天は赤い髪のほとり
〜ナキアのその後〜
白雪がクラリネス王宮から古代ヒッタイト帝国のカルケミシュにタイムスリップ。ナキアと出会います。
天は赤い河のほとり×赤髪の白雪姫のミックスパロディです。
片方の作品しか知らなくても読めます。
イラスト;さおり
主な登場人物
白雪(主人公) | 赤髪の白雪姫 | 珍しい赤い髪を持つ。クラリネス王宮の宮廷薬剤師として働く |
ゼン | 赤髪の白雪姫 | クラリネスの第二王子 |
リュウ | 赤髪の白雪姫 | 宮廷薬剤師。白雪の同僚。 |
ナキア | 天は赤い河のほとり | 魔力を使うヒッタイト帝国の元皇太后。 悪事が重なりカルケミシュに幽閉中。 |
ジュダ | 天は赤い河のほとり | ナキアの息子、第六皇子。カルケミシュの知事 |
アレキサンドラ | 天は赤い河のほとり | ジュダの妻。アルザワ帝国の第一王女 |
1.水溜まり
「リュウ! 雨止みましたよ。薬草採取に行きましょう!」
白雪は薬室の窓から外を覗いた。
暑い夏の日の午後。
つい先ほどまで、クラリネス王宮の空は真っ黒な雲で覆われていた。
ポツポツと薬室の窓に雨粒が当たったと思うと、バケツをひっくり返したような雨が降り始めたのである。
室内で会話をする声も聞き取れないほどの雨だった。土砂降りの雨は数十分降り続くとピタリとやみ、明るい青空が広がってきたのである。
「じゃあ行きましょうか。白雪さん、籠は……」
「こっちに用意してあります。早く行きましょう、リュウ」
白雪は入口に用意してあった、薬草採取用の籠を手とる。二人で王宮内の薬草園に向かう。
外に出ると、頭上には雨上がりの澄んだ青空が広がっていた。
ターコイズブルーの空に綿菓子のような薄い雲がふわふわと浮いている。
真っ黒な雨雲は遥か彼方に消え、もう王宮に戻ってくることはないだろう。
リュウと二人で籠いっぱいの薬草を採取し、薬室へ戻る。
採取した薬草の処理を今日中に終わらせなければならないので、リュウは走るような急ぎ足だ。
雨上がりの地面は濡れていて、所々に水たまりがあった。水たまりに足がつからないよう、
白雪はつま先立ちになり、軽やかによけながらリュウの後をついていった。
『この娘だ』
白雪は何か聞こえたような気がして立ち止まる。
「ん?」
辺りを見回す。リュウも他に誰もいない。
「どうしました? 白雪さん?」
歩みを止めた白雪にリュウが振り返る。
「リュウ、今何か言った?」
「いいえ、何も」
「そうだよね、何か聞こえたような気がして……幻聴?」
白雪は苦笑いする。リュウの声にしてはおかしかった。もう少し高い声……女の人の声だったような気がした。
「白雪さん、疲れてるんじゃないですか? ここのところ働きづめですから……」
「そうだね、ちょっと寝不足かもしれない」
白雪は苦笑いしながら籠を持ち直して歩き始める。
目の前に大きな水溜まりが迫った。リュウはジャンプをしてその水溜まりを越える。
白雪も後に続いてジャンプしようと、膝をかがめた時だった。
「きゃあ!」
足に何かが引っかかったような気がした。白雪は手に持っている籠を落とし、膝をついて派手に転んでしまった。
籠から薬草が飛び出し、地面にばらまかれる。
「どうしたんですか? 白雪さん。滑ったんですか?」
前を歩いていたリュウが驚いて振り返る。自分の籠を地面に置いて白雪を起こす。
「そこの水溜まりで、何かが足に引っかかったの。水溜まりに何かある?」
白雪は水溜まりを振り返る。
足に引っかかるというよりも、足首を捕まれたような感覚がした。
リュウと二人で水溜まりを確認したが、引っかかるようなものは何もなかった。
水溜まりは青い空の色をぼんやり反射して、ゆらゆらと静かに揺れているだけである。
「白雪さん、膝すりむいていますよ。薬室に帰ったら治療しましょう」
「あ……」
転んだ拍子に膝をすりむいてしまったらしい。右膝がかすれて血が滲んでいた。痛みは感じなかった。
地面にばらまかれた薬草をリュウと一緒に集める。
白雪は何もない水溜まりで転んだことに首をかしげながら薬室へ戻った。
「白雪、怪我したんだって?」
夕方、ゼンが薬室に顔を出した。
「うん、全治三日。雨上がりにちょっと転んじゃって……」
リュウに手当してもらった膝を見せて白雪は笑う。たいした怪我ではないことをゼンに伝えたかった。
「まったく、白雪はドジだなぁ。気をつけろよ!」
「うん。気をつけるよ。でも……」
白雪は水溜まりで足を引っ張られたような感覚が気になった。俯き、少し考え込む。
「どうかしたか?」
ゼンが深刻そうな顔をした白雪を心配する。
「あっ! ううん、何でもない。転ばないように気をつけるね!」
「そうか……」
ゼンに変な心配をかけたくない。白雪は無理やり笑顔を作った。
***
「昨日の水溜まりで転んだのは何だったんだろう?」
翌日、白雪は籠を持って薬草園に向かいながら考える。
膝のかすり傷は、もう痛みはない。それよりもどうしてあの水溜まりで転んでしまったのか不思議だった。
確かに足首を引っ張られたような感覚がした。あれは何だったのだろう?
