赤髪の白雪姫2次小説
ゼンオビ!



ゼンとオビが入れ替わるお話です。

1.入れ替わり 
2.オビがゼンでゼンがオビ 
3.ゼンの一日
4.オビの一日
5.ゼンオビ



1.入れ替わり

 オビと白雪は薬室から一番離れた薬草園に来ていた。
 今日は薬草を大量に採取する日で、白雪の指示の元、オビは次々に薬草を摘んでいった。
「すごい量になっちゃったね。これじゃあ薬室と2往復しないと無理かもね」
 白雪は摘み終わった薬草の山を見て大きく息をついた。
二人で持っていくには無理のある量になってしまったのだ。大きめの袋に3つ。
一人1つしか持って行けそうにないので、どちらか一人がもう一往復しなければならない。
「大丈夫ですよ、お嬢さん。俺が2袋持ってきますから。薬草自体は軽いですからね」
「ちょっと大丈夫? オビ?」
 オビが薬草の袋を二つ抱える。大きな袋を二つ抱えたオビは視界が遮られて前が見えない状態であった。
「大丈夫、大丈夫」
 薬草の袋の向こうからオビの声が聞こえた。
「じゃあ、オビ気をつけて行こうね。ゆっくりね」
 白雪はオビを気遣いながら、残った1つの薬草を抱えて薬室を目指した。

***

 ゼンとミツヒデと木々は会議に向かう途中であった。王宮の廊下を3人で歩いている時のことだった。
「なあ、ミツヒデ。今週どこかで休み、なんとかならないかなぁ?」
 ゼンが隣で控えるミツヒデに聞く。
「そんな暇あるわけないだろう、ゼン。ここ数日、予定はびっちりだ」
「だから白雪と会う暇もないよ。諦めるんだね、ゼン」
 ゼンの心を見透かした木々がニッコリと笑う。
「そうか、そうだよな……」
 ゼンはがっくり項垂れる。
「でも、今から向かう会議が早めに終わったら少し時間はできるかもね……」
 元気のなくなったゼンに木々が励ましの言葉をかける。
「本当か! 木々っ!」
 前を向いて歩いていたゼンは、興奮して木々を振り返る。後ろ向きで歩く。
「うん。その後の予定まで時間あるし……、少し時間取れるかもね」
「本当か! やった! これで白雪と会えるかもしれない!」
「待て待てゼン。喜ぶのは早いぞ。当の白雪と約束してないじゃないか」
「ああ、そうか。そうだな。白雪だって仕事している時間だもんな……」
 ゼンが後ろ向きに歩きながら納得する。
「ちょっと、ゼン。後ろ向きで歩いてると危ないよ。前を向いて……あっ!」
「危ないゼンっ!」
 木々とミツヒデがほぼ同時に叫んだ。
「えっ!?」
 側近たちの声に前を向いたゼン。そこは曲がり角であった。
 ゼンが気づいた時にはすぐ目の前に大きな影があった。
 向こう側から曲がり角を歩いてきた人物と出合い頭いぶつかってしまったのだ。
「うわっ!」
「わあああ!」
 ゼンはその場に倒れ込む。曲がり角を曲がってきた人物と正面衝突してしまったらしい。
同時に何か柔らかい物に唇が触れた。顔からぶつかってしまったせいか、相手の頬か何かに唇が触れたらしい。柔らかい感触だった。
「あいてててて」
「いてて」
 ゼンもぶつかった衝撃を受けたか、相手も同じくらいの衝撃を受けたらしい。
 倒れ込んだゼンは起き上がり目を開けた。
「俺がいる……」
 なんと目の前に自分の姿があった。マントを羽織り、自分服を着た人物が眼前でこちらを見つめていたのである。
「俺がいる?」
 相手も同じことを言った。
 二人はしばらく見つめあう。ゼンの目の前にはゼンがオビの目の前にはオビが、いたのである。
目の前に自分がいる状況。二人は今ある状況が飲み込めず無言になる。
「……?」
「……?」
 二人は出会い頭でぶつかった衝撃に、身体はそのまま。心だけ入れ替わってしまったのである。
「大丈夫? ゼン!」
「大丈夫か? ゼン!」
 木々とミツヒデが『ゼン』の姿をしたオビに駆け寄る。
「オビ、大丈夫? あれ……ぶつかったのゼンだったんだ」
 白雪は薬草の入った袋を置き、『オビ』の姿をしたゼンの隣に腰を降ろす。
すぐ側にはオビの持っていた薬草の入った袋が転がっていた。袋から薬草が飛び出し、その場に薬草が散乱してた。
「ゼンも大丈夫? どこか怪我してない?」
「ああ、大丈夫だ」
 怪我はしていなかったのですぐに白雪に返答した。
その場に散乱した薬草を集めている白雪が不思議そうな顔でこちらを見つめる。
「オビも大丈夫? なんかポカンとしてるけど、どこか打った?」
 白雪がこちらを向いてはっきりと自分のことを『オビ』と呼んだ。
 一体どういうことなのだろうか? ゼンは改めて自分の身体に視線を落とした。
 ――着ている服が自分のものではない。薄手で軽い動きやすそうな服だ。
これから会議なので、簡素ではあるが正装をして部屋を出てきた。
こんな剣の稽古をするときに着るような動きやすい服に着替えた覚えはない。
それにこの服はオビがいつも着ている服と似ている……そう思った時だった。
「ほら、ゼン行くぞ! 会議に遅れる!」
「ああ……」
 ミツヒデに名前を呼ばれたので、『オビ』の姿をしたゼンはゆっくりと立ち上がった。
ミツヒデの隣に並ぶ。すると、ミツヒデは不思議そうにこちらを見つめていた。
「どうした……、オビ。何か用か?」
ゼンは目を見開いた。間違いなくミツヒデも『オビ』と呼んだ。
「何してるの? オビ、こっちだよ。」
 白雪の声に『オビ』の姿をしたゼンは振り向いた。まっすぐに視線が合う。
こちらに向かって白雪が手招きしていた。
「どうしたの? ゼン、何か用?」
 白雪は背後にいるゼンを振り返る。
薬草の入った袋を持った『ゼン』の姿をしたオビがその場の状況を飲み込めず呆然と立っていた。
「ゼン! いくら白雪と一緒にいたいからって、今はダメだ。」
 ミツヒデがゼンに近づく。ゼンの首根っこを掴み、無理やり連れて行かれる。
「ええっ! ちょっと、やめてくださいよ、ミツヒデの旦那。一体、何なんだー!」
 『ゼン』がミツヒデに引きずられながら叫ぶ。
「なんか今のゼン、ちょっと変だったね?」
ミツヒデに引きずられたゼンと木々が去った後、白雪が『オビ』を振り返った。
「あ、あの……ちょっと。あれ? あれれ?」
 ゼンは自分の身体と顔を触りまくった。
性別は同じ男性だが、この身体は自分の身体ではない。この顔は、この髪型は、まさかオビ?!
「じゃあ行こうか、オビ。今度は私も薬草半分持つね」
 白雪が薬草の入った大きな袋に手をかける。
「いや、俺が持つよ。それよりも……ミツヒデっ! それは俺じゃない! 俺はここにいるぞぉー!」
 ゼンはミツヒデたちに向かって叫んだ。会議に向かったミツヒデたちの姿は遠く、その声は全く届かなかった。
「なんかオビもちょっと変……。大丈夫? 最近疲れてる?」
 白雪に顔を覗き込まれるゼン。距離が近くなりドキリと心臓が鳴った。
「い、いや大丈夫だ……」
「じゃあ、こっちも行こう!」
「あ、ああ……」
 ゼンはわけが分からず、薬草を抱える。白雪の後についていった。


