夢の雫、薔薇色の烏龍
(ゆめのしずく、ばらいろのウーロン)


10.ギュルハネ公園

 ラムセスは新宮殿の裏にある公園にいた。ギュルハネ公園という。
ギュルは薔薇という意味。ラムセスが好きな薔薇が咲き乱れる公園なため、天気のいい暇なときは
この公園でくつろぐことも多かった。
「お茶のおにーさん」
 ぼんやり薔薇を眺めていると、背後から声がした。
振り向くと、豪華な金の衣装をまとった見覚えのある少年が立っている。
 第一皇子のムスタファ殿下だった。
「これはムスタファ殿下。こんなところでお会いするとは……」
 ラムセスはすぐさま挨拶をして跪く。ムスタファの他に供の者は同じ年くらいの少年が一人。
第一皇子の供にしては少々頼りない。どうしたのであろう。
「お茶のおにーさんは何て名前だっけ?」
「ラムセスと申します」
 跪いたまま名前を告げる。少年の他に女官が数人いてもいいはずなのだが、辺りを見回しても
本当に供の者はいないようだ。
「ラムセスは強いよね。イブラヒムの家で剣の稽古してるの、僕知ってるよ!」
 ムスタファはオッドアイをまっすぐに見つめながら無邪気に言う。
「は?」
「僕のいる後宮のある場所から、イブラヒムの家の庭が少しだけ見えるんだよ。
そこでラムセスはよく、剣の稽古してるでしょ」
 ムスタファは少々興奮気味である。
「はい……」
 イブラヒム邸の庭は、後宮から丸見えなのか? それはある意味なんとかしなければいけない。
「ねえ、僕にも剣の稽古付けてよ! ラムセス」
「は?」
 ラムセスは少し声を大きくする。まさか第一皇子から直接剣の稽古をつけてほしいなんて
言われると思ってもみなかったからだ。
「僕、男の子なのに殆ど剣とか武術の稽古したことがないんだ。お母さまがケガをするから
ダメだって……」
 ムスタファは俯く。ラムセスは無言で続けて話を聞く。
「僕は皇子だし、男の子だし、これから強くならないといけないんだ。これから危ない目にも
いっぱい合うかも知れないから、自分の身は自分で守りたいんだよ」
 こんな小さいのになんてしっかりした考えをもっているのだろう。ラムセスは驚いた。
そういえば、帝位に付けなかった皇子は殺されると聞いた。今、皇子は殿下一人だが、
側室の誰かが皇子を産めば命が危なくなる。この少年はもうそのことをわかっているのだろうか。
「そうなんです」
 一緒にいたムスタファと同じ年の頃の少年が口を開いた。
「初めまして、ラムセス様。僕はムスタファ殿下の乳兄弟のハリルと申します。
殿下が剣や武術を習おうとすると、母君のギュルバハル様が反対するのです。
もちろん、ギュルハバル様もムスタファ殿下には剣や武術が必要だということは
分かっているのですが、いざ稽古となって少しでもケガをするとものすごくお怒りになって……。
稽古をつける者が、いなくなってしまったんです」
 あの第一夫人ならやりそうだ。剣の稽古や武術に少々のケガは付きものだ。
それを怖がっては上達などしない。
「僕からもお願いします。殿下に剣の稽古をつけてください。このままではもしもの時、
殿下はご自分でご自分の身を守れません」
 ハリルからも頼まれた。こんな幼い少年たちだが、本当に困っていそうだ。
「でも、稽古をつけるってどうやって……、なかなか第一夫人やお付きの女官から離れられる時
なんてないだろう。それも隠れて……」
「金曜日なら大丈夫なんだよ!」
 ムスタファはラムセスに勢いよく言う。
「金曜日は、お父様、スレイマン陛下がギュルバハル様の元へいらっしゃる日なので
ギュルハバル様はもちろん、女官たちも支度に追われて僕たちに構っている暇はないんです。
なので金曜日の今の時間ですと、誰にも知られず稽古ができるかもしれません」
 ハリルが詳しく説明してくれた。確かに、今日は金曜日の午後。だから殆ど供もつけずに
この皇子様は宮殿裏の公園なんかにいられるのだ。
「ね、金曜日だけでいいから、こっそり僕に剣の稽古付けてよ。僕強くなりたいんだよ」
 ムスタファはラムセスの小姓服を引っ張る。
「僕からもお願いします」
 ハリルも頭を下げる。
 ラムセスは考える。ムスタファ殿下は第一夫人、ギュルバハルの息子。ギュルハバルはヒュッレム、
イブラヒムのことを良く思っていないはずだ。敵……といってもいいであろう。その殿下に剣の稽古とは……。
この皇子様たちが罠をしかけているようには見えなかったが、ラムセスは迷った。
「ラムセス様が金曜日のこの時間、都合のいいときだけでいいんです。僕たちも金曜日だから
といって、毎回外に出てこられるわけではありませんから……」
 他に、ハリルはケガをしないような範囲でも構わない。剣を使う形だけでもいいから教えてほしいと
懇願された。もし殿下が稽古でケガをするようなことがあっても、転んだとか何か理由をつけるようにして
ラムセスの名前は一切出さないとも言った。
「わかった。あまり激しい稽古はできないかもしれないが、やってみよう。金曜日のこの時間でいいんだな」
 ラムセスは迷った末、返事をした。
「やったー、僕、ラムセスみたくカッコよくなれるんだね!」
 剣の稽古をするには動きにくそうな豪華な衣装をまとったムスタファは、大喜び。
 毎週金曜日。ラムセスとムスタファ殿下の秘密の剣の稽古が始まった。





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