***吾輩はカイルである***

 


 吾輩はカイルである。正妃はまだない。
 どこで生まれたかは想像はつく。私はヒッタイトの皇帝だからだ。王宮で生まれたに決まっている。
父シュッピルリウマ1世と母ヒンティの間に生まれた皇子である。母は皇族出身で身分も高かったため、
シュッピルリウマの第二王妃であった。正妃との間に生まれた息子として、
幼少の頃から私は大切に育てられてきた。大切と言っても、甘やかされて育ったわけではない。
母上はしつけには大変厳しく、悪いことをすればひどく怒られたし、いいことをすればやさしい笑顔で
私を誉めてくれた。今となってはその笑顔も亡きものになってしまったが……。よく母上が、
 「将来上に立つ者、いたわりの心を持ち、人の弱み、痛みを理解しなければいけません。
そうしないとあなたのせいでたくさんの人が苦しむでしょう」
 そう言っていた。小さいときはその意味がわからなかったが、今は身にしみて
よく分かるようになった。私が物の分別をしっかり間違えなく理解できるようになったのは、亡き母の
おかげだろう。感謝しても、もう想いは届かぬかも知れないが、感謝せずにはいられない。
 もう一つ、私が育ってくるにあたって影響を与えた人物達がいる。それは弟のザナンザ、
乳兄弟のイル=バーニ、小間使い?のキックリだろう。彼らなしでは私の幼少の頃は語れない。
よく遊び、よく学び、少々のいたずらもした。キックリも開いているのか閉じているのか分からない目を
バカにしたら、母上にゲンコツを食らったのを覚えている。また、イルは勉強はよくできたが、
スポーツはからきしだめだった。「石頭イル=バーニ!」と言ってイルを追いまわしたら、
今度は母上から、毎日楽しみにしているおやつを抜かれた。
 「人には向き不向きがあり、得意なことと不得意なことがあるのですよ。できないことを
罵ってはいけません。イル君は確かにスポーツは苦手だけど、あなたよりずっと丁寧な字を書くわ。
あなたにはできないでしょう」
 そう母上になだめられた。確かに、尤もだ。私はそうと気づいた。
 年を重ねるに連れ、自分がヒッタイトにとってどれほど重要なる人物になるかわかってきた。
父上にはたくさんの側室がいる。私のほかに皇子もたくさんいた。皇太子であるアルヌワンダ兄上は
とてもお体の弱い方で、彼のお后達には子供はいない。子供がいなくては、ヒッタイトの皇統が切れてしまう。
皇族には子供が必要だということが、小さいなりにも分かった。兄上に子供がいない以上、
私が時期皇太子であるという風が吹いてきた。アルヌワンダ兄上と私の間には、テリピヌ兄上がいるが、
母君の身分が低いため皇帝にはたてないそうだ。まったく、規則や身分とは面倒くさいものだ。
私には皇太子だの皇帝だのどうでもいいのに……。
 しかし、そうも言っていられなくなった。父上はまた側室を迎えられた。今度は遠くバビロニアの
王女だという。名前はナキア。15歳だというがいやに老け顔だった。髪は異様に長く、
目の色もおかしい。ヒッタイト語もはじめは満足に話せないようだった。なにか企んでいそうな顔だった。
水を操る魔力も使えると言う。私の風を操る魔力と一緒だ。いつでも使えるけど、母上は「必要に
魔力をつかってはいけない」と常日頃から言ってるので、母上の言葉に従った。
しかし、このナキアは魔力をむやみやたらに使っていた。母上は注意していた。
 「人は魔力についていくのではない、心についていくのだと」
 確かにそうだ。これは現代でも言葉を変えれば通用するだろう。
 「人はお金についていくのではない。最終的には心についていくのだと」
 魔力を使うナキアが後宮に入ってからしばらくたつと、母上が亡くなった。
突然のことで私は非常に悲しかった。ザナンザやキックリ達も泣いていた。母上の葬儀が済むとすぐに
ナキアが正妃の座についた。私は反対だった。あんな魔力をむやみに使う者が上に立つことはよくない。
人をいたわる心や痛みを分かる心を、ナキアはそなえていないようである。母上の言った言葉の意味が
