夏休み

 小学校のとき、ねねは夏休みが嫌いでした。どうしてかっていうと、
一人になる時間が増えるから。特に辛かったのは低学年のとき。
両親共働きだったので、小学校1年生〜3年生までが行く『学童保育クラブ』に
行っていました。夏休みももちろん学童はあるから、寂しくないはずなんだけど、
この学童は9時から17時までだったんです(まあ、当然だな)。
うろ覚えだけど、ねね母は8時ちょっとすぎに家を出てしまうので、
8時から9時まで、ねねは一人でお留守番しなければいけなかったんです。
8時50分には家を出るから、一人でいるのはほんの40〜50分くらいだったんですけれど、
この時間が恐怖だったんです。
今だったら、一人になっても漫画読んだり、PCやったりして、寂しさなんて
ミジンコもないけど、当時のねねすっごく寂しがりやでした。
だぁ〜れもいない部屋で一人でお留守番。特に1年生のときは怖くて怖くて
たまりませんでした。

「学童行くまで勉強してるのよ、お弁当残さず食べなさいね」
 朝の忙しさにイライラしていたねね母は、不機嫌そうに吐き捨てるように言い残すと、
バタリとドアを閉めて仕事に行ってしまいました。
「電気もったいないから消すわね」
 ねね母、冷酷にも居間と廊下と玄関の電気を消していきました。 
 当時マンションの1階に住んでいたので、光が入りにくい構造をしていたためも
あり、部屋の中は電気を消すと真っ暗になってしまいました。
ねねの勉強机は一番明るい南側にあったので、勉学には差し支えはありませんでしたが、
電気の消された居間と玄関の方を見ると真っ暗……。
怖がりのねねは、暗闇に目を背けました。
 『毎日の学習』という学研から出ている教材を開いて、心の中で「怖くない怖くない」
と呟きながら問題を解きました。でも、暗闇が気になって仕方ありません。
暗いのが怖いなら、電気つければいいのに、その当時はあまりの恐ろしさに
電気つける発想も思いつかなかったようです。第一、勉強なんかしてないで、
テレビつけて、ひらけ!ポンキッキでも見てれば寂しくないのに、それも
頭を霞めなかったみたいです。
 ひたすら問題を解くねね。
 しばらくすると、時計のチッチッチという小刻みな音が気になりはじめました。
次に急に冷蔵庫が『ブンっ』と唸りだしたり、水道の蛇口からお水が一滴ポチャ〜リ。
挙句の果てには、耳鳴りがしてきて、ラップ音まで聞こえ、
玄関のほうを見ると真っ暗な闇が渦を巻いている。
外からスズメの可愛らしい鳴き声がねねをなぐさめてくれたけどもう限界。

(だめぇ〜怖いィ\(~o~)/)

 そう思い、黄色い帽子をかぶって学童に行く支度をして、家を出ました。
家を出ても誰も知っている人がいるわけじゃないけど、外に出たざわめきと、
太陽の明るさに少し心が落ち着きました。
 学童についたのは8時40分。もちろんまだ誰もきてません。
「あら、ねねちゃん早いのねぇ」
 ねねの姿を見た学童の先生が話し掛けてくれます。
「うん、ねね、家を出る時間、間違えちゃって……」
 本当は間違えたわけじゃなくって、一人でいるんが怖かったなんて
言えませんでした。小一の小さなプライドが許さなかったようです。
それに自分みたいに怖くなって早く学童にきた友達は誰もいませんでした。
寂しがりやで怖がりだってこと、他人に悟られたくなかったようです。
 当時は、「どーして隣のチカちゃんのおかーさんは昼間、家にいるのに
ねねのおかーさんはいないのだろう? 一人で留守番やだー」
 と、心の中で密かに仕事で家にいないねね母を恨んでいたのですが、
今、就職して働いてみると、わかるんですよね。仕事って遅刻するわけにも、
休むわけにも、やめるわけにもいかないから、仕方がないんですよね。
子供心にも少しそれはわかっていたから、我慢して(多分ね・笑)
お留守番していましたが、今思い返しても、夏休みはあまり好きではありませんでした。
 何十年も前のことですが、夏休みが始まって、チビッコが外をかけまわると
いつも『学童に行くまでのお留守番ねね』を思い出します。

そして、今思い返しても、

ねね母は居間と廊下の電気は消していかなくてもよかったのに……と、思います(笑)。