***ハディのバレンタイン***


 2月13日。明日はバレンタイン。いつもはコックや手伝いの女官が数名いるだけの
王宮の厨房だが、この日ばかりは女達でいっぱいであった。
 バレンタインのチョコを作るために王宮勤めの女官達は厨房に大集合。
リュイやシャラも例外ではない。愛しのキックリにあま〜いチョコをプレゼントするために
仕事などそっちのけで厨房につめていた。
「ちょっと、双子! チョコなんか作ってないでちゃんと仕事してよねっ!」
 忙しい中、呑気にお菓子作りなんかしている双子に、ハディはヒステリックに怒る。
「だってぇ〜。年に一度のバレンタインよ。男性陣だって楽しみにして待っているわよ。
姉さん、チョコレート作りも大切な仕事も一つよ!」
 いつも仲のよい双子だが、こういうときは更に仲のよさに輪がかかる。
「まあまあ、ハディも一緒にチョコレート作ろうよ。義理チョコでも、あげるとみんな喜ぶよ」
 カイルのために大きなハートのチョコをこしらえているユーリがなだめる。
「それはそうですけれどね。しかし、わたくしども女官には他にやることが……」
「一日くらいお掃除しなくったって平気よ。それに…ハディはチョコをあげたい人とか
いないの?」
 ユーリの質問に双子も興味があったのか、くるっと振り向く。
「そ、そんな。わたくしにはそのような人はいませんわ! 第一、忙しくてそんな暇
ありませんもの!」
 ハディの否定する声が少し大きくなる。
「またまたぁ〜。本当は好きな人いるんじゃないのぉ〜、ハディ〜♪」
 ユーリが肘でハディをつつきながら意地悪く言う。
「いませんったらっ!」
 平静を装っていたつもりであったが、実はこのときハディの耳は真っ赤だった。
運良く、真っ赤な耳はサラサラのストレートヘアに隠れてユーリ達に気づかれることは
なかったが……。
「それよりもユーリさま! 湯せんの温度が少し高いんじゃありません? チョコが……」
 ハディは話をそらす。
「ああ!」
 バタバタバタバタ。普段なれないことをするものだから、たかがバレンタインの
チョコを作るにも大騒ぎ。ハディに手伝ってもらって、やっとカイルに送るための
チョコが出来あがった。
「私達もでーきたっ!」
 双子が声を揃えた。
「どれ? どんなチョコ?」
 ユーリは興味津々に覗きこむ。
「これよっ!」
 リュイとシャラは作ったチョコを同時に出す。
 ハート型の縦半分の形をしたチョコを各々持っていた。
 恋がが破れたときに使う割れたハートのマークそのものであった。
「私がハートの半分。リュイがその半分。二つ合わせると一つのハート型に
なるのよ! キックリも喜ぶわねっ!」
「そうね、シャラ!」
 双子は嬉しそうに笑いあう。
「そ、そうかしら……、ハートが真っ二つ……」
 双子の考えることはよく理解できないユーリであった。
 ちなみにハディはお馬鹿な双子に頭痛がした。
 本命チョコが作り終わり、、ハディも含めて、双子とユーリは義理チョコ作りに
とりかかった。
「王宮の経費になるんだから、義理チョコは安上がりに作るのよ。
トッピング? そんなものしなくていいわ! 甘けりゃいいんだから!」
 王宮の財政を考えた経済的なハディである。

 その夜……。草木も眠る丑三つ時。
 ベッドからムクリとハディは起きあがる。
 誰もが眠りについている。王宮前の門番以外は。
 足音を殺してハディは厨房に行った。。
 実はこれからバレンタインのチョコを作るのだ。送り主は、知能ではハットゥサで
右に出るものはいないであろう”イル=バーニ”。
さんざん迷ったが、ハディは今年のバレンタインで気持ちを伝えることを
決めた。イルは貴族。ハディは平民。身分が違うのはわかっている。
でも――気持ちだけは本物、伝えたかったのである。
 お料理上手のハディはユーリのような失敗はしない。物音を立てずに
手際よくチョコを作った。”イル=バーニ様LOVE”の文字入りで。(注;もちろん楔形文字)
ラッピングをしてできあがり。再びベッドに戻って、明日、イルにきちんと
渡せるように祈りながら眠りについた。