2.オビがゼンでゼンがオビ

 薬草の入った袋を抱えながら、白雪の後を着いてゆく『オビ』の姿をしたゼン。
 鏡を見たわけではないが、どうやら自分は今『オビ』のようだ。
みんなが自分のことを『オビ』と呼ぶ。自分の体はミツヒデたちに連れていかれてしまった。
あの中に『オビ』が入っているのだろうか? 
 ゼンが顔を上げると、林檎のような真っ赤な頭が前にあった。
赤い髪が白雪の歩く速度に合わせてふわふわと揺れている。
 白雪と一緒に過ごすために、なんとか休みが欲しいと思っていた。
その想いが強すぎて、ぶつかった衝撃でオビと入れ替わってしまったのだろうか? 
一緒に過ごせても『オビ』の身体で過ごしてどうするのだ。中身は自分だということを分かってもらえないではないか。
第一、本当に自分は『オビ』になのだろうか? 身なりはオビに似ている。
白雪やミツヒデも自分のことを『オビ』と呼んだが、鏡を見たわけではない。確証がなかった。
「白雪!」
 ゼンが名前を呼ぶと、前をゆく赤い頭がピタリと止まった。ゼンを振り返る。
「名前で呼ぶなんて珍しいね……」
 白雪は硬い表情をしていた。
 そうだ。オビは白雪のことを『お嬢さん』と呼んでいたっけ。名前で呼ぶのはおかしいかもしれない。
「えっと…お嬢さん。どこかに鏡はないかな?」
「はぁ? 鏡?」
 白雪は驚いたのか、一オクターブ高い声をあげる。
「今持ってないけど、どうしたの? 急に鏡なんて」
「いや、ちょっと確認したいことがあって……ないならいいよ」
「うん……」
 ゼンは苦笑いしながら誤魔化す。鏡を見て自分の姿を確認したかった。
ゼンは白雪に気づかれないよう小さくため息をつく。
 薬草の袋を持ち直し、王宮の廊下から庭園を見回すと、小さな噴水が目についた。
数分間隔で水が噴き出す仕組みの噴水である。今はちょうど水が噴き出していない時間で、
噴水はただの水溜まりになっていた。
「ちょっと白雪、待っててくれ。確認してくる!」
「ええ? どうしたの、オビ?」
 ゼンは薬草の袋を抱えたまま噴水に向かって走っていった。
噴水の直前で薬草の袋を降ろし、石でできた噴水の淵に手を掛ける。
今は水が噴き出していないので、水面は鏡のようになっている。周りの景色が水面に映っていた。
 ゼンはゆっくりと水面を覗き込む。
 黒く短い髪に猫のような目――自分の顔ではない。間違いなくオビの顔であった。
首から下も自分の体つきとは違った。筋肉質の細い上半身が水面に映っていた。
「や、やっぱりオビだ……」
 ゼンは水面を見て震える。オビの猫目が少し大きく見開く。
「どうしたのオビ?」
 水面に白雪の姿が映った。心配そうにオビの顔を覗き込んでいる。
「白雪……、やっぱり、俺はオビだ!」
「オビはオビだよね……。それがどうかしたの?」
 白雪も薬草の入った袋を降ろし、震えるゼンの隣に座る。
「俺はオビじゃなくて、ゼンなんだよ! 白雪にならわかるだろ!」
 ゼンは白雪に向かい合い、両肩をしっかりと掴む。
「うーん、私にはオビに見えるけど……」
 白雪は苦笑いしながら後ずる。
「そうか、そうだよな。オビに見えるよな。でも俺はゼンなんだ! 
俺が……俺である証明をしないと。証明、証明……」
 白雪から手を離し、ゼンは顎に手を添えてしばらく考える。
「よし、白雪これならどうだ。ちょっとこっちへ……耳を貸して……」
 ゼンは白雪に向かって手招きする。
「何? オビ?」
白雪の赤い髪をそっとよけて耳元で囁いた。
「ええと、白雪の……」
 告げた直後に白雪は真っ赤になって目を見開く。
「な、なんでそのことを……」
 ゼンは白雪の内股にホクロが三つあると囁いたのだ。
ゼンと白雪の二人しか知らないことを言えば信じてもらえると思ったのだ。
「オ、オビの変態……。着替え覗いたでしょ!」
「の、覗いてない! 覗いたってそんな場所なかなか見える場所じゃないぞ! だから俺はゼンなんだ!」
 変態扱いされてしまったゼン。くじけずに二人しか知らないことを次々に白雪に囁く。
「他には……」
 白雪の顔が赤い髪と同じくらい真っ赤になる。
ゼンは白雪と二人きりで過ごしたこと。夜のことを中心に囁いたのである。
「な、なんでそんなこと知って……」
 真っ赤な白雪は声を震わせて『オビ』の姿をしたゼンを見つめる。
「な、俺はゼンだって信じてくれたか?」
「ゼンが……オビにそんなこと言ったの?」
「言わないよ。言うわけないだろう。だから本当に俺はゼンなんだってば!」
 白雪は真っ赤な顔のまま無言で『オビ』の姿をしたゼンを見つめる。
「本当に?」
 白雪がいぶかしげに『オビ』の姿をしたゼンを見つめる。まだ怪しまれているゼンであった。
「本当だ。本当に俺はゼンなんだ!」
「確かに……話し方はオビじゃなくてゼンっぽいけれど、でも……」
「お願いだ。信じてくれ、白雪!」
 ゼンが懇願するように白雪を真剣に見つめる。
白雪に信じてもらえなかったら、誰に信じてもらえるのだろうか? ゼンは必死であった。
 そんなゼンの思いが届いたのだろうか。白雪が軽く息を吐いた。
「うーん、まだ完全には信じられないけど、確かにゼンがそんなことオビに言うわけないし、
オビはゼンなのかも……って少し思えてきた」
「本当か! 白雪!」
 誰かに今の自分の不安な状況をわかって欲しかった。
一番わかって欲しい人に分かってもらえのだ。その喜びにゼンは大きな声をあげて喜ぶ。
「うん、信じるよ。でも、本当の『ゼン』の方には誰が入ってるの?」
「多分、オビだと思う」
「オビ、大丈夫かな? ミツヒデさんや木々さんは、『ゼン』がオビだってわかってくれるかな?」
 ゼンはハッとする。
「しまった。これから王宮の会議なんだ。そこへ連れて行かれているはずだ!」
 『オビ』の顔は真っ青になった。

