忘年会
寒さにも拍車がかかった12月。 師も走る師走と言うが走っているのは師だけではない。 年末年始の診療休診前にごっそり薬をGETしておこうと、病院に患者が駆け込み、 それに同調するように院内の職員も忙しく走り回ることとなる。 人間のいないところで隠れてお喋りをする検査機器たちも、 今年最後のひと踏ん張りとして、黙々と働いていた。 年末の仕事は忙しいが、仕事だけが忙しさの原因ではないことが多い。 この時期に行われる忘年会もて師走を慌しくさせる一つの要因である。 12月の忘年会は年の締めくくりとして人間たちにとってなくてはならないもの(?)である。 それは検査機器たちにとっても同じであった。 「顕次郎、今日は忘年会だぞ。準備に取り掛かるぞ」 検査技師も数時間前に帰った暗闇と静寂に包まれた真冬の検査室。 自称末血スライド標本の大ベテラン、顕微鏡の顕太郎が元気に後輩に言った。 「忘年会って……どこでやるんです?」 初めて年越しをする新米顕微鏡は静かに尋ねる。 「今年はここ血液検査室だ。俺たち顕微鏡の他にも遠心分離機の遠子や傘男、恒温水槽の恒子、 冷蔵庫の冷子や冷凍庫の雪子、生理機能検査室からは心電計の美子や脳波計の静、 ノーズクリップのハナ子も来る予定だぞ」 「ちょ、ちょっと待ってください。遠子さんや恒子さんなら同じフロアにいますから わかりますが、階の違う生理機能検査室の美子さんや静さんもいらっしゃるんですか? どうやってここまでくるんですか?」 臨床検査機器大集合に顕次郎は耳を疑った。心電計、ましては脳波計ともなると あの大きな体(機械)をどうやって移動するのだろうかと不思議に思ったのだ。 「どうやってって、階段で来るわけないだろ。文明の利器エレベーターで来るだろうよ。 大丈夫だ、奴らには病棟にポータブルに行けるように滑車がついているからな!」 「滑車の問題ではありません。エレベーターに乗っているところを人間に 見つかったらどうするんです!」 真面目で素直な新米顕微鏡は声を大きくする。 「お前は堅い奴だな。通りすがりの脳波計と心電計と思わせればいいだろう」 「真夜中に通りすがる心電計と脳波計が一体どこに……」 顕次郎は呆れたが、「それなら自分たちが生理機能検査室に行こう」と 言われるのが怖くて、静かに先輩顕微鏡と忘年会の準備に協力した。 準備がほぼ終わったころ、ゴロゴロという滑車の音と共に、心電計の美子と 脳波計の静が重そうなからだを引きずってやってきた。静の電極コードの端には ノーズクリップのハナ子もぶらさがっている。 「さあさ、みんな揃ったところで忘年会を始めようじゃないか。ではまず、 今年の幹事である血液スライドの大ベテランこと、この顕太郎が挨拶をしよう」 わぁ! と金属的な拍手が顕太郎を包んだ。 「今年は顕微鏡の顕次郎と遠心分離機の遠子の計2台の新しい仲間が増えた。 人員削減、経費削減の厳しい検査室事情の中で新しい仲間が増えるということは 大変喜ばしいこと。顕次郎や遠子には働き者の先輩を見習い、かつ新品の性能と処理能力を 生かして、検査室に活気を与えて欲しいと思う。 年を忘れる会と書いて『忘年会』。年を忘れて大いにはしゃぐことも結構だが、 来年も望める年にできるよう『望年会』として来年もがんばっていきたいと思う。 さあ、みんなグラスを持って乾杯だ!」 「顕太郎、かっこイイワ! きゃッ!」 イスカンダル帰りの鏡子が似合わぬかわいらしい声をあげた。 鏡子ももちろんこの忘年会に参加している。 検査機器たちはビールの栓をあけ、お互いのグラスに注ぎあった。 「あ、あの……水に弱い機器がビールなど飲んで大丈夫なのでしょうか……」 顕次郎は不安そうに質問する。 「何言ってるんだ。忘年会のビールは別腹だろう。大丈夫にきまってる! ほら、お前も乾杯だ!」 顕太郎は心配そうな後輩にグラスを持たせ並々と注いだ。 「乾杯!」 威勢のいい掛け声と共に検査機器たちはビールを飲み始めた。 これが本当の別腹だ。と、納得しながら顕次郎も注がれたビールを飲んだ。 忘年会が初めての顕次郎はどうしたらよいかわからない。 他の機器たちは、今年一年あったことをビールやおつまみをつまみながら それぞれ語り合っていた。 「おーい、顕次郎。