顕太郎の先祖(日本篇)
俺は顕微鏡の顕太郎。今日は「顕微鏡はじめて物語−日本版」だ。 西欧で開発された顕微鏡がどうやって日本に入ってきたかを話そうと思う。 えっ? 過去を振り返ってどうするって? 森羅万象、この世に存在する すべてものものは、大なり小なり、必ず歴史の上に成り立っているのだ。 温故知新の言葉に習い、古きを訪ねて新しきを知るため、 俺の独断で顕微鏡のルーツを辿りたいと思う。 顕微鏡が日本に初めて入ったのは江戸時代。当時、日本列島は鎖にて 囲まれており、外国との交流はシャットアウト。そんな鎖の唯一の 切れ目である長崎の出島から紅毛文化が輸入された。 紅毛とはオランダのこと。蘭学とともに顕微鏡が紹介されたと 考えてよいであろう。 顕微鏡について最も古い文献は、1765年に出版された後藤梨春の 『紅毛談(おらんだばなし)』である。書中では虫めがねと呼ばれているが、 複式顕微鏡のことを指すようだ。初めて顕微鏡を覗いた驚きのようすが よく書かれている。当時の顕微鏡の倍率は30〜150倍程度だったが、 まだ細菌の知識がなかったこの時代には、充分に人々の目を驚かせた。 初期の輸入品は研究に使用されるよりも、外国趣味の好事家の手に渡り、 自慢の種となったようである。 国産で最古の顕微鏡は、天明元年(1781年)大阪で作られた木製の カルペパー型(股式)顕微鏡だといわれる。 「とりわけ日のよく当たるところがよろしい」と、 尤もなことが書かれた書道風説明書も添付されている。 木製の顕微鏡なんて今では考えられないことだが、他にも竹製や べっこう製の顕微鏡があった。その中で、俺のお気に入りは竹製顕微鏡だ。 竹を胴筒に使ったドラム型顕微鏡で、雀のイラストが入っているものもあり、 なんとも日本的である。ちなみに『顕微鏡』という言葉は中国産である。 明治20年頃から顕微鏡の輸入が本格化し、それに伴い書物も出版された。 顕微鏡についてだけではなく、組織標本の固定から標本の作り方、 染色法、細菌検査法も紹介されており、現代につながるものがある。 顕微鏡の歴史=ミクロの世界の歴史と言っても過言ではないであろう。 ああ、俺ってなんてすごいのだろう! 俺は、人間とミクロの世界を 結ぶキューピットなのだ! 温故知新――古きをたずねた顕太郎。新しきを知る 前に、自我自尊に辿りついてしまったようである……。 参考文献 臨床検査の歴史を辿る―臨床検査の道標― 発行・編集 第37回日本臨床病理学会総会展示会 制作協力 SRL 江戸さいえんす図鑑 発行 インテグラ 発売 そしえて 制作 光琳社 医学書院 検査と技術 2002年4月号コーヒーブレイク掲載 |
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顕微鏡ってシーボルトとも関係するのよね。シーちゃんのことも
書きたかったけど、簡潔にまとめられなかったから断念(@_@)。
やっぱ幕末はイイナァ〜。
イラスト書きのDさんに、雀のイラストの入ったかわいい竹筒顕微鏡を
描いてもらいました(というか、私がリクエストしたんだけど・笑)。
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