今日は雲一つない紺碧の青空で、昨日のように雨の降る気配はまったくない。足元に水溜まりもないので安心だ。
薬草園に向かって気分よく歩いていると、目の前に池が見えてきた。池の向こうが薬草園だった。
今日も薬室は忙しい。早足で池の前を通り過ぎようとしたときだった。
チャプンと池の方から水音がした。
池に棲んでいる魚か何かが跳ねた音だろうか? 白雪は池の方を見たが水面は静まり返り、魚が跳ねたような様子は全くなかった。
白雪は池を見回すと、池の淵に、こげ茶色の実のようなものが数個落ちているのを見つけた。
石にしてはおかしい。白雪は池の淵までゆき、腰を降ろし、こげ茶色の物体を手にする。
「これって棗の実?」
こげ茶色の実は柔らかく弾力があった。よく見ると実には皺が入っていた。
充分に乾燥したもののようだ。触ると少しべたべたして甘い匂いもする。もしかして……と思い、
白雪はこげ茶色の実に少しだけ舌をつけた。やっぱり! 甘味がある。蜂蜜か何か甘い成分に漬け込んだもののようだ。
池のほとりに、こんな棗の実があるなんておかしい。棗の木なんて、この池の周りにはないし、
この実は人の手を加えられて作られたものだ。誰かがこんな池の淵に棗の実を捨てたのだろうか? 白雪は考える。
ふと池を見ると、棗の実が池にも数個浮かんでいた。
白雪は池に浮かんだ実を取ろうとしゃがみ込む。
池にはぼんやりと顔が映った。
自分の顔か……と思いきやそうではなかった。
水面の映った姿は、髪が赤くなかったのである。金髪の女の人の姿がゆらりと浮かび上がる。
自分よりかなり年上の見たことのない女の人だった。
「ひっ!」
白雪は驚き水面から遠ざかる。逃げようとしたが池の淵に尻もちをついてしまった。
顔を上げ水面を見ると、池から二本の手が飛び出していた。色白の指の長い女性の手である。
――嘘っ!
白雪は大きく目を見開き、声にならない悲鳴を上げる。恐怖に身体が固まり逃げることができなかった。
「だ、誰か助けて……きゃあああ!」
ザブン!