***

 白雪と『オビ』の姿をしたゼンは、薬室で仕事を済ませ、王宮の会議室の前まで来ていた。
「今日の会議は長引くな。もうとっくに終わってもいい時間なのに……」
 ゼンはそわそわしながら会議室の扉を見つめる。
「そうなの? オビは大丈夫かな?」
「……わからない」
 ゼンがそう言ったところで、会議室の扉がゆっくりと開いた。
部屋の中から会議に参加した身分の高い役人たちが次々と出てくる。
白雪とオビの姿をしたゼンは柱の陰にかくれて部屋から出てくる人々を待ち構える。
「あ、ゼンたちが出てきたよ」
 白雪が『オビ』の姿をしたゼンの肩を叩く。
木々とミツヒデの後ろから、今にも泣きだしそうな表情の『ゼン』が扉から出てきた。
「オビ!」
 ゼンが『ゼン』に向かって叫んだ。
「あ、主!」
 オビが『オビ』に向かって叫んだ。
『ゼン』と『オビ』はお互いに駆け寄り抱きしめ合う。
「大丈夫だったか? オビ」
「主、一体これはどういうことなんです? どうして俺が主なんですか?」
「わからない。ぶつかった時に入れ替わったのだろう」
「な、なんでそんなことに!」
 泣き出しそうな顔の『ゼン』が『オビ』にすがりつく。
「オビ、会議大丈夫だったか?」
「大丈夫じゃないですよ! なんですか、あのお偉い人たちの集団は! 
何を言っているのかさっぱりわからなくてどうしようかと思いましたよ!」
「そうか、よしよし、オビ。悪かった……」
『オビ』が『ゼン』の頭を撫で、軽く抱きしめる。
 ミツヒデと木々は目の前の事情が飲み込めず呆然としていた。
「どういうこと?」
 木々が白雪にたずねた。
「私も今、やっと信じたんですけれど、あの二人入れ替わっちゃったみたいですよ」
 白雪は木々とミツヒデに説明した。
「はぁ? 入れ替わり?」
 ミツヒデがいつもより高い声をあげる。
「なんか、そうみたいですよ。ゼンの中にはオビが入っていて、オビの中にはゼンが入っているみたいなんです」
「そうか、それでゼンおかしかったんだね」
「ああ、会議中、何か意見を求められる度、泣きそうな顔で俺たちを見つめていたのはそういうことか……」
 ミツヒデが納得したように頷く。
「ゼン、ふざけてるのかと思った」
 木々もクスリと笑った。
「あ、主……これから俺はどうすれば……」
『オビ』の腕の中から顔を上げた『ゼン』は不安そうな顔で聞く。
「うーん、すぐに元へ戻れればいいんだが、戻る方法がわかるまでしばらくこのままでいるしかないだろう」
「ええっ! 嫌ですよ。俺、主の……第二王子の代わりなんてできませんよ!」
「そこはミツヒデと木々にフォローしてもらうしかないだろう。二人とも、オビをよろしく頼む!」
『オビ』の姿をしたゼンが側近二人を真剣なまなざしで見つめる。
「了解!」
 二人は笑顔で頷いた。
「でも主、また会議とかあったら、どうすれば……」
 オビが不安そうにたずねる。
「うーん、とにかくYESかNOで返事をしてくれ。その判断はミツヒデと木々に任せよう。
風邪をひいて声が出ないということにしておこうか……」
 ゼンが悩みながら答えた。
 ミツヒデが何かを思い出したのかハッとした表情になる。
「いや、ゼン! 一つ大変なことがあるぞ。明日のイザナ様と会う約束はどうする?」
「あ、兄上っ……! そうか、明日だったな。ど、どうしよう……。勘のいい兄上の事だ。
中身が俺じゃないってバレるかな。誤魔化せるかな……。うーむ」
「イ、 イザナ陛下っ!」
 オビが卒倒しそうになるのを、なんとか木々と白雪が支える。
「会わないというのも今更おかしいし。とにかく兄上にもYES、NOで返事をしてくれ。
なるだけ短い時間で終わらせるように……頼んだぞ、ミツヒデ、木々!」
「了解!」
 二人の側近は同時に返事をする。
「ほら、オビ。しっかりして、そんなんじゃ第二王子は勤まらないよ」
 すっかり気落ちした『ゼン』の姿をしたオビは、木々に強く背中を叩かれる。
「いってっ!」
 背中を叩かれたオビが背筋を伸ばした。
「なんか……自分が叩かれたわけじゃないのに、今痛いような気がした」
 『オビ』の姿をしたゼンが背中をさすった。
「まあ、仕方ないじゃないか。頼んだぞ。オビ!」
 ゼンは『ゼン』の姿をしたオビの肩を叩いた。
「なんか主、楽しそうですね……」
「そうか? そんなことないぞ」
 ゼンは満面の笑みだった。色々と束縛のある王子の身から解放されて、清々しい表情だったのである。
「主の服。重いんですけれど……」
 オビが右肩と左肩を一回ずつ上下させて不満そうに言った。
「そうだな。オビの服は軽くて動きやすいぞ」
 ゼンは更に笑顔になる。
「じゃあこっちも白雪に教わりながらなんとか上手くやるから、オビたちも頑張ってくれ!」
「はぁ……」
 オビが気の抜けた返事をした。
「じゃあ、白雪。行こうか」
「うん……。オビ、頑張ってね!」
 白雪がオビに向かって手を振った。
「お、おじょうさ〜ん」
 白雪が恋しくなったオビは泣きそうな声で呼んだ。
「ほら、オビ行くぞ! いいじゃないか。今日は王子様の豪華ベッドで寝られるんだぞ!」
 ミツヒデが励ますようにオビの背中を叩いた。
「主のベッドならよく使ってます……」
「そうか、そうだな」
 ミツヒデは納得し苦笑いする。
「じゃあ、白雪。ゼンをよろしくね。こっちもなんとかやるから」
「はい。オビをよろしくお願いします」
 白雪は木々とミツヒデに向かって深々と頭を下げる。
 少々嬉しそうな『オビ』の姿をしたゼンと、不安一色の『ゼン』の姿をしたオビ。
それぞれの一日をこなすために、お互い後ろ髪を引かれながら別れた。