 2月14日バレンタイン。
「はい、カイル!」
「はい、キックリ!」
 ユーリや双子をはじめ、チョコの受け渡しが早朝からはじまっていた。
本命チョコを渡し終えると義理チョコをばら撒きにかかった。
「ユーリ! 俺からの気持ちも受け取ってくれ!」
 いつのまにかエジプト将軍のラムセスも王宮に忍び込んでおり、ユーリに
無理矢理チョコを渡していた。
「あのさ、ラムセス。バレンタインって、女の子から男の子にチョコ渡すものだと思うけど?
ちなみにアンタの分のチョコはないわよ」
 ユーリは呆れたようにラムセスに問いかける。
「細かいことは気にしない! とにかく俺の気持ちが伝わればどうでもいいんだ!
マイハニー!」
 ラムセスはどさくさまぎれにガバッとユーリに抱きつく。
「何するのよっ!」
 突き飛ばされたラムセスだが、そんなことでメゲたらラムセスではない。
「俺の作った薔薇のエキス入りチョコ。食ってくれよ!」
 そう言いながらエジプトの薔薇将軍は王宮の窓から帰って行った。
「まったく! イベントごとにはすぐ頭をつっこむんだから!」
 ユーリは怒りながらも、ラムセスにチョコをもらったのは少し嬉しかったりする。
 ユーリとラムセスのコントなどどうでもいい。いつものことだ。それよりも……。
 ――ハディは困っていた。
 チョコを作ったはいいが、一体どうやってイル=バーニ様に渡したらよいのだろう?と。
 イルは今日も会議で大忙しだ。呼び出す暇はもちろんのこと、女官ぶぜいが
話かける暇もない。せっかく作ったのに……。今日渡せなかったら意味がないのよっ!
 ハディはいてもたってもいられなかった。
 ――そうだっ! イル=バーニ様のお部屋のお掃除をしにいく振りをして
そうっと置いてきましょう! それなら誰にも怪しまれないわ。
 我ながら名案だと思ったハディは早速行動に移した。
「イル=バーニ様のお部屋のお掃除に行って来るわね」
「あっ、よろしくー。姉さん」
 誰も怪しむ人はいなかった。
 イル=バーニの部屋。
 几帳面なだけあって、机や棚の上においてあるものは綺麗に整頓されていた。
本棚には難しそうな楔形文字の本がずらっと並ぶ。
 ハディは隠し持っていたチョコを手にした。さて、どこにチョコを置けば
いいのだろう? 机の上? ベッドの上? 難しそうな本の間にでも挟もうか?
 どこに置いたらいいのかわからず、しばらくの間ハディはたちすくむ。
考えているうちに、だんだん胸がドキドキしてきた。よく考えれば、私は
イル=バーニ様に告白をしてしまうことになるのだ! そう思うと心拍数が
上がるのを抑えることができなかった。
 そのときである。
 ――カチャリ。
 なんとイルが部屋に戻ってきてしまったのである。
 驚いたハディは手に持っていたチョコを思わずボトンと床に落とす。
「おお、ハディ。掃除か? ご苦労様。…ん? 何か落ちたぞ。何だ?」
 イルはハディの落としたチョコを拾う。
「あ、あの! えっと!」
 ハディの口から上手く言葉が出てこない。愛しのイルを目の前にして
言語中枢が上手く作動しなかった。
「おお! バレンタインのチョコか! 義理チョコだな。
ハディからなら義理チョコでも嬉しいぞ! ありがとう! 
いや、今は義理チョコではなく、義務チョコというんだっけか……?」
 イルは満面の笑顔でハディに微笑みかける。
 ボッ! 
 ハディの頭は噴火! 耳どころか真っ赤なゆでダコのようであった。
「そ、そ、そ、そ、そうなんです! 義理チョコです! 失礼しますッ!」
 ハディは恥ずかしさのあまりイルの部屋から勢いよく出てゆく。
「あ!」
 ハディの背中でイルの声がしたが、そんなものにかまっていられない。
 ―――どうしましょう! どうしましょう! どうしましょう!
 イ、イ、イ、イ、イル=バーニ様にチョコを渡してしまったわ!
 どーうーしーまーしょうー!!!!!!!
 ハディの頭の中はパニックであった。実はハディは恥ずかしがりやなのである。
 ――で、でも、チョコは渡せたわ。義理チョコだって言ってしまったけど。
 とにかくハディは目標を果たしたのだ。義理チョコだと言ってしまった点は
失敗したけれど、今考えると告白しなくて正解だったと思う。
やっぱり気持ちを伝えるなんて恥ずかしい。義理チョコと思われてよかった。
「ああ、私の恋も前途多難だな……」
 ハディは真っ青に晴れ渡ったアナトリアの天を見て呟いた。

 一方、ハディのチョコのラッピングをあけたイル=バーニ。
 ”イル=バーニ様LOVE”と書いてある大きなハート型のチョコを
見て、ぶったまげているのをハディは知るよしもなかったのである。


♪おわり