大きな水音と共に、白雪の体は池から出てきた謎の両手に引き込まれた。
白雪の姿はクラリネスの王宮から忽然と消えることとなった。
2. 赤い河
池の中から突然出てきた手に引き込まれた白雪。
長い両手にしっかりと体を捕まれ池の底にどんどん引き込まれてゆく。
このままでは息が続かない。溺れてしまう――。
白雪は水の中で足を上げ、渾身の力を振り絞って掴まれている手を蹴飛ばした。
その拍子に手が緩んだ。両腕の中から抜け出し、水面に向かって自身の手を大きく伸ばした。
ひとかきすると太陽に照らされてキラキラした水面が近づいた。
あともうひとかきすれば水面だ! どうかあの手が折って来ませんように……。祈るような思いで泳いだ。
「ぷはっ!」
息が切れる前になんとか空気が肺に入ってきた。酸素が体に流れ込んでゆく。
白雪は咳き込みながら、池から這い上がった。
「ゴホッ、ゴホッ……一体何なの?」
大きく深呼吸したあと、濡れた顔をぬぐい、辺りを見回した。
「薬草園がない……」
白雪は唖然とする。
池の向こうが薬草園のはずだった。その薬草園がないのだ。薬草園どころか王宮の建物もなかった。
目の前に石造りの平屋建ての建物があり、周囲にはぐるりと囲む灰色の塀があった。
建物も塀もクラリネス王宮のものではない。クラリネス王宮の塀はレンガ造りである。
今、目の前に移る塀は、何の飾り気もない石造りのものだった。灰色の温かみのない直線的な塀がどこまでも続いている。
「ど、どこなの、ここ……」
白雪は立ち上がろうと地面に手をついた。手が濡れていたので砂が指にまとわりつく。
砂をはたこうと両手を見たときである。
「何、この砂……」
手に着いた砂が異常に赤かった。クラリネス王宮の茶色い土ではない。
白雪は直感的に、ここはクラリネス王宮ではないと悟る。
這いあがってきた池を見ると、クラリネス王宮の池ではなかった。
同じくらいの大きさだったが、水の色が違った。王宮の水は澄んだ色だったが、ここの池はすこし濁っている。
池のほとりには棗の木が生えていた。実もいくつも落ちている。
白雪はぐるりと一周、辺りを見回す。
何の飾り気もない灰色の塀で囲まれたその場所は、クラリネス王宮と造りは似ているがまったく別のものだった。
目の前には石造りの大きな建物がある。壁も屋根も石で作られており、レンガは使われてない。
建物の造りはしっかりしていて頑丈そうだったが、流行は追っていない地味な感じの建物だった。
古めかしいと言ってもいいかもしれない。
呆然と立ち尽くす白雪の頬に乾いた風があたる。
温度と空気もクラリネスとは違う。クラリネスの王宮よりもずっと暑く、空気も乾いていた。
今は池の中から上がったばかりだから濡れているが、この場所にずっと立っていたら干からびてしまいそうなくらい暑く乾燥していた。
「おお、こんな所にいたのか」
白雪は振り返る。声の主の顔を見て硬直する。
「あ、あなたは!」
水面に映った顔と同じ女性が目の前に立っていた。年は白雪よりずっと上の印象だ。
金髪の髪を綺麗に結い上げ、奇妙な髪型をしていた。
服も見たことのないヒラヒラした服で天女みたいなベールを肩に羽織っていた。
白雪は見たことのない服よりも、目の前の女性のスタイルの良さに目が行った。
細身なのに胸が大きく、ウエストがしっかりくびれている。年の割にスタイルの良い女性だった。
「カルケミシュへようきた」
スタイル抜群の女性はこちらに向かって笑いかける。
口元は笑っていたが、目は笑っていなかった。白雪は何も言えずに立ち尽くす。
「ほう、すごい髪の色だな……。赤い河で髪でも洗ったか?」
女性は白雪の方へ近寄り。髪を一房つまむ。
「は? あかいかわ?」
何を言われているのか分からず白雪は呆然とする。
「ナキア様! 何をなさっているんですか!」
建物の中から二人の女性が走ってきた。この二人は若そうだ。自分と同じくらいの年かも知れない。
「まずい。女官たちに見つかってしまった」
ナキアと呼ばれた女性はチッと舌打ちした。
「ナキア様、その方はどなたです?」
息を切らせた女官はナキアに問う。
「私の魔力でこの世界に引き寄せた娘だ」
「ナキア様! あれほど魔力で別の世界の方を呼んではいけないとジュダ殿下から言われているでしょう!」
甲高い声をあげて二人の女官は怒っている。
「いやいや、ちょっと待て。少しこの娘に聞きたいことがあるのじゃ。何も手だしはしないから少し話を……」
「いけません。早くその方を元の世界に返してあげなくては……」
女官はナキアの前で仁王立ちになる。若いのに結構な迫力だった。
「私はジュダ殿下を呼んで来ます」
一人の女官が建物に走っていった。
白雪は目の前のやりとりに呆然とする。残された女官が白雪のほうへ向いた。
「私たちの主人がとんだことをして申し訳ありません。あなた様は必ず元の世界へお返しいたしますので安心してくださいね」
女官は優しく白雪に笑いかける。
「あの……ここ何処ですか? クラリネスの王宮ではないと思うんですけど……」
白雪はおそるおそるたずねる。
「ここはヒッタイト帝国の地方都市、カルケミシュです」
「カルーアミルク?」
「いえ、カルケミシュです」
女官の顔が引きつる。
「カルケミシュ……」
聞いたことない地名だなと思いながら、女官の続きの話を聞く。
「あなた様はこちらのナキア様の魔力でこの世界に連れてこられたのです。
ナキア様はこのヒッタイト帝国の元王妃だったのですが、
色々ありまして……息子あるジュダ殿下が知事を務めるカルケミシュに幽閉されている身なのです」
「はあ……」
このナキアという女性の魔力でクラリネスからカルケミシュというこの土地に連れてこられてしまったということは理解できた。
「それにしてもすごい髪の色ですね。赤い河で髪でも洗いましたか?」
女官が口に手を当てて笑う。髪のことでは色々言われたことがあるが、
『赤い河で髪でも洗ったか?』と言われたのは初めてだった。先ほどナキアも言っていた。『赤い河』とは何なのだろう?