3.ゼンの一日

「おはようございます、ゼン殿下。お目覚めのお茶をお持ちしました」
 オビは眠い目をこすりながらベッドから起き上がる。
二人の若い女官がカートを引いて部屋に入って来た。ベッドの脇でお茶の準備をはじめている。
 天蓋付きの豪華なベッドにふかふかなふとん。着慣れないシルクのパジャマはツルツルとし過ぎて、
どうも落ち着かないものだった。オビにとっては高価なパジャマは着心地がいいのか悪いのかよくわからず、
妙に柔らかすぎるふとんも逆に肩が凝ったような気がした。
「お茶が入りました。ゼン殿下、どうぞ」
 ベッドサイドで女官が笑顔でお茶を入れてくれた。高価そうな装飾が施してあるカップに紅茶が注がれる。
ゆらゆらと白い湯気がたっていた。オビは温かそうな紅茶よりも、お茶を注いでくれた女官が気になる。
「かわいい……」
 オビが若い女官を見て思わず呟いてしまった。
「は? ゼン殿下、何か?」
 女官が『ゼン』の姿をしたオビを見つめる。オビは慌てて首を左右に振った。
「いや、なんでもない。お茶、ありがとうございます」
「はぁ……」
 女官は不思議そうな顔をしていた。
 お茶セットのカートを押した女官たちが「失礼いたしました」とオビに声をかけて部屋を出て行った。
扉の外から彼女たちの話し声が聞こえた。「今日の殿下は寝起きがいいみたい。お茶をいれただけなのに
ありがとうとお礼を言われてしまった」と会話する声がオビの耳に届いた。
 オビは温かな紅茶を一口すする。茶葉のことなど分からないが、高級そうな味がした。
 あの主のことだ。寝起きはきっと仏頂面の寝ぼけ眼で、何も喋らずお茶を入れてもらっているのだろう。
昨日から身の回りの世話をしてくれる女官さんたちを見てきたが、主の周りの女官さんは、
みんな若くてかわいい人たちばかりだった。これは王子様の特権を利用して、
かわいい人を集めているとしか思えない。まったく、これだから王子様は……。
 天蓋付きのベッドでぶつぶつ独り言を言っていると、扉が開く音がした。ミツヒデが部屋に入って来たのである。
「おはよう、オビ。お前まだ着替えてないのか? ゼンだったらとっくに着替えているぞ」
「おはようございます。ミツヒデの旦那」
 オビは仕方なくベッドから出て用意してあった着替えに手を掛ける。
「今日はイザナ陛下と約束のある日だ。昨日打ち合わせしたとおり、なんとかやってくれよ、オビ」
「イ、 イザナ陛下……」
 オビはその名前を聞いただけで身が震える思いだった。今まで何度か会ったというか、すれ違ったことはある。
だけれども第二王子として、国王陛下の弟として会わなければいけないなんて貴族でも伯爵でもない平民のオビにとっては、
緊張で胃が痛くなる思いだった。
 オビは風邪を引いて声が出ない設定にしてあった。イザナ陛下とは失礼のない程度にYESとNOで答えることになっていた。
ミツヒデと木々が同席し、指示しれくれるというので、それは心強かった。
 オビはシルクのパジャマから用意してある服に着替えた。
鏡の前に立ち、襟を立てて服装を整える。
オビは鏡の中の自分の姿を見つめる。
主はやはり王子様だ。
殆ど日焼けしてない白い肌は、きめが細やかで日焼けが避けられない平民とは違う。
ツルツルとした頬だけ見ると女性のようだった。穏やかな目元に通った鼻筋。
とびきりの美男子というわけではないが、整った顔立ちは育ちの良さを物語っている。
「やっぱり主、肌きれいだし、そこそこのイケメン王子様だよな〜」
 オビは顎に手を添えて自分の顔を左右からじっくりと見つめる。
 ――ガタリ!
 後方で物音がした。オビが振り返ると、寝起きにお茶を入れてくれた女官が立っていた。
眉間に皺を寄せ、困ったような表情をしている。
「どうかした?」
 オビが聞くと女官は勢いよく顔を左右に振る。
「な、なんでもありません。お、お茶を片付けに参りました。し、失礼いたします!」
 女官は朝入れてくれたお茶のカップをテキパキと片付けたと思うと、逃げるように部屋から出て行ってしまった。
 変だなと思いつつも、オビは鏡の中のゼンを見つめ、真剣な表情となる。
 今日はイザナ陛下に会わなければならない。失礼や失敗は主のためにも自分のためにも許されないのだ。
「よし、主の顔に泥を塗らないためにも! 頑張るぞ!」
 オビは鏡の中のゼンに向かってガッツポーズを決めた。

