っていた。
 沈黙を破ったのは、氷室だった。
「その、枯れなかった薔薇はどうしたんだ?今もあるのか?」
「ああ、今もある。これ以上、呪いが広がっては大変だと思って、
出来る限り手元において置くようにしているんだ」
 隗留は持っていたバックの置くから、ガサゴソと薔薇の花を取り出した。
夕梨に薔薇の花をあげてから約一ヶ月、経っていたが、薔薇は枯れることなく、
見事な赤を保っていた。
 氷室はちょっと引いた。
 まさか、原因の薔薇に花を持ち歩いているとは思わなかったからだ。
「お…い、今持っているのか? それが、原因の薔薇か…。
見たところ普通の薔薇みたいだがな」
 氷室は、原因の薔薇を、見ると本当に自分が呪いにかかってしまうのではないかと思い、
少し怖くなった。
「大丈夫だよ。この薔薇を目の前にしたからと言って、呪われたりはしないよ。
呪いのかかる人間は黒い瞳、黒い髪の薔薇子姫の狙った少女だけだ。
 夕梨の姉妹もこの薔薇の花を、見ているはずだが
呪われたりはしなかった。第一、黒い髪、黒い瞳の少女なんて日本にゴマンといるんだし」
 呪われた薔薇子姫の気味の悪い薔薇だけど、隗留にとっては、
夕梨の形見のような気もした。
 赤い薔薇のなかに、夕梨の魂が宿っているのではないかとも思えたのだ。
「これは、自分の推測だが…、薔薇の花を貰ってから、二週間前後で死んでしまうんだろう。
だとすると、細菌感染が、考えられないか?この薔薇から、夕梨の延髄の不随意神経に
こびり付いていた薔薇の形をした菌の親玉がいるとすれば…、夕梨はこの薔薇菌に
感染してしまい、二週間の間にだんだんと、不随意神経が蝕まれ、
ついには不随意的には呼吸は出来なくなる」
「薔薇菌…」
 薔薇子姫なら、薔薇菌くらい作れそうだ。氷室の言うことは、合っているかもしれない。
呪いなんて非科学的なものを科学的に証明できそうだとわかると、少し元気がでた。
「ちょっと、この薔薇貸してくれないか? 扱いには十分に気をつける。
この薔薇の細胞を少しとって電顕(電子顕微鏡)で見てみようと思うんだ」
 氷室は、薔薇の花を貸してくれるように、隗留に頼んだ。
「ああ、頼む。夕梨は、もう戻って来ないが、呪いなんて、得体の知れないものに
取り殺されたなんて私の気が治まらない。これ以上、薔薇子姫の犠牲者なんて出してはダメだ。
呪いは絶対に、解いてやる」
 夕梨の死に打ちひしがれていた隗留であったが、沈んでばかりいても、何にならない。
隗留はそう思った。

第2章 呪いの鍵


「どうして、全然連絡くれなかったの? どうして夕梨は死んじゃったの?」
 日本に帰ってきて、初めて葉出ィと会った。
 薔薇子姫の噂を知る数少ない人物の一人である。
「ゴメン、葉出ィ。心配してくれていたのは、分かる。連絡できなくって悪かった」
 葉出ィの目は、どれくらい泣いたのだろうか? と考えさせてしまうくらい、
腫れ上がっていた。
「やっぱり…夕梨は、薔薇子姫の呪いで死んじゃったの? 
古代の薔薇子姫に呪い殺されてしまったの?」
 葉出ィはヒック、ヒックと言いながら隗留に訴えるようにして言った。
「夕梨は…薔薇子姫の墓に供えてあった盗まれた薔薇の花を探して、
返してあげれば呪いは解けるんじゃないかと言った。盗まれた枯れた薔薇を探すために、
奔走したんだが、結局、薔薇は見つけられなかった。
 もとはと言えば、私が夕梨に、薔薇に花をプレゼントし、最終的に、
夕梨が亡くなった原因も私にあったんだ。どんなに責められても言い訳しないよ」
 隗留は、自分が罪人であるかのような言い方をした。
 葉出ィに、夕梨の死因についての話もした。夕梨の、呼吸不随意神経に
こびり付いていた薔薇菌のこと。細菌感染が考えられること。それら、今日氷室と話したことを、
すべて葉出ィに話した。
「薔薇菌…。じゃあ、薔薇子姫の噂で亡くなった子たちは、
みんな薔薇菌に犯されて亡くなったのかしら?」
 夕梨に、日本で薔薇子姫の噂について調べるように頼まれた葉出ィは、すぐに夕梨の他に
噂で亡くなったとされる女の子に、話を結びつけた。
「そうか、噂になっているくらいなんだから、何人かの夕梨と同じ、黒い髪、黒い瞳の少女は
薔薇子姫の犠牲になっているってことだよな。葉出ィ、薔薇子姫の噂については、
どこらへんまで調べることが出来たんだ? 何か新しいことは、分かったか?」
「う…ん。あんまり分かったことはないんだけど、薔薇子姫の噂を教えてくれた
友達の友達が薔薇の花を貰って、亡くなったって言ったでしょ。
その亡くなった子なんだけど、その子の家には貰った薔薇が、枯れることなく
まだ残っているそうよ。本当は、その薔薇調べにいったほうがいいって
分かってるけど、なんだか怖くって、一人では、調べに行けなかったの」
 葉出ィは申し訳なさそうに、言った。
「私があげた薔薇の花も、枯れずに残っているよ。今、氷室に調べてもらっているんだ。
やっぱり、呪いの大元は薔薇の花にあるようだな。もう、夕梨は戻って来ないが、
薔薇子姫の呪い解いてみようと思っている」
 隗留は、夕梨の亡くなったことを、正面から認め、呪いを解くことを決めた。
「私も出来る限り協力するよ」
 葉出ィは目を真っ赤にしながら、隗留をじっと見つめた。

