肺活量と徴兵検査
検査技師向けのページですが、今回、一般の方向けに書いた内容です。
ご理解くださいませ(*^-^*)
1998〜2005年の7年間、仕事で肺活量検査をやっていました。
肺活量を計るために「吸って〜吐いて〜」と声をかける人です。
たかが肺活量の声かけですが、誰でもできるわけじゃありません。医師、看護師、臨床検査技師のいずれかの免許を持った人でないと検査できません。
1998年仕事をやり始めた当時、70、80代の男性を検査すると決まって言われることがありました。
「徴兵検査の肺活量検査を思い出すねぇ〜」と。
徴兵検査は太平洋戦争終結までの日本では、20歳に達した男子は誰もが徴兵検査を受けることが義務付けられていました。
4月〜5月頃に通知が届き、地域の集会所や小学校で検査が行われたそうです。
もちろん私は戦後生まれ、かつ女性なので徴兵検査に係わった経験はありません。
戦時中に行われた肺活量検査の査結果によって空軍、海軍、陸軍に振り分けられたそうです。
空軍は肺活量の値が高くないと入れないと聞きました。
「私は空軍だったから、肺活量が多いでしょう」「肺活量、何ccでした? 空軍にいた頃は〇ccあったんです」
「私は肺活量が少なかったから、空軍に行きたかったけど陸軍だったんです」と、
肺活量検査をすると、徴兵検査を思い出し、皆さんそう言っていました。
でもちょっと待って! 過去に徴兵検査をした患者さん、
みんな肺活量の純粋な『量』の数値ですべて決めているんです。
肺活量って身長に比例するんです。
だから身長の高い人は低い人より肺活量が多いのは当然なんです。
『身長、性別、年齢』で予測値を算出し、予測と比較した%肺活量として診断をしているんです。
肺活量って人と比べる検査ではないんです。そのことを徴兵検査のお話が出る度に説明したのですが、
%肺活量などはなく、『量』だけで判断していたと皆さん、おっしゃっていました。
それで調べてみた! 本当に徴兵検査は肺活量の『量』だけで見ていたのか?
こんな文献見つけました。
肺活量並に筋力に表ほれたる職業別 職種別の差異に就て(pdfファイルに繋がります)
徴兵検査に関する文献ではないのですが、昭和12年に実施した身体検査のデータの中に肺活量検査に関することが書いてありました。
どうやら、この体力検査では、身長と体重から体表面積を求めて肺活量に係数として乗じていたみたいです。
現代で主流の『身長、性別、年齢』から予測値を算出して%肺活量として比較する方法ではありませんが、
とりあえず『身長』は考慮しているらしい。この検査は男性しかやっていないから、ある意味、性別も考慮してありますね……。
おお! ちゃんと37℃で肺活量も換算してあるし(肺活量=気体は温度によってその量が変化するのでボイル・シャルルの法則を使うのです)、
東京都と川口市で肺活量の比較までしてある!
この文献見ると、東京都と川口市では20歳を機に肺活量の値が逆転する傾向にある。
昭和初期の東京って大気汚染の概念とかなかったと思うから、大気汚染で東京は肺活量が低下してしまうのかな?
私が肺活量検査をはじめた1998年頃は、よくこの徴兵検査の話を聞いていたんです。
ですが、その話をする方は自然と減っていきました。当時は減っていったことにも気づきませんでした。
2005年頃まで肺活量検査を担当していたのですが、検査室の異動があり別の検査室に移りました。
5年後の2010年。
人員配置の関係で、再び肺活量検査を担当することになりました。
肺活量検査を始めた1998年から12年経っています。
もうこの頃になると、肺活量検査をしても徴兵検査の話をする患者さんはいませんでした。
ここでやっと気づきました。
当時私は、すごく貴重なお話を聞いていたんだな……と。
「肺活量には自信があります! 空軍だったからね。今は何ccある?」
「私は肺活量が少ないでしょう? だから希望していた空軍には行けなくて陸軍に行かされたんです。
でもそのおかげで生きて帰ってくることができたのかな……」
「シベリアで捕虜になったときに凍傷で指先がなくなっちゃったんですよ」
「ソ連で捕虜になって、銃殺されかけたんだよ。
一列に並ばされてひとりひとり順番に銃で頭を打ちぬかれたんです。
私の3人前で銃殺が止まって、生きて帰って来られたんです」
「若い人には戦争の話なんて退屈かもしれないけど、あなたたちは幸せですよ」
話を聞いていた当時は、いつものことのように聞いていましたが、
戦争を体験したご本人から直接話を聞くことができたって、今となっては本当に貴重な体験だったと思います。
だから、その記憶をこうやって残していくことも大事なことかもしれないと考え、今回、書いてみました。
これを読んでいる私よりも若い方に、何か感じるものがあればいいなと思います。
ほんの少しだけ生きる時代が、生きる場所が違かっただけ……。
現代にも辛いこと沢山ありますけれど、今の私たちの暮らす日常は、先人たちが心から望んで、
命がけで作り上げたものなのだということ、忘れてはいけませんね。
そう思うと色々なことが違った視点で見えてくるような気がします。
それでは、最後までお読みいただき、本当にありがとうございました。
2018年8月15日 管理人