***

「はい」
「あ……いいえ」
「あっ、はい!」
 『ゼン』の姿をしたオビは、ミツヒデと木々に視線を送りながらイザナ陛下に返事をする。
緊張で心臓が喉から飛び出る思いだった。
「なんだ、ゼン。今日は人が変わったかのように素直だな。どうした?」
 玉座に脚を組んで座っているイザナは、脚を組み換えて『ゼン』の姿をしたオビに微笑みかける。
 その場にいる3人の心臓は同時に大きくドキリと鳴る。何とか動揺を隠し、3人は平静を装った。
一人、オビだけは額と髪の生え際に汗がじわりと滲む。
「え、ええと……はい。スミマセン」
 意味もなくオビは謝る。
「今日のゼンは私が何を言ってもYESと答えてくれそうだな」
 イザナは機嫌が良さそうに『ゼン』にニッコリと微笑む。
「はぁ……」
 オビは曖昧な返事をした。
「じゃあ、ゼン。今度白雪と二人きりでデートしてもいいかな?」
「えっ! あっ……ええと、はい!」
 オビは返事をしてから焦る。
「おや、意外だな。目くじら立てて怒ると思ったのに、本当にいいのか?」
「あっ、えっと……そうですね。オ、オビを共につければ……」
 YESと一度答えてしまった手前、なんとなく今からNOとも言えなかった。
入れ替わっている自分の姿をした主が一緒ならば、お嬢さんとイザナ陛下がデートしても許されるような気がした。
「ほう……、オビがいればいいのか。じゃあ白雪とデートしてみようかな」
「あ、はい……」
 ミツヒデと木々の方へ視線だけ向けると、二人とも無言で目を見開き、唖然とした表情をしていた。
 ――やっぱり、デートの約束はまずかったかな? まあ、主が一緒ならなんとかなるだろう……。
イザナ陛下は至って上機嫌であった。失礼に当たるようなことはしてないはずだ。
これといった失敗もなかった。
 オビはなんとかその場をやり過ごせたと思った。

***

 無事にゼンの執務部屋に戻ってきたオビは、執務机に積まれた書類の山を見てため息をついた。
「これ全部に目を通すんですか?」
「そうだ。書類は一通りこちらで目を通してある。ゼンのハンコが必要だからさっさと押してくれ、オビ」
 ミツヒデが机の上にあるゼンのハンコを指さす。
「はぁ〜、主が執務漬けで嫌だって言っていた意味がわかりますよ。
これじゃあ外に出たくなるよなぁ〜。何とかしてくださいよ、木々嬢」
「文句言ってないでさっさと仕事に取りかかって、オビ!」
 木々に助けを求めたが、逆効果であった。
「俺には堅苦しい王子様の仕事は向かないな。外を飛び回っているほうがいいや……」
 オビはふぅ〜と大きく溜息をついた。
「そうだな、オビに執務は向かないかもな、あと会議や謁見も」
「確かに、オビは外を飛び回っている方が似合うね」
 ミツヒデと木々はお互い苦笑いしながらオビを宥める。
「ゼンはどうかな? いきなりオビの生活になって戸惑ってないかな?」
 主人想いのミツヒデが心配するようにゼンの話を出した。
「白雪がいるしそれは大丈夫なんじゃない? 普段から野営もしているし、
城の外の生活も今まで色々と見てきてるから大丈夫よ」
「きっと羽伸ばして楽しんでると思いますよ。お嬢さんとずっと一緒にいられるんですからね」
 オビは執務机に膝をついて、手の中に顎を乗せる。態度の悪い王子様である。
「そうだな、白雪がいるし、ゼンの心配はすることないか!」
 ミツヒデは納得し、穏やかな笑顔になる。
「そうだ! 主に負けないで俺もこの生活を満喫ししなくては! これも木々嬢と距離を縮めるまたとないチャンス……」
 オビは笑いながら隣で書類に目を通す木々の腕に触れる。
 ――バサリ!
 両サイドからオビの頭に何かが飛んできた。 
「うわっ! いてっ!」
「オビは満喫する必要ない! さっさと仕事!」
 ミツヒデと木々が両サイドから同時にオビの頭を書類の束で殴ったのである。
「扱いひどいなー。王子の頭を殴るなんて……」
オビは『ゼン』の頭を抱えてぶつぶつと文句を言う。
「元からゼンの事、甘やかしてなんてないよ。さっさと仕事して、オビ!」
「はいはい。まったく王子様も楽じゃないな……」
 オビは諦めて執務机に乗っている書類の山に目を通し始めた。



4.オビの一日

「白雪! これはどうすればいい?」
 オビの声にガラクと八房とリュウが同時に振り返る。
 3人は、白雪と『オビ』の姿をしたゼンを凝視していた。
(ちょっと、ゼン! オビと呼び方が違う! 名前で呼ばないで! )
 白雪がオビの裾を引っ張り、耳元で早口で言う。
「ああ、そうか……。ええと、お嬢さん、これはどうすればいいかな?」
 ゼンはオビの口調を真似て改めて聞いた。
 薬室に妙な空気が流れる。薬室の隅にガラクと八房、リュウが集まっていた。
「ねえ、ここ数日……あの二人変よね」
「ええ、時々こそこそしてますね」
「もしかして……オビ君と付き合ってるんじゃない? 最近、呼び方が変わったし……」
「ええっ! でも白雪さんにはゼン殿下がいるでしょう!」
「いや、わからないわよ。男女の間のことなんて。ふふふ……」
 ガラクが二人を見つめ、意味ありげにニヤリと笑う。
「そうなのか……」
 八房も頷きながら二人をチラ見する。
 白雪は部屋にいる上司と同僚の強い視線を感じた。
ガラクと八房の会話は、白雪に丸聞こえであった。その会話をリュウが黙って聞いている。
 白雪は深くため息をつく。
 オビと同じ呼び方をするように何度も注意したのだが、
中身が王子様なオビにはなかなか切替ができないらしい。『白雪』と呼ばれてしまう。
オビはいつも『お嬢さん』と呼んでいるので、そう呼んでほしかった。
「えっと……、じゃあお嬢さん。そろそろ薬草園に行こうか」
「うん」
 白雪は、薬草採取用の籠を持つ。
 ガラクと八房、リュウの視線の強い視線を浴びながら、『オビ』の姿をしたゼンと薬草園に向かった。