「母上!」
建物から先ほどの女官と一緒に、男性と女性が走ってきた。
男性の方がナキアの息子、カルケミシュの知事ジュダで、女性の方がその妻のアレキサンドラだと女官が教えてくれた。
ジュダの方はかなりの美男子であった。
アレキサンドラも年は白雪より上だと思うが、品のある可愛らしい顔をしていた。
「母上! あれほど魔力を使ってはいけないと申し上げたでしょう!
今度魔力を使ったことが皇帝陛下に露見したら、極刑は免れませんよ」
「ふん!」
ナキアはそっぽを向く。
ジュダは白雪のほうをまっすぐに見つめる。
「私の母がとんだ失礼をして申し訳ありません。私はこのカルケミシュの知事をしておりますジュダと申します。
あなたは必ず元の世界にお返しします」
ジュダは深々と頭を下げる。
「はあ、白雪と申します。返して頂けるならそれでいいです……」
「本当に申し訳ありません、白雪さん。しかし綺麗な髪の色ですね。
初めて見ましたよ、赤い髪なんて。まるで赤い河で髪を洗ったみたいだ」
ジュダは白雪に向かって微笑む。
また言われた。3回目だ。一体『赤い河』とは何なのだろう?
「あの、すみません。赤い河ってなんですか?」
白雪は勇気を出して聞いた。その場にいた皆は顔を見合わす。
「赤い河。クッズ・ウルマック。またはマラシャンティア河とも言います。
ヒッタイト帝国を流れる川ですよ。河の色が赤く見えるんです。そう、あなたの髪みたいに」
ジュダが優しく説明してくれる。穏やかさがにじみ出ていた。
「赤く見える河……すごいですね。見てみたい……ハックション!」
白雪はくしゃみをした。池に落ちたため服がずぶ濡れだったのだ。
「大変、白雪さん。このままでは風邪を引いてしまいます。早く着替えないと」
ジュダの妻アレキサンドラが心配する。
「そうですね、とりあえず服を乾かしましょう。白雪さんに着替えを用意するように」
「承知いたしました。ジュダ殿下」
白雪は服を着替えるため、女官たちと一緒に建物の中に入った。
「白雪さん、こちらの服をどうぞ」
肩の出るロングドレスを女官から渡された。ナキアが着ているドレスと似ている。
胸元がかろうじて隠されているだけのかなり露出の高いドレスだった。
クラリネスよりもずっと暑いので、肩を出しても寒くはないが、
こんな露出の高い恰好をしたことがないから、なんだか落ち着かない。
その気持ちが通じたのか、女官から肩にかけるベールを渡された。
着替えが終わり、窓の外を見ると、見たことのない草木が生い茂っていた。
思わず窓に貼りついてしまう。クラリネスよりもずっと暑く乾燥した地域なので、生えている植物が違うのだ。
珍しい薬草があるかもしれない。白雪は窓の外に出てみたくなった。
「ほう、白雪とやらは私の薬草園に興味があるか?」
ナキアが隣に立ち無気味に笑う。
「薬草園!? 外は薬草園なんですか?」
薬草園という言葉に白雪は胸を弾ませる。
「おお、私の管理する薬草園じゃ。行ってみるか?」
「はい! 行きます! ナキアさん」
「ナキア様! いけません。白雪さんを外に連れ出さないよう、ジュダ殿下に言われております」
女官が腰に手を当ててナキアに向かって怒る。
「白雪とやらが薬草園に行きたいと行っておるのじゃ。この屋敷の外に出るわけではあるまいし、
別によいではないか。のう? 白雪殿?」
「はい、薬草園に行きたいです!」
女官たちの反対を押し切って二人は外へ出た。
「わあ! すごい! 見たこともない草木がいっぱいある。あっ、これは食虫植物じゃないですか!