 翌日、隗留の元に氷室から電話があった。やはり、あの薔薇から、
夕梨の呼吸不随意神経に付着していた同じ薔薇菌が検出されたということだった。
「やはり、そうか…。それよりも調べて欲しいことがあるんだ。
薔薇子姫の噂が本当だったら最近一年間で、夕梨と同じように呼吸不随意神経が犯され、
突然死した少女が、他にも何人かいるはずだ。一人は、身元は分かっている。
その少女たちについて、調べて欲しいんだ。出来るか? 氷室?」
「ああ、それくらいならなんとか理由をつけて調べてみるよ。それと
伊留先生にも、薔薇子姫の噂のこと話てもいいか? 不随意神経に付着していた菌と
同じ菌が検出されたことが、ちょっと伊留先生にバレてしまって、困っているんだ」
 なるだけ、大事にはしたくなかったが、氷室の協力なしでは、薔薇子姫の呪いを
解くのは困難に感じられた。
「伊留先生は、堅物だが、きっと協力してくれると思う。堅物だから信じてくれるか
どうかが問題だが…。とにかく、他に呼吸不全で亡くなった、少女がいないかどうか
こっちで調べてみるよ。何かわかったら、すぐに連絡する」
 氷室はそう言い残し、忙しいのだろうか?ガチャンと乱暴に電話を切った。