そんな隅で何やってる。こっちにこーい!」 ほろ酔い加減の顕太郎が、助手を呼んだ。 「顕次郎、お前随分と大人しいな。ん? もうビールがないじゃないか。 冷蔵庫の冷子から持ってきてくれ!」 「あ、はい」 素直な顕微鏡は先輩の言葉に従って、冷子のもとへ足を運んだ。 冷子は、冷凍庫の雪子と優雅にワインを飲みながら会話を交わしていた。 いつもはライバルの2人も忘年会だけは戦いを忘れているようである。 「すみません、冷子さん。ビールをとってもよいでしょうか?」 「ビール? わたしに冷やしてあったビールは全部飲んじゃったからもうないわよ!」 冷ややかな冷子はツンとして言った。 「え……じゃあ……」 態度の冷たい冷子に顕次郎は戸惑う。 「仕方ないから室温に保存してあるビールでも持っていけば? 腹の中に入れば 同じよ!」 「あ、はあ……」 顕次郎はまだ冷えていないビールを電源コードでまとめて先輩の元に持っていった。 「おお、サンキューな! 顕次郎。どれどれ」 ほろ酔い加減で機嫌の良い顕太郎の表情がビールを手にした瞬間フリーズした。 「おい、顕次郎! このビール冷えてないじゃないか!」 「あ、すみません。もう冷子さんの中にビールが入っていなかったもので……」 申し訳なさそうに先輩顕微鏡に言った。 「すみませんじゃないだろう! 冷えてなかったら、冷凍庫の雪子で 瞬間冷凍すればいいだろう。それくらい気を効かせろ!」 「はい、すみません!」 怒鳴られた顕次郎は焦って雪子の元へビールを持って走っていった。 「顕太郎アニキ、ビールを冷やして参りました!」 「よお〜し、ご苦労!」 冷たいビールを重そうに抱えたビールを先輩に渡した。 顕太郎は電源コードを使って上手に栓を抜いた。顕微鏡なのに栓抜きを使って ビールビンの栓をあける姿は、同じ種に属する顕次郎から見ても神業。 グラスに向かって神業を所有する顕微鏡はビンを傾けた。が、中から黄褐色の液体が 出てこない。顕太郎は1μ秒硬直した後、ビールビンを覗き込んだ。 「ばかやろう! 誰が凍るまで雪子で冷やしてこいと言った! 限度ってものを知れ! これじゃあ飲めないだろっ!」 「は、はい。すみませんっ!」 顕次郎は先輩の怒鳴り声に身を縮める。確かにビールビンの中の黄褐色の液体は 固形へと形を変え、カチカチに固まっていたのだ。 「じゃ、じゃあ……このビールを恒温水槽の恒子さんで冷やして……」 顕次郎は固体になったビールをおろおろしながらかき集めた。 「ばかやろう! 凍ったビールを恒温水槽の恒子で融解したら、 年寄りの恒子は腰を抜かすぞ! 年寄りの冷や水って言葉を知らないのかっ!」 「そ、そうでしたっ! 恒子さんはご高齢。冷えは大敵でした」 本日2度目のばかやろうに何度も頭を下げる。 すぐに血圧の上がる顕微鏡に今日も頭を下げっぱなしである。 厳しい主従関係を見かねたイスカンダル帰りの顕微鏡が、そっと顕次郎に近寄った。 「顕次郎、人生楽あれば苦あり、涙の向こうにはきっと虹も見えるワヨ。 落ち込まないコトネ」 鏡子がやさしく声をかける。顕次郎は暖かい言葉にほっとした。 「鏡子さん……ありがとうございます」 「騙されるな! 顕次郎。鏡子が今お前に言った台詞は○戸黄門の歌詞だぞ!」 自称末血スライドの大ベテランの細かなツッコミは年末も健在であった。 「もう、顕太郎は鋭いんだから。鏡子・エリザベスは国境を越えた顕微鏡。 ボキャブラリーが豊富ですノヨ」 「何がボキャブラリーだ。鏡子に使われるボキャブラリーなんて気の毒だよな。 こんな支離滅裂な使われ方で……」 「きいいいい、尻三つ四つとはナニヨ! ワタシのお尻はきれいよ!」 鏡子さんの耳や口は今日もおかしい。顕次郎は心から思った。 「俺は支離滅裂と言ったんだ! お前もう一度修理に出してもらったほうがいいんじゃないか? 電気回路が直ってないみたいだぞォー」 顕太郎はアカンベをしながら、嫌味の毒素をたっぷり含ませてバイリンガル顕微鏡に言った。 「うっきっー! 諸行無常に怒ったアルヨ!」 顕太郎と諸行無常に?怒りが沸点に達した鏡子の間に激しく火花が散った。 「やめてください。二人とも。せっかくの忘年会じゃありませんか!」 慌てて顕次郎は仲裁に入る。 