文献以外で初めて見た。これはハエトリグサかな? きゃあ! ハエを食べた!」
クラリネスにはない植物がたくさんあり、白雪は喜ぶ。
「あっ! ユラシグレがある。ここにもあるんだ。ユラシグレ」
白雪は自分の髪と同じ色の花を見つける。
「でも毒があるんだよね〜、ユラシグレ」
なんとなく呟いた言葉に、ナキアは血相を変える。
「毒! この花には毒があるのか?」
白雪は勢いよくナキアに肩を捕まれる。
「ひゃっ! びっくりした。はい、毒ありますけど……」
「そうか。この花に毒があるのか。ではこの花を充分に研究しないと」
ナキアは満足げに笑う。
「毒と言っても人間にとっては無害です。まわりに生えている植物にとっての毒ですから……」
「は? なんだ。人間には毒ではないのか。つまらん」
ナキアは仏頂面になる。
そういえば……。見たことのない草木もあるが、知っている草花では毒を含むものが多いような気がする。
もしかしてこのナキアって人、毒を研究しているの?
「あの……ナキアさん」
「なんじゃ?」
「もしかしてナキアさんは、毒を含む植物を集めているんですか?」
「そうだが、それがどうした?」
ナキアは白雪の問いに即答する。
そばで控えている女官を見ると、溜息をついて呆れているようだ。
「そう……なんですか。でもこの草も大量に摂取すれば毒になりますけど、
少量なら痛みを和らげる薬になりますよ。そっちの花はすりつぶして別の薬草と混ぜれば薬として使えます」
白雪は葉っぱを触って説明する。
「そうなのか。毒にも薬にもなるのか」
「はい。薬は毒を薄めたものですからね。逆にいくら身体に良いものでも大量に摂取すれば害を及ぼします。
毒と薬は表裏一体なのかもしれませんね」
「そうなのか。白雪とやら、私にお前の知識を教えて欲しい。こっちの草はどうだ? そっちの花には毒はあるのか?」
ナキアはあちこちの草や花を指して白雪に訊ねる。白雪はナキアの問いに答える。
「さすがは私が呼び寄せた娘! 私の目に狂いはないな」
ナキアは満足そうにする。
白雪は考える。そういえば何故、自分はクラリネスからこの世界に呼び寄せられたたのだろう?
その理由が不思議になった。
「あの……ナキアさん。どうして私を呼びせたんですか?」
「うむ。若いころからずっと毒薬の研究をしてきたのだが、行き詰ってしまってな……。
それに最近老いも感じるようになった。体に良いものにも興味が出てきたから、知識のある娘がいないか探していたのじゃ」
「そうなんですか……」
白雪は返事をしながら、薬草園から見える遠くの景色を見た。
所々に草が生い茂る、乾いた大地がまっすぐに続く。その中心部を、河が流れていた。
「あの河……」
白雪は遠くに見える河を指さした。
「赤い河ですよ」
声の主はナキアでも女官でもなかった。背後にジュダの妻アレキサンドラが、微笑みなが立っていた。
「あれが赤い河……」
ここからは見えないけど、近づけば赤く見えるのかな?