ここでも理解できた。しかし、ナキアはバビロニアの王女ということもあり、身分は高い。
まだ年端のいかない私は、亡くなった母上の正妃の椅子に座るナキアを黙ってみてるしかなかった。
 ナキアが正妃の座に座っても、私の時期皇太子説は消えなかった。どうやら、年はまだまだ未熟だが、
私には臣下や民衆から信頼があるらしい。これもゆえに母上のおかげだと思う。将来皇帝となる以上、
その后となるものには、相当の器量がないとだめなことが分かった。悪いお手本が目の前にあるんだから。
尤も、父上には女を見る目があるのかないのか分からない。母上は素晴らしい王妃だったのに、
このナキアときたら、とんでもない王妃だ。
 母上のような后を見つけねばならぬと思い、いろいろな姫君と交際してみた。
皆、気のいい姫君ばかりだった。だが、気がいいだけじゃ私の正妃は勤まらない。
一緒にものを見つめ、正確な判断を下せる強い心を持った女が必要だった。
私の正妃となる者にはたくさんの要求をするであろう。一人の女の肩に背負うにはそれは重く、
どんなに辛いことだろうと思う。だが、私は生涯その正妃だけを愛しぬこうと思う。
 側室は一切持たずに……。
 そんなとき、ユーリが現れた。はじめは見栄えのしない子供だと思った。背も小さいし、
ガリガリに痩せていて胸もない。黒い瞳だけは何を奥に秘めているかわからない輝きがあったが……。
ユーリは皇子たちを呪い殺すいえにえとしてこの世界に連れて来られたという。
そんなことはとんでもない! 私はこの少女を何としてでも守らねばならなかった。
はじめのうちは、我が身を守るにためにユーリをかくまった。だが、だんだんそうではなくなった。
ユーリを殺させたくない、失いたくない、自分の手から離したくない、そう思うようになったのだ。
性格は破天荒だったが、ユーリには政治的素質があり、人を思いやる気持ち、情けの分かる女だった。
この少女こそ、私の正妃だ! そう考えるようになった。側近達も同じ思いだったようである。
ユーリをこの世界に留め、我が国の正妃に……皆、そう思った。
 エジプトの野心家ラムセスもユーリを后にと望んでいた。この泥棒ネコめ! 
ユーリは私がはじめに手をつけたんだ!(偶然だけど!)私はいつもラムセスに憤慨していた。
しかし、ユーリの正妃としての器量の目の付け所は素晴らしい。私と対等に戦えるライバルとして充分だ。
 キッズワトナやアルザワなどの近隣の国もユーリをイシュタルとして認めているようだ。
我が国の正妃として申し分ない。民衆も、貴族も、元老院の連中も皆そう思っていた。
しかし、致命的なことに、ユーリには正妃として立つ身分がなかった。
ユーリは泉から現れたイシュタルとして崇拝されていたが、所詮、何の身分も持たない平民。
裏を返せばどこからきたのかわからない流れ者とも取られた。
まったく! 身分というものは五月蝿いものだ! これだから貴族なんて嫌いだ。
しかし、ここが正妃の器量のはかりどころかも知れぬ。身分を越えてでも正妃の椅子に
座ることができなくては、混乱の多いオリエントをまとめることはできないであろう。
これは大きな賭けである。ユーリが正妃になるかならないかで、私の運命はもちろんのこと、
ヒッタイトの運命は大きく変わる。正妃としての多大な要求を私はユーリにするであろう。
しかし、先ほども言ったように、側室は持たぬ。ユーリ一人を愛しぬく。正妃としての要求以上に
私のユーリを愛する気持ちは強いのだから……。
 ここでも母上の言葉がリフレインする。
 「人は権力についていくのではない、心についていくのだと……」
 吾輩はカイルである。正妃はまだない。まだない正妃に夢を見つつ、
いつか幸せな日々が来ることを心から望んでいる。

♪おわり

今回は結構まともでしょ! パロじゃないよね?


                                             参考文献:「吾輩は猫である」 夏目漱石