 薬草園に着いてから、ゼンに薬草の採取の方法を教えた。
今まで経験したことのない仕事のせいか、ゼンは興味津々で、やる気満々であった。
オビも積極的に手伝ってくれたが、ゼンとはまた違う。ゼンはとても楽しそうに見えた。
軽く鼻歌も歌っていてご機嫌であった。
「こういう生活もいいな……」
「え?」
 隣で薬草を採取しているゼンが手を止めずに言った。白雪はゼンを振り向く。
「王子としての仕事もいいと思っているし、受け入れている。だけど、薬室の仕事もいいなって思って……」
「そう?」
「うん、白雪と一緒に仕事ができてうれしい」
 ゼンはこちらをまっすぐに見つめて笑う。素直な気持ちの笑顔に思わず白雪も頬を緩ます。
「そうだね」
「このままでも……オビのままでもいいな。そうすれば白雪とずっと一緒にいられる」
 白雪は薬草を採取する手を止めた。
 それはなんだか違うような気がする。このままゼンがオビになったとしても、嬉しいと思わない。
ゼンはゼンでオビはオビだ。良いところがそれぞれにある。他に代わりの人なんていない。
だからゼンには一日も早く戻って欲しかった。オビの体を借りて心だけここにいても、それは違うような気がした。
「ずっと白雪と一緒にいられる。何の問題もなく……」
 ゼンの心を持ったオビの手が、白雪の手に重なる。
白雪はゼンを振り向くと、その先にはオビが笑っていた。顔は笑っていたが、目が真剣だった。
 白雪は視線を反らす。
「それは……ちょっと違うと思う。確かに何の問題もなく一緒にいられると思うけど、やっぱりゼンはゼンで、オビはオビだよ」
 重なっているオビの手をゆっくりと外す。
「白雪……」
「それに、私が好きなのはクラリネスの第二王子の『ゼン』だよ。もちろん地位とかそういうものじゃなくて……、
王子で頑張っているゼンが好きなの。ゼンの顔も声も心もすべて含めて『ゼン』が好き。
だからオビと入れ替わった状態で一緒にいられたとしても、それは違う。上手く言えないんだけど……」
 白雪は手の中の薬草に視線を落とす。
「ゴメン、白雪。そうだよな。このままでいいわけない。変なこと言ってすまなかった」
 ゼンは白雪のほうを向き、その場で頭を下げる。
「ううん、謝らなくていいよ。ずっと一緒にいられるって言われて、嬉しかったよ」
 白雪は笑顔を作った。でもその笑顔は無理やり作られたものだとゼンは悟る。
「そうか……」
「本当に、上手く言えないんだけど、ゼンもオビも大好きで、大切な仲間だと思ってる。
それぞれの良さがちゃんとあるから、早く元に戻れるといいね」
 白雪はゼンにニッコリと微笑む。
 その優しい笑顔に『オビ』の姿をしたゼンは吸い込まれそうになった。
 ゼンは白雪に向かってゆっくり顔を近づける。
「えっ……、ゼ、ゼン?」
 白雪は目を見開く。
 唇まで数センチの距離に、オビの顔が近づいてきた。
 白雪はその場から動けず、目を見開いたまま硬直する。
 至近距離で数秒の沈黙が流れた。
「やっぱりダメだ。このままキスしたら、白雪とオビがキスすることになってしまう。そんなの絶対嫌だ!」
 ゼンは白雪から顔を遠ざけ、元の位置に戻った。
「よ、よかった。どうしようかと思った……」
「ごめん、驚かせて」
「い、いえ」
 白雪は首を振りながら否定する。頬がピンク色に染まっていた。
「そうか、この姿じゃ……オビのままじゃ、白雪にキスすることも触れることもできないんだな」
「そ、そうですね……」
 白雪が頬を染めたまま頷いた。
「やっぱり早く元に戻るしかないな。その方法に心当たりはあるんだが……」
「えっ! そうなの? どんな方法?」
 白雪は目を見開いてゼンを見つめた。
「いや……それはちょっと、確かな方法ではないから……」
 ゼンは白雪から顔を反らす。目の前の薬草を再び摘み始めた。
何かぶつぶつと呟いており考え事をしているようだ。色々思うことがあるのだろう。
そっとしておいてあげようと思い、白雪も目の前の薬草を摘み続けた。


***

 薬室にオレンジ色の夕焼けが射し込む。窓から差し込むそのオレンジ色の光は、
ゼンと白雪を照らし、長い影を作っていた。太陽が一日の終わりを告げていた。
 薬草園から戻って採取した薬草を整理していると、あっという間に日の暮れる時間になっていた。
「これで一日の仕事は終わりだな」
「そうだね、今日も一日お疲れ様、オビ!」
「白雪は間違えて俺のこと、ゼンって呼んだりしないな。すごいな」
「それは……心得てますから!」
 何度か『ゼン』と呼んでしまいそうになったが、姿を見ればオビなので間違えて呼ぶことはない。当然と言えば当然である。
 オレンジ色の夕日が射し込む中、白雪はじっと『オビ』の姿をしたゼンを見つめる。
 今日は日ごろの疲れがたまって、ガラクを始め、みんな早々に仕事を終わらせていた。
薬室には『オビ』の姿をしたゼンと白雪の二人きりであった。
「誰もいないよね」
 白雪はドアの外を確認し、静かに扉を閉めた。ゼンの前までゆっくりと歩いてくる。
「どうした、白雪?」
 ゼンは目の前の白雪を見つめる。
「ねえ、ゼン」
 白雪はゼンの顔を覗き込む。
「なんだ?」
「えーっとね、お礼がしたいんだ」
「お礼?」
「うん、ゼンとオビには、いつもお世話になってるから、お礼がしたいの」
「どんなお礼だ?」
「二人に……こういう時じゃないとできないお礼」
 ゼンは白雪の言っていることがよくわからなかった。まとめてお礼するような感じの言い回しである。
「まあ、いいけど……どんなお礼だ?」
「こんなお礼!」
 白雪が思いっきり抱きついてきた。突然のことに『ゼン』は呆然とする。
 オビの腕の中に白雪が収まる。顎のすぐ下に赤い頭があり、背中にしっかりと腕を回されている。
オビの胸にぴったりと顔をつけている状態になった。
「いつもありがとう! ゼン、オビ!」
 背中に回された手に力が入る。白雪の密着度が更に高くなる。
「いえいえ、お嬢さん。こちらこそありがとう」
 その声に白雪はオビの胸から顔を上げた。
「なんか今、本当のオビに言われたみたいだ……」
 白雪がオビの姿のゼンを見つめて、目をパチパチとさせた。
「よくわからないが、自然に言葉が……意識してないのに勝手に喋っていたんだ……」
ゼンは呆然とする。意志とは関係なく、勝手に言葉が滑り出したように声をかけていたのだ。
「そうなんだ」
 白雪は体を離しニッコリと微笑んだ。
 ゼンは眉間に皺を寄せる。
 少々不満であった。
 白雪に抱きしめてもらって嬉しいような気がするが、でもこれはオビの体であって
実際に白雪と密着したのはオビである。そう考えると複雑な心境なである。
それに一瞬だけ本物のオビに乗っ取られたかのような発言も、なんだか納得いかなかった。
おいしい思いをしたのは自分ではなく、オビなのでは? そう思えて仕方がなかった。
「やっぱり元に戻る方法を実行しよう。うん、それがいい!」
 充分にオビの生活を満喫した。白雪も元に戻って欲しいと思っていることだし、一日も早く元に戻った方がいいのだ。
 オビの姿をしたゼンはそう心に決めた。