白雪は赤い河をよく見ようと背伸びをする。
「白雪さん、行ってみますか? 赤い河」
「いいんですか? アレキサンドラさん」
「はい。一緒に行きましょう。まだ服も乾いていない事ですし、散歩がてらにいきましょう」
白雪とアレキサンドラは供の女官たちと一緒に赤い河に向かって歩いて行った。
「あの、アレキサンドラさん。お聞きしてもいいですか?」
「はい、何でしょう?」
「ナキアさんは元皇太后だって聞きました。ということはお妃様だったこともあるわけですよね。
そうするとジュダ殿下は王子様ってことですよね」
白雪はナキアとジュダ、アレキサンドラの身分について不思議になった。
「はい。ジュダ殿下は先々帝シュッピルリウマ陛下の第6皇子です」
「第6皇子……」
「それがどうかしましたか?」
「いえ、ちょっと知りたかったんです。ではアレキサンドラさんは貴族のご令嬢ですか? それとも……お姫様?」
アレキサンドラは気まずそうに笑う。
「国を治めることに身分など、さほど重要なものではないと思いますが、私はヒッタイトの隣の国、アルザワ帝国の第一王女です」
「お! 王女様! 大変失礼しました。アレキサンドラ様とお呼びしないといけませんね。すみません」
白雪は赤い頭を深々下げる。
「いいんですよ。白雪さんはこの国の方ではありませんし」
アレキサンドラは白雪に優しく笑いかける。
「そうか……やっぱり王女様か……」
白雪は俯きぶつぶつと呟く。
「どうかしましたか? 白雪さん?」
「あっ、実は……私の好きな人もクラリネス王国の第二王子なんです。
でも私はアレキサンドラさんみたく王女様じゃないし、何の身分も持たない平民ですから、
やっぱりずっとは一緒にいられないのかな……なんて」
白雪は赤い頭をかきながら作り笑いをする。
「まあ! なんて奇遇!」
アレキサンドラが目を輝かせ白雪の手をしっかりと掴む。
「奇遇?」
白雪は首をかしげる。
「はい。ここヒッタイト帝国の皇妃ユーリ様は平民出身です! なんて偶然なの! 身分なんて関係ありません。
あの気難しいお継母さまとも対等にお話できる方なんてそうそういませんもの。
白雪さんは大きくなられる方だと思います。わたくし、白雪さんのこと、応援したいです!」
アレキサンドラは白雪の手を握ったまま飛び跳ねるようにして喜ぶ。
「ここの皇妃様が平民?」
「ええ、ユーリ様は平民出身です。何の後ろ盾もありませんが皇妃の地位に登りつめました。
そういえば、ここの皇帝陛下も第1皇子ではなく、第3皇子のカイル陛下が長く帝位に就いています。わからないものですよ」
アレキサンドラは白雪の手を離す。
平民でも妃の位についている人がいるのだ。王妃までは望まないけれど、
ゼンの隣に立つことは諦めなくてもいいのかもしれない。白雪はアレキサンドラの話を聞いて元気が出てきた。
「白雪さん、赤い河に着きましたよ」
アレキサンドラは目の前の河を指さす。
「赤くない……」
白雪の赤い河を見た第一声だった。
「すみません、白雪さん。赤い河は雨が降った時や雪解けの水が流れる冬しか赤くならないんです」
アレキサンドラが申し訳なさそうに笑う。
「そうなんですか……。でも土は真っ赤だ!」
白雪はしゃがみ込み、赤い土に触れる。
赤い土に触れながら考える。
赤い河に赤い髪。異世界だけれども、この国の皇妃様は自分と同じ平民出身だという。
ただの偶然が重なっただけかもしれないが、なんとなく勇気づけられたような気がする。
「そろそろ帰りましょうか。白雪さん。服も乾いた頃だと思いますし……」
「あ、はい」
白雪は立ち上がり、アレキサンドラと一緒に帰路を急いだ。
3. 白雪の白衣
「さあ、母上。早く白雪さんを元の世界に戻してあげてください」
息子のジュダ皇子が少々怖い表情で母を追い詰めていた。
「わ、わかっておる……」
ナキアはふて腐れながら準備にとりかかった。
「さあ、白雪さん。服を着替えましょうか?」
女官が白雪の前に服を持って来た。
「その服……」
ナキアが白雪の服を見て呟く。
「どうかしましたか? ナキアさん」
「いや、ああ、ええっと……」
ナキアは何か言いたそうであったが、言いにくいことなのか、ぶつぶつ言っているだけであった。
「もしかしてお継母さま、その服をお気に召したのでは?」
アレキサンドラが両手をポンと叩く。
「ええっ!」
ジュダと女官たちが目を丸くする。
「きっとそうですわ。お継母さまは、白雪さんのこの服を着てみたいのですよね」
ナキアは無言であったが、図星なのか気まずそうにしている。
「あの……じゃあ着てみます?」
白雪がナキアの前に服を差し出す。
「よろしいのですか? 白雪さん」
ジュダが申し訳なさそうに聞く。
「はい。大丈夫です。もしよかったら着てみて下さい」
「ほら、お継母さま。白雪さんお許しを下さいましたわ。さあ、着替えてみましょう!」
ナキアは女官たちに付き添われて着替えに別室へ入った。
イラスト:さおり
「胸がきついな……」
白雪の白衣に着替えたナキアの言った第一声であった。
ナキアは胸元をゆすって苦しそうにする。巨乳のため胸がパツパツで今にもボタンが弾けそうであった。
ナキアの表情を見ると、眉間に皺を寄せ、あまり嬉しそうではない。服が気に入らなかったのであろうか?
