顕太郎の先祖


 今日は俺のご先祖様について語ろうと思う.
 顕微鏡の要となるレンズの歴史は古い.最古のレンズは紀元前700年頃のニネヴェ
(現イラク北方,アッシリアの古都)の遺跡から発掘されている.物を拡大するためではなく,
太陽熱を集めるために作られた水晶の平凸レンズだ.この当時は印章(古代の印鑑)の
材料としてもレンズが使われていたらしい.
 11世紀になるとアラビアの数学者アルハーゼンがレンズを用いた実験を行ない,
物が拡大されて見えるのはレンズの表面が曲がっているからだと指摘した.
また当時は,物が見えるのは目から光線が出るからだと考えられており,
それを訂正したのも彼である.今考えると笑ってしまうことだが,当時はウルトラマンのように
目から光線が出ていると考えられていたらしい.
 1590年になると,オランダの眼鏡職人ヤンセンが凸レンズを2個使用し,
大きな倍率を得ようと試みた.1個でよく見えるなら,2個でどうだ! という考えである.
いわゆる複式顕微鏡の発明だ.このときはレンズを2個使ったところで,
たいした倍率は得られなかったらしいが,発想だけは後世に受け継がれたのでよしとしよう.
 初期の顕微鏡に改良が重ねられ,1650年代には生物の細かい部分の観察に
利用できるようになった.1660年にはイタリアのマルピーギが顕微鏡を使って毛細血管を発見し,
先駆者的存在となった.
 更に1665年にはR.フックが複式レンズによる顕微鏡を使ってコルクの構造を観察し,小部屋に
分かれていること発見した。細胞の発見である.彼の出版した Micrographia(顕微鏡図譜)には
顕微鏡による観察の美しい図版が収載されている.
 R.フックのように複式レンズを使ってではなく,A.v.レーウェンフックは,単レンズに磨きをかけて
200倍以上の倍率を得ることに成功した.彼の趣味はレンズ磨きであり,生涯で419枚もレンズを
磨いたという.なんだかレンズオタクのようであるが,彼は顕微鏡を使って微生物や精子の発見をした
偉大な功績があることを忘れてはならない.
 18世紀になると,色消しレンズの発明や分解能の概念などを通して除々に顕微鏡は進化していった.
こうして顕微鏡が実用化されていったことから,この当時発見された星座には,顕微鏡座という名前も
つけられた.どうだ? すごいだろう! 俺はスターなんだぜ!
 星座の名前にもなってしまう顕微鏡.位相差顕微鏡の相子や蛍光顕微鏡の蛍子,
電子顕微鏡の電太郎オヤジらが親戚にいるが,こいつらの紹介はまた今度とする.


参考文献;アイザック・アシモフの科学と発見の年表 小山慶太・輪湖博 共訳 丸善株式会社
       図説科学・技術の歴史(下) 平田寛 朝倉書店


                          医学書院 検査と技術 2001年 10月号コーヒーブレイク掲載

***
コーヒーブレイクで参考文献があるっていうのも珍しいかも……(笑)。
ro-sは歴史とつくものは好きです。
日本史では戦国、幕末。世界史では古代中東史。
(あまり詳しくないけど)
変わった検査技師だ……





[BACK