5.ゼンオビ

 ゼンとオビは王宮の庭の片隅にいた。
 人気のないその場所には、一本の大きな木があり、ゼンとオビは幹に二人で寄りかかっていた。
空から暑い日差しが降り注いでいたが、青々とした葉がその熱を遮ってくれる。
 ゼンとオビは涼しい木陰でお互いを見つめる。
 ゼンはオビを見た。オビを見たと言っても二人は入れ替わっている状態なので、実際には自分の顔が目の前にある。
「なあ、オビ。元に戻る方法だが……」
 ゼンはその後の言葉を濁す。
「どうしたらいいですかねぇ? 主?」
「入れ替わった時と同じ状態を、もう一度繰り返せば戻れるんじゃないかと思うんだが……」
「入れ替わった時っていうと、もう一度ぶつかるってことですかね」
「そ、そうだな……、でもその時に……」
「その時になんですか?」
 オビはゼンを見る。自分の頬が薄っすら赤く染まっていた。主はなんだか恥ずかしそうだ。
主が恥ずかしそうにしている理由はイマイチよく分からないが、
恥ずかしがっている自分の姿を見るのは変な気分だった。あまり格好いい姿ではないと思った。
「い、いやっ、何でもない! とにかくもう一度ぶつかってみよう、オビ!」
「よし、やりましょう! 主」
 ゼンとオビは同時に立ち上がる。お互い数歩下がって、自分の姿を目がけてぶつかっていった。
「いてっ!」
「いたたた!」
 ゼンとオビは正面衝突したあと、お互いを見た。きょとんとした自分の顔が目の前にある。失敗だったようだ。
「ダメですね、主」
「ダメだな、オビ」
 二人は木陰に再び腰を降ろす。隣同士で木の幹に寄りかかり軽く溜息をつく。
「なあ、オビ。入れ替わった時、何か柔らかいものに触れなかったか?」
「柔らかいもの?」
 ゼンの姿をしたオビは首をかしげる。
「そ、その……く、唇が触れたような気がしたんだが……」
 ゼンは照れながら言いにくそうにする。
「そういえば……柔らかいものが唇に当たったような気がする。あれって主の唇だったんですね」
「そ、そうだな」
 オビはゼンを見る。自分の顔がゆでだこ真っ赤であった。お嬢さんの赤い髪よりもずっと真っ赤だ。
自分の顔をそんなに赤くしてもらっては困るとオビは思った。
「じゃあ、主。仕方ないからキスしてみますか」
「そ、そうだな。それしか方法がなさそうだし……」
 見つめあう二人。
 木漏れ日が静かにゼンとオビを照らしていた。木の葉の匂いのする涼しい風がふわりと二人の間を吹き抜ける。
「じゃあ、キスするか。オビ……」
「はい、キスしましょう」
 二人は見つめあったままであった。距離は縮まない。
「どっちからキスする?」
「主からしてくださいよ!」
「いや、オビからだ!」
「嫌ですよ。主が提案したんだから主からどうぞ!」
「いや、オビからして欲しい……」
 二人は距離が近いまま、お互いぽっと頬が赤くなる。
「仕方ない……。ジャンケンで決めよう」
「そうですね…」
「じゃあ、いくぞ、オビ。ジャンケンポイっ!」
 ゼンがグー。オビがパーであった。
「負けた……」
 ゼンがグーを見て呟く。
「よかった……。じゃあ、主、キスしてください」
 ゼンの姿をしたオビがゼンの方を向いた。
「お、おう……。じゃあ、オビ目を瞑れ」
「わかりました」
 目を閉じた自分の顔が目の前にある。自分にキスするのはなんと不思議な事なのだろう。
ゼンはゆっくりと唇を近づけていった。

***

「お嬢さん!」
 薬室の片隅で薬研を使い薬草をすりおろしていた白雪はその声に振り返る。
「オビ!? 本物のオビだよね。元に戻れたの?」
 白雪は部屋の入口に立っているオビの元へ駆け寄る。
「はい、中身が王子様じゃないオビ、只今戻りました」
 オビは白雪に向けて丁寧に一礼する。
「よかった。やっぱりオビの中身はオビが一番だね、うん!」
 白雪は元に戻ったオビが嬉しくてうんうん頷いていた。
「どうしました? お嬢さん。主が何かしましたか?」
「ううん、すごく困ったようなことはなかったけど、オビがオビで本当によかったなって思って……」
 白雪の瞳がなんだかキラキラしていた。涙ぐんでいるように見えたが気のせいだと思うことにした。
「ゼンの生活はどうだった? 大変じゃなかった?」
「大変なんてもんじゃありませんよ、お嬢さん。主の服、重いし。
お偉い方々がたくさんいる会議は窮屈だし、やっぱり自分の生活がいちばんだと思いましたよ」
「そうなんだ。やっぱり王子って大変なんだね」
 白雪はオビに笑いかける。その優しい笑顔にオビは心が和んだ。
「あ、でも主の周りって、かわいい女官さんがいっぱいいて、それはちょっと楽しかったですよ。
あの女官さんたちは、王子の特権を利用して集めているとしか思えない。うん、きっとそうだ!」
 オビが顎に手を当てて独り言のようにぶつぶつと呟いた。
「ふーん、そうなんだ……」
 白雪の低い声がオビの耳に届く。
オビは顔を上げると、白雪の瞳が一瞬キラッと鋭く光ったような気がした。
「お嬢さん……どうかしましたか?」
 オビの声に白雪は一瞬ビクリと肩を震わせる。
「ううん、なんでもない。本当に何でもないよ、オビ!」
 元の笑顔の白雪に戻った。一瞬、白雪の様子がおかしいと感じたが、オビは気のせいと思うことにした。