「ナキアさん、スタイルいいですからね……。私の白衣だとサイズが合いませんね……すみません」
白雪は謝る。
「わあ! 母上、嬉しそうですね。白雪さんの服、お似合いですよ」
ジュダが興奮しながら母を褒める。
「本当に、お継母さま、嬉しそうですわ!」
アレキサンドラも頷く。
「う、嬉しそう?」
白雪は不思議だった。どうみてもナキアの表情は嬉しそうには見えない。
目はつり上がり眉間に皺が寄り、不機嫌そうにしか見えなかった。
「本当に、ナキア様嬉しそう……」
「お喜びですわね、ナキア様」
女官たちも口をそろえて言う。
「あ、あの……私にはあまり嬉しそうに見えないんですが……」
白雪は申し訳なさそうに質問する。
「ああ、そうですね。白雪さんにはわからないかもしれませんね。
眉間に皺が二本から一本になっているから、とても喜んでいるんですよ。母さまはあまり上手に喜びを表現できないんです」
「お継母さま、いつもより表情も柔らかで本当に嬉しそう」
アレキサンドラもうんうんと頷いていた。
「母さまは好きな人とも添い遂げられず、国も追放された身なので、いつも表情が硬いんです。
でも、白雪さんのおかげで今日の母さまは楽しそうです。ありがとうございます。白雪さん!」
「わたくしからもお礼を申し上げます。ありがとうございます」
皇子と王女に頭を下げる。主人に習って女官たちも頭を下げていた。
「い、いえ……私は特に何も……」
本当に何もしていないので恐縮する白雪であった。
「じゃあ、母さま。もうお気がすみましたよね。その服を脱いで早く白雪さんを元の世界に戻してあげましょう」
「うむ」
ナキアは素直に頷く。
「じゃあ、白雪さん。水盤の方へ行きましょう」
ジュダがナキアの部屋の方に誘導する。
「え? 池の中に飛び込むのではないんですか?」
「はい。母上の部屋の水盤から帰れるはずです。さあ、母上の気が変わらないうちに早く!」
白雪はジュダに背中を押される。
そろそろ夕方だ。早く元の世界に戻らないと、ゼンをはじめ、みんなが心配するだろう。
白雪は水盤のあるナキアの部屋へ入っていった。
4.ゼンの心配
「白雪! 白雪!」
頭上からの声で白雪は目を覚ます。
自分は柔らかいベッドの上に寝かされているようだ。温かく心地よい。
あの世界から無事に帰ってこられたということだろうか。
白雪がうっすら目を開けると、目の前に心配そうなゼンの顔があった。今にも泣きだしそうである。
「ゼン……?」
名前を呼ぶと、ゼンが寝ている白雪に飛びついてきた。
「よかった。白雪! 本当に良かった」
ゼンは白雪の肩と首の間に顔を埋める。抱きつかれていて身動きができない状態となる。
ベッドの周りを見回すと、ミツヒデ、木々、オビ、リュウがいた。みんな心配そうにこちらを見つめている。
「お嬢さん、薬草園へ行ったっきり戻ってこないから探しに行ったんですよ。そうしたら池のところで倒れていて、驚きましたよ」
「どうしたんだ? 白雪? 足でも滑らせて池にでも落ちたのか?」
「何言ってるのミツヒデ。池に落ちたら服が濡れているに決まっているでしょう」
「そうだな。木々の言うとおりだ」
ミツヒデが納得する。
「白雪さん、ちょっと起きられます?」
リュウと目が合った。白雪は首を横に振る。
「む、無理……。ゼンがどかないと……」
ゼンは心配のあまり白雪に抱きついだままだった。オビが主人の肩を叩く。
「主、いいかげん。お嬢さんから離れてください」
「す、すまない。白雪が池の前で倒れているって聞いて、溺れたのだと……。もう心配で心配で」
起き上がったゼンの瞳に涙が滲む。かなり心配させてしまったらしい。
「白雪さん、どうしてあんな所で倒れていたんですか?」
リュウが改めて聞く。
「ええと……薬草園に行こうと池の前を通ったら水音がして……
池に近寄ってみると棗の実が落ちていたの。それで……なんだっけ?」
白雪は本当に忘れてしまっていた。
目が覚めた直後は明確に覚えていたのに、なんだったのだろう? どこかに行っていたような気がする。
でもそれはどこだろう?