 夕梨の解剖が行われた大学から、遺体が返ってきた。凄く遅れることとなったが、
夕梨のお通夜と告別式が行われることとなった。隗留は、最期の夕梨との別れに、
勿論出席した。
 お通夜でも告別式でも、隗留に対する、周りの目は冷たかった。
隗留が、夕梨を殺したわけではないが、エジプトへ無断で連れ去ったとんでもない男として
周りの目には、移っていたようだ。
 遠い異国の地で命を落とした夕梨。エジプトへ行かなければ夕梨は、
死ななくて済んだかもしれないのに…そんな考えが、事情を知らない者にはあった。
「おお、夕梨が死んでしまった。ワタクシは悲しいぞよ」
 夕梨の自称友達、ナッキーも嘆き悲しんでいた。そんなナッキーを、葉出ィは、慰めていた。
「エジプト…そんな異国の地で亡くなろうとは…なんと哀れなのだろう。
エジプトの暑さが、夕梨の命を奪ったのだろうか…?」
 鬼の目にも涙。ナッキーの目にも涙が浮かんでいた。
「うん。どうして死んじゃったんだろうね」
 葉出ィは、ナッキーには呪いで、夕梨は亡くなったのかもしれないということは
言わなかった。ナッキーに言っても何の解決もしないだろうと思ったからだ。
「エジプト…夕梨は、ワタクシのあげた、魔法の眼鏡は使ってくれただろうか?
あの眼鏡を使う前に、死んでしまったのかのう…」
 ナッキーは、涙を浮かべながら言った。
「魔法の眼鏡? あの夕梨が、エジプトへ行く前に渡していた袋の中に入っていたやつ?」
 葉出ィは、夕梨がエジプトへ旅立つ前、ナッキーが渡した物のことなんて
すっかり忘れていた。
「そうじゃ、あの中には、ワタクシの作成した魔法の水。過去を見ることの出来る、
魔法の眼鏡が入っていたのじゃ。夕梨は使ってくれたかのう」
 ナッキーは、天に上った夕梨に話し掛けるように、天をみて言った。
 そんなのどうでもいいわよ。と思いながら葉出ィはナッキーの話を聞いてあげていた。
「エジプト、魔法の水といえば、ちょっと思い出したことが…。まっいいか、
こんなことは終わったことだ関係ない」
 ナッキーは、急に独り言のように、ぶつぶつと言い出した。
「はぁ? どうしたの? ナッキー急にブツブツ言い出して」
「葉出ィ、内緒にしてくれると約束してくれるか? いや、ワタクシも一年ほど前、
エジプトにウルヒ爺と行ったのだが、誰の墓の前だったか、忘れたが、そのとき作成中だった、
若返りの水を、墓の前にあったきったない枯れた葉っぱに、こぼしてしまってな。
そうしたら、綺麗な綺麗な薔薇に花になったのじゃ。
あまりに綺麗だったので、その薔薇の花を、記念に日本に、持って帰って来てしまったのじゃ。
あとでよーく考えると、エジプトの重要文化財を、
盗んでしまったことになるだろう?曲がったことをしたことない(嘘だ!! BYねね)
ワタクシ良心は、一年経った今でも、痛んでのう。
おお、葉出ィ、もちろん内緒にしていてくれるよな」
 ナッキーは、もうこの話は時効と言わんばかりに、葉出ィに話した。
「ま、まさか…その若返りの水をこぼした、お墓って…ラムセス一世の妃、
薔薇子姫の墓じゃ…」
 葉出ィの声は、震えたていた。
「おお、そういえば、そんなような名前だったな? 王妃の谷にあった墓じゃ。
見栄えのしない小さな墓じゃったぞ」
 葉出ィは、ナッキーの胸ぐらをつかみ、目をまんまるく見開いて言った。
「ちょ、ちょっと! そ、その日本に持って帰ってきた薔薇の花はどうしたの? 
ナッキー言いなさい!」
「ゴホッ、ゴホッ、なんなんじゃ、葉出ィ! 乱暴じゃのう。薔薇の花は、始末に困っていたら
いつもワタクシの館に来る、庭師の目にその薔薇が目に止まってのう。
『この薔薇は、滅多に見ない薔薇だ、譲ってほしい』
と言われ、その庭師に譲ってしまったが、それがどうかしたか?」
 ま、まさか、あれだけ探していた薔薇が…、薔薇子姫の呪いの元凶がこんなに近くに…。
 灯台下暗し、チルチルミチルの青い鳥じゃないけど、
エジプトなんかじゃなくこんなに側に…。葉出ィは愕然とした。
 薔薇子姫の呪いの原因は、ナッキーだったのだ。
 何千年たってもナッキーはロクなことをしない!
 葉出ィは心底そう思った。盗まれた枯れた薔薇の花を、
必死でエジプトで探したと言う、隗留と夕梨。
 探していた薔薇は、すぐ側に、一輪だけは、夕梨の手元にあったのだ!
 夕梨や隗留は、必死に化石状態になった、枯れた薔薇を探していた。
 探すべき薔薇は、3000年前にラムセス一世の供えたみずみずしい潤いを持ったままの
薔薇を探せばよいと誰が想像するだろう。
 若返りの水がかけられたなんて、想像できる者はいないだろう。
 葉出ィは、しばらくの間、何もすることが出来なかった。告別式の終わった会場で、
一人呆然と立っていた。
 あまりのことにナッキーを責めようという気も起きない。
いくら責めても夕梨は戻ってこないのだ。
 ナッキーは、葉出ィのあまり態度に驚き、逃げてしまった。
「か、隗留に…、隗留に知らせなくっちゃ…」
 葉出ィはやっとのことで、動き出した。隗留を探してすべて話さなくては!
 夕梨の告別式が終わり、隗留は、帰ろうとしているところだった。
「た、大変。大変なんてもんじゃない! 呪いが、呪いの原因が分かったのよ」
 葉出ィは、隗留を捕まえて、悔しそうな顔をしながら言った。
「何だって?」
 隗留も驚いた。
「原因は…原因はナッキーだったの。ナッキーが、若返りの水を、
ラムセス一世の供えた薔薇の花にかけてしまって…薔薇の花は、若返がえちゃったのよ。
あなたが夕梨にあげたあの薔薇が、ラムセス一世が供えた薔薇一本だったの。
あの花を…あの薔薇の花を、薔薇子姫に返せば呪いは解け…たの…よ」
 最後は、声になっていなかった。またもや、葉出ィは涙が止まらなかった。
悲しみの涙じゃない。悔しくてならなかったのだ。ナッキーを恨むわけじゃない。
ナッキーは、夕梨を心配していた。
エジプトへ、夕梨が行くと言った時も、夕梨を気にかけていたのだ。
(私が、ナッキーに、薔薇子姫の呪いのことをきちんと話していれば、
夕梨は死なずに済んだかもしれない。)
 そう、葉出ィには思えたからだ。
 隗留は、葉出ィの話すことを静かに聞いていた。隗留も、ナッキーを責めなかった。