***

 ゼンは執務机に山積みになった資料を見つめて呆然とする。
「な、なんなんだこの量は……」
「オビが代わりにすべての仕事ができるわけないんだから、仕方ないだろ」
 ミツヒデが入れ替わっている間に溜まった仕事の内容を説明する。
「そうか、これが現実か……」
 ゼンは深くため息をつく。
「オビの生活はどうだった? 楽しかったか?」
 ミツヒデが落ち込むゼンに聞く。
「まあ…な。白雪とずっと一緒にいられて楽しかったけど、それじゃあダメだって言われた」
「誰に? 白雪に?」
 ミツヒデの隣で黙って聞いていた木々が聞いた。
「ああ、白雪に『ゼンにもオビにもそれぞれの良いところがあるから元に戻って欲しい』って言われたんだ」
 木々とミツヒデは顔を見合わせる。声に出さないよう静かにお互い笑う。
「そうか、じゃあゼンの良いところを見せるためにも、仕事頑張んなきゃな!」
 ミツヒデはゼンの目の前に書類の山を置く。
「ううっ……、やるよ。さっさと片付ければいいんだろっ!」
 ゼンは諦めてペンをとり、執務机に向かった。


 仕事を済ませて部屋に戻ってくると、二人の女官がゼンの部屋から出てきた。
「あ、ゼン殿下。ちょうど掃除が終わりました。失礼いたします」
 女官たちは深々とゼンにお辞儀をした。
「ああ、ありがとう」
 ゼンは軽く礼を言って自分の部屋に入っていった。
 久しぶりの自分の部屋だった。
 見慣れた部屋なので落ち着く気持ちもあるが、数日間オビの部屋を使っていたせいか、
広く整った部屋になんだか違和感も覚えた。
 耳を澄ますと、扉の外から女官たちのひそひそ声が聞こえた。この声が聞こえるのも自分の部屋らしい。
噂好きな女官たちのお喋りは、ゼンにとって日常の一部であった。
小さな声で話しているつもりらしいが、ひそひそ話は耳を澄ますと内容までしっかり聞き取れた。
聞く気はなかったが、女官たちの話がゼンの耳に流れてきた。
「最近のゼン殿下ってばおかしいのよ。鏡を見て『俺はイケメン王子だ』って言ってるの!」
「ええっ! そうなの? 私、ゼン殿下のファンだったのに、残念! 
自分でイケメン王子だなんて言うナルシストな王子様はちょっとね……」
「それに鏡の前で妙なポーズを決めて笑っている時もあったの!」
「ゼン殿下ってばどうしたのかしら? やっぱり最近おかしいのね」
 扉越しの女官の話を聞いてゼンは青くなる。
(オ、オビの奴め……一体俺の体で何をしたんだ……)
 ゼンは拳を握り、手を震わせる。次の瞬間、扉を勢いよく開けた。
「ひっ! ゼ、ゼン殿下!」
 怯える女官たちの前を無言で通り過ぎ、ゼンはオビの元へかけて行った。



 オビのいる薬室に辿り着くと、まずは白雪の姿が見えた。薬研で薬草をすりおろしていた。
こちらに背を向けている。まずオビにガツンと一言いってやろうかと思ったが、
元に戻ってから白雪に会うのはこれが初めてだ。報告を兼ねて白雪に挨拶をしようと思い声をかけた。
「白雪!」
 大きな声で名前を呼んだつもりだったが、白雪はこちらを振り返らなかった。
聞こえなかったのだろうか? 彼女の傍まで近づき、もう一度名前を呼んだ。
「白雪、元に戻ったぞ!」
 ゼンは笑顔で白雪に話しかけた。白雪は隣に来たゼンに一度視線を向けたが、すぐに目の前の薬研の方を向いてしまう。
「白雪? どうした?」
 異変を感じたゼンの声は少し小さくなる。
「かわいい女官さん、集めているでしょ」
「は?」
「オビから聞いた。ゼンの周りにはかわいい女官さんがいっぱいいるって。ゼンが集めてるって!」
 白雪は薬研から手を離し、ゼンを置いて部屋を出て行こうとする。
「な、なんだ、それ。俺は女官なんて集めてなんかないぞ。ちょっと待ってくれ何かの誤解だ、白雪!」
 ゼンは部屋から出て行こうとする白雪の背中を追った。
白雪はゼンを振り返らずに扉に向かったが、扉の前である人影に遮られた。
「きゃっ!」
 白雪よりもずっと大きい身体に進路を阻まれる。白雪とゼンは扉の前で止まる。
「イ、 イザナ陛下?」
「兄上!? どうしてここに?」
 白雪の行く手を遮ったのはイザナであった。笑顔のイザナが立っていた。
「ここいいたか、白雪。さあ、デートしようか」
「は?」
 イザナはにっこりと微笑む。白雪は訳が分からずきょとんとする。
「な、何を言っているんですか? 兄上……」
「何だ? ゼン、忘れたとは言わせないぞ。オビを共につけるなら白雪とデートしてもいいって言ったじゃないか」
「はぁ?」
 そんな約束に覚えはないゼンは声を裏返らせる。
「何か騒がしいですけれど、どうかしましたか? お嬢さん?」
 オビが騒ぎを聞きつけて現れた。
「ちょうどよかったオビ。白雪とのデートの供をしてくれ。なるだけ離れてついてくるように……。さあ、行こうか。白雪!」
「ええっ! ちょっと、何!」
 白雪はイザナに手を引っ張られて連れて行かれる。
「オ、オビ。これは一体どういうことなんだ。なんで兄上と白雪がデートするんだ!」
 ゼンがオビに詰め寄る。
「あ、それは色々ありまして……その……」
「それにお前白雪に何を言ったんだ! 女官たちも俺のことをナルシストだって言ってたぞ!」
「あっ……、それは……」
 ゼンはオビの胸をつかんで攻める。
その間に白雪はイザナに連れて行かれる。
「あ、待ってくださーい! お嬢さーん! ど、どうしよう。俺があんな約束をしたばっかりに……。
とりあえず、お嬢さんの後に着いてきますから、主! 詳しくはまたあとで!」
 オビは全速力で白雪とイザナの後を追った。
「一体何なんだ……どういうことなんだ。入れ替わっているうちに何が起こったんだ……」
 薬室の廊下に一人残されたゼン。
オビと白雪と兄の背中を見て、薬室の廊下で呆然と立ち尽くした。


♪おわり

最後までお読み頂きありがとうございます。
入れ替わりで楽しい思いをしたと思いきや、最終的にはボロボロになるゼン。
どうだったでしょうか? 入れ替わりを書くのはちょっと難しかったです。
読みにくい部分も多々あったと思います。どうもすみません。それでは、また(^_^)/~




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