一瞬、脳裏に乾いた砂の大地が浮かんだ。でもすぐにその景色はかき消される。
白雪は黙り込み考える。
「つまり……その後の記憶がないってことですね」
「う、うん。そうだね。リュウ。最近、寝不足だったし、疲れてたのかな?」
白雪は笑ってごまかそうとした。
「どこか打った場所はないですか? 痛みやしびれを感じる場所は?」
リュウが白雪の体をぐるりと見回す。
「うん、大丈夫かな」
「じゃあ、今日はしばらく休んでいてください。後でまた様子を見に来ますから」
リュウが部屋から出て行く。ミツヒデ、木々、オビも「お大事に」と言って後に続いた。
ゼンと部屋に二人きりになる。お互いに見つめあい視線が交差する。
「心配かけてごめんね。もう大丈夫だから」
白雪はゼンに微笑みかける。ゼンも安心したのか笑顔になる。
「ああ、本当に。連絡を受けたときは心臓が止まるかと思ったよ。無事でよかっ……た……」
ゼンの顔から突然、笑顔が消失する。代わりに少しづつ顔が赤くなり始めた。
「どうしたの?」
問いかけたが、何も言わない。こちらを見つめてどんどん顔が赤くなる。
一度ゼンと目が合った。だがすぐに彼は床に視線を落としてしまった。
数秒後、また目が合う。赤い顔で何か言いたそうにもじもじしている。
「どうかした? ゼン? 顔が赤いけど……」
「あっ、いや……ええと、あの……」
こちらを見つめて更に赤くなる。
「どうしたの? 何か言いたいことがあるなら言って」
ゼンの瞳を見つめて手を掴む。いつもと様子が違う。真っ赤な顔をしてどうしたのだというのだろう。
ゼンは一度視線を落とした後、まっすぐにこちらを見つめた。
「あの……ボ、ボタンが……」
「ボタン?」
真っ赤な顔をしたゼンが話し始める。
「胸元のボタンが一つ……取れてる……」
「ええっ!」
白雪は胸を両手で覆う。よく見ると、薬室の白衣のボタンが……ちょうど胸元のボタンが一つ取れていたのだ。
「やっぱり!」
やっぱり。この服は、胸の大きいあの女性にはきつかったのだ。ボタンが弾け飛ぶほどの巨乳だとは思わなかった。
「は? やっぱり? 何でやっぱりなんだ?」
ゼンは白雪が言った言葉を聞き返す。
「ああ、それはね……ええと胸が大きくて……あれ? 誰の胸が大きいんだっけ?」
一瞬、ボタンが外れた原因がわかったような気がしたのだが、記憶がまた不鮮明になる。
「大丈夫か? 白雪?」
「うん。大丈夫……かな? ボタンが外れていることに気づかなかった。ごめんね、ゼン……」
「い、いや……、こっちこそごめん」
ゼンは顔を背ける。頬がまだ赤い。
ん? 赤い……赤いで何か思い出せるような気がする。何だっけ?
赤い髪は自分。赤い、赤い……なんだっけ?
記憶の扉が開きそうで開かない。
もどかしい思いがしたが、ゼンの笑顔を見ているうちにその気持ちは薄れてゆく。
***
その頃、古代ヒッタイト帝国、カルケミシュでは……。
「なんじゃこれは?」
ナキアは白雪の白衣のボタンを拾う。
「あら、お継母さま、それは先ほど白雪さんに着せてもらった服の附属品ではありません?」
アレキサンドラはボタンを見つめる。
「あの赤い髪の娘の忘れ物じゃな。不思議な娘だったのう……」
ナキアはボタンを見つめながら嬉しそうにニヤリと笑う。
その後、カルケミシュのナキアは、毒薬となる草花を育てるだけでなく、
毒薬を薄めて人の為になる薬の研究をし、人生後半をすごしましたとさ。
♪おわり
***
お読み頂きありがとうございます。ミックスパロディいかがでしたでしょうか?
いつもと違う雰囲気でこれはこれでいいかな? と自分で思っています(笑)。
写真の赤い河は古代ヒッタイト帝国があったトルコ現地で本当に撮ってきた写真です(2002年)。
ナキアのイラストは友人のさおりに書いてもらいました。
過去のイラストですが、こんなものもあります。主な天河の登場人物のイラストです。
天は赤い河のほとりイラスト
漫画もあります。さらっと読めますのでどうぞ♪
ナキアババアに花束を
天河版タイタニック
それでは、また(^_^)/~
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