***

 数日後、また、氷室から連絡が入った。薔薇型菌の検出された薔薇は、
C(炭素)の半減期を調べた結果、本当に3000年の時を
隔てているということが、証明された。
 それと、やはり、この一年間で、呼吸不全による謎の死を遂げた、少女は、
亡くなった薔薇の数と同じく、夕梨を含めて5人いた。
 3000年のときを経た薔薇は、ナッキーの屋敷に来ている庭師の手に渡ったあと、
庭師が丹念に育てたにも関わらず2、3日たったある日、5本の薔薇の花は、
こつぜんと姿を消してしまったらしい。その後、どうやって黒い髪、黒い瞳の、
イシュタルの変わりの少女に
とりついたかは不明だが、薔薇子姫の呪いは、現代に甦ってしまったのだ。
 隗留は、とにかく盗まれた薔薇を薔薇子姫のもとへ返さなければいけないと思った。
きっと亡くなった5人の少女のもとには、今も、ラムセス一世が、供えたときと
同じ艶やかさを持った薔薇が残っていることであろう。
 隗留は、氷室から、亡くなった残りの4人の少女たちの身元を聞き、
薔薇の花を返してもらうように残りの4人の少女の家族に頼みに行った。
薔薇の花は、薔薇子姫の呪いの犠牲となった、少女全員の家に枯れずに、残っていた。
花瓶に大事にささっている家もあったし、無造作にほうっておいてある家もあった。
生ものの花に見えたが、枯れなかったので造花かと思ったという家もあった。
 とにかく、残りの4本の薔薇は、ラムセス一世が、3000年前
供えたままの艶やかさを持って、残っていたのだ。
 盗まれたといわれる、5本の薔薇の花は揃った。隗留は、薔薇の花を、
エジプトの王妃の谷にある薔薇子姫の棺の前まで、返しに行くことを決心した。
葉出ィも一緒に行くと言ったが隗留は、一人で、エジプトへ飛び立った。



第3章 再びエジプトへ

 2度目のエジプト、ルクソール。隗留は5本の薔薇の花を片手に、
王妃の谷に向かった。薔薇に花を、返したからと言って、夕梨や他の4人の少女が
戻ってくるわけではない。
 真っ赤な鮮やかな薔薇は、5人の少女の生き血でも吸ったかのような赤をしていた。
 葉出ィは、自分がナッキーに、きちんと薔薇子姫の噂のこと、話していればこんなことには
ならなかったのに…と、隗留がエジプトに立つ直前まで、嘆き悲しんでいた。
 私だってそうだ。夕梨が息苦しくて眠れない…。そう言った時に、
病院にでも連れていってやればよかった。そうすれば、薔薇菌に
感染していたことが、分かったかもしれない。いまからウダウダ考えても、後の祭であった。
 なんだか、空回りしているような気がしてならなかった。
 そもそも、薔薇子姫だって呪う相手を間違えている。ラムセス一世の薔薇を、
奪ったのは、ナッキーである。呪うならナッキーを、呪うべきだ。
 隗留は、ラムセス一世が、薔薇子姫に供えたときと同じように、これから薔薇の花を
供えようとしている。何千年経とうが、薔薇子姫のラムセス一世に対する想いは
今、隗留が手にしている真っ赤な薔薇の花と同じように色褪せていなかった。
 薔薇子姫の肉体は無くなっても、薔薇子姫の心は、3000年経った今でも
生きつづけていたのだ。
 隗留は、王妃の谷の薔薇子姫の墓の前まで来た。夕梨と一緒に訪れたときと同じ
案内のおじさんがいた。隗留は、おじさんの目を盗み、そっと5本の艶やかな薔薇の花を
薔薇子姫の棺の前に、供えてある数十本の枯れた薔薇と一緒に置いた。
 するとどうであろう。真っ赤な艶やかでみずみずしい潤いを持った薔薇は、
もとの枯れた薔薇に戻り、3000年の時を経たと思わせる年期の入った
薔薇の姿に戻った。
 これで、薔薇子姫の呪いは、解けたと思っていいのだろう。
 薔薇子姫の心が3000年経った今でも、生きつづけたように、
夕梨の心も、生きつづけていると信じたかった。
 もう、2度と夕梨の温もりを感じることも、抱きしめることもできないが
いつも側に、夕梨がいると、夕梨の心だけは、自分の中に生きつづけていると……。
 そう信じたかった。
 隗留は、雲一つない高い高い、エジプトの空を見つめ、涙をぐっとこらえた。

〜おわり〜

おわりに



参考文献
 世界文明遺跡の謎 5 ファラオの遺跡 日本テレビ
 図説、古代エジプト2 【王家の谷と神々の遺産】 河出書房新社
 旅のガイドブックエジプト・トルコ・ギリシャの本 近畿日本ツーリスト
 チャート内科3 呼吸、感染 医学評論社