「何言ってんだ。元はといえばお前が鏡子の怪しい口車に乗らないようアドバイスして やったんじゃないか」 「ワタシだって顕太郎にイジメられている顕次郎を助けてあげましたノヨ。顕次郎の ためを思っていますノヨ」 2台の先輩顕微鏡の視線が顕次郎に同時に集まった。 「どっちの味方なんだ!」 「どっちの味方ですノ!」 同時に顕次郎に投げかけられた。 「え……どっちの味方と言われても……」 顕次郎は2台の顕微鏡の間で動揺する。 「ぼ、僕は威勢のいい顕太郎アニキも、バイリンガルな鏡子さんも 大好きなんです! みんな仲良くして欲しいんです。お二方とも検査の大ベテラン。 顕太郎アニキのように強く、鏡子さんのようにユーモアな顕微鏡になること。 それが僕の目標なんです! だから……だから喧嘩しないでください……とりあえず……」 顕次郎は語尾を小さくして言った。 3台の顕微鏡の間に数秒の沈黙が流れる。 「ま、まあお前がそう言うなら、今日の鏡子のことは大目に見よう……」 「そうですワネ。顕次郎はやっぱり良い後輩ネ。ワタシのことは鏡子でなくて 愛称のベスって呼んでもよいことヨ。特別に科挙するわ」 もちろんここでの科挙は、古代中国の高官試験制度のことではなく、許可の間違いである。 「はぁ、許可を頂いて光栄です」 顕次郎は、鏡子の機嫌を荒立てないよう素直に返事をした。 ――ああ神様、今日も自分の心にウソをついてしまいました。 どうか嘘つきの僕を地獄に落とさないでください。 顕次郎は静かに心の中で呟いた。 「年の暮れ サンタも一緒に 忘年会」 神に祈りをささげていた顕次郎の耳に5・7・5のリズムの言葉が入った。 声の主は俳句好きの脳波計の静さん。お得意の俳句をみんなに披露していたのだ。 「相変わらず冴えない詩詠んでるよな。もうちょっとなんとかならないのか?」 口の悪い顕微鏡のボスは静の機嫌を損ねた。 「冴えないって……、詩も詠んだことない顕太郎なんかに言われたくないわよ」 鏡子と違って感情をある程度コントロールできる脳波計は 名前と同じく静かに怒る。 「俺にだって俳句や短歌くらい詠めるさ!」 「じゃあ詠んでみなさいよ!」 売り言葉に買い言葉、顕太郎はコホンとひとつ咳をした。
顕太郎の詩に一瞬沈黙が流れる。その沈黙を破ったのは静であった。 「何よそれ! 盗作じゃないのよっ!」 「そうか?」 顕太郎はしらっとして言う。穏やかな静もさすがに導線が切れた。 「盗作する奴に、私の俳句が冴えない呼ばわりされる覚えはないわ!」 プイっと静は顕太郎に横顔を向ける。 「お前さぁ、俳句って言ってるけど、某誌に投稿した俳句に季語が入ってないって 指摘があったぜ。季語がない句は俳句って言わずに川柳って言うんだぞ」 静は怒りに細かく機械を震わせていた。顕次郎は見ていられなくて またもやオロオロとする。 「静さま、静御前さま。どうかお気を静めて! 呼吸を整えますのよ」 必死になだめるのはノーズクリップのハナ子さんであった。 容赦のない顕微鏡は、鏡子だけでなくかなりの敵を持っているようである。 「今日こそアンタと決着つけてやろうじゃない!」 「望むところよ!」 別の場所から聞こえてきた金きり声の主は冷蔵庫の冷子と冷凍庫の雪子。 つい先ほどまでは仲良くワインを飲んでいたのに、恒例のバトルが始まってしまった。 「ワインはね。赤のほうがおいしいのよっ!」 「いいえ、冷たく冷えた白がいいのよ!」 赤ワイン派の冷子と白ワイン派の雪子。赤と白のどちらがおいしいかが 喧嘩の原因のようである。 「やっぱりあなたとは年内中に勝負をつけなくちゃいけないようね」 「アタシだってあんたと決着つけなきゃ年越せないわ!」 2台の冷却機器に火花が散っていた。永遠のライバルは盆であろうが暮れであろうが まったくお構いなしのようである。 最初に乾杯したときより、みんな完全に不機嫌になっていた。 忘年会なのにまったく年なんか忘れていない。こんなことで来年もやっていけるのだろうか……。 みんな仲良く平和に……なんて到底無理な願いであろう。 宝くじが3億円当たりたいなど贅沢は言わない。とりあえず来年一年も 壊れないで過ごせることを祈るばかりである。 顕次郎は騒がしい検査室を見渡して